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『憂鬱な黒猫』は一部のSNSで話題の謎の歌い手だ。
顔は一切見せず、首から下の映像と甘い歌声だけで「イケメン」と確定されている男で、経歴も年齢も不詳。その正体は誰も知らない。
──俺という身内以外は、誰も。
『憂鬱な黒猫』の正体は羽佐間潤という。
俺、羽佐間瞬の実の兄だ。
三つ年上で大学に通っているはずの兄、潤は、何を思ったのか知らないが突然ネットに自分の歌っている姿を投稿し始めた。
バズるはずはないと俺も潤も高をくくっていたけど、予想外に反響は大きく、潤の友人がスタジオを借りて本格的に歌を録音しようと言い出し、定期的な配信を始めたらそれがまたバズった。
本人は目立つことが嫌いなタチだからと顔出しNGにしたのが逆に功を奏したようで、憂鬱な黒猫を熱烈に応援する信者が生まれ、潤の正体についての妄想考察をする輩まで現れ始めた。
もしもそういう痛いファンが俺の正体を探りに来ても、絶対に相手にするなと潤には言われている。
でも、まさか俺の愛する手塚莉央がその痛いファンってやつなの?
「絶対にこの近くに住んでるはずなのよ」
莉央は俺に可愛い顔を近づける。
そして、彼女の耳に差し込まれたイヤホンの片方が、俺の耳に差し込まれた。
莉央の前髪が俺の前髪に触れる。
いやいやいや、無理!
こんなんされたら惚れてまうやろ! もう惚れてるけどな!
「『憂鬱な黒猫』がまだ自分のチャンネルを持つ前に撮影した自撮りの動画が流出してるんだけど、ほら、ここ見て! この公園、隣町の大原町の児童公園に似てない?」
「え? そ、そう?」
差し出されたスマホの画面越しの莉央の顔から、俺はサッと目を逸らした。
「ちょっと! 真面目に見てよ!」
見られるか、そんなもん。顔中の毛穴が開くわ。
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