天使の腕

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 人を殺した。  いや、正確には「殺してやった」のだ。目の前に転がってる女の死体は、つい先程まで俺に向かって笑顔を見せていた生きた肉の塊だった。自分で殺したくせに、俺の腰はすっかり抜けてしまったようだ。呼吸は浅く、心臓は早い脈を打っている。その音は耳のすぐ近くで鳴っているかのようで、彼女を殺した俺の両手は手汗でびっしょりと濡れて、小刻みにぶるぶる震えている。手相の溝で汗がキラキラ光るのが無駄に綺麗だ。 「は、ははっ。殺しちまった。あいつが望んだんだ……俺は、悪くない。悪くない」 「そうだね」 「誰だ!」  バッと顔を上げ、足元に落ちていたナイフを声のする方に向けると、そこに一人の天使がいた。所謂、あの天使の輪っかを頭上に浮かべて、白い服に白い羽を生やした、誰もが天使と聞いて思い浮かべるあのフォルムだ。  天使は震えながらナイフを向ける物騒な俺に見向きもせず、彼女の死体の傍らに座っている。シルクのように長く美しい天使の髪の毛が、死体にベールのようにかかかっているその光景は、例えミケランジェロでも、このように綺麗な構図は到底思い浮かばないだろうという息を呑む美しさだった。 「あーあ、この子もハズレかあ。ごめんねっと」  さらっとした平謝りをすると、天使は彼女の左腕を肩からスパンと、それはもう気持ちのいいくらいに綺麗に切り離した。一瞬の出来事だ。少量の血が天使の手や白い服、羽に赤く飛び散った。俺は目の前に広がるその光景を、ただ見ていることしかできなかった。天使だなんて空想上の生物が現れ、なおかつ、神の使者であるという天使が全くの躊躇なく、その身体を血で染めるとは到底理解が追いつかなかった。
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