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「この駅にするか。」
タクミは、大阪の環状線のとある駅で降りた。
最近は、休みも思うように取れていないせいか、どこか遠くに旅行に出かけるということが出来ていない。
もともと旅行が趣味であったタクミには、それが一番のストレスになっていた。
そんな状況で思いついたのが、たとえ大阪でも、知らない駅で降りたなら、結構、旅気分が味わえるということだった。
早めに起きて、環状線なり、地下鉄なり、或いは、私鉄に乗り込む。
そして、思い付きで、降りたことのない駅で降りてみる。
知らない駅の知らない喫茶店で、モーニングでも食べて、無計画に歩き回る。
意外と、面白いと気づいたら、休日の趣味になってしまった。
のんびり歩き回ってその街の居酒屋に入って、ちょっと一杯やって帰る。
これもまた、立派な旅である。
今日は、遅めに起きて、昼前に環状線に乗った。
知らない駅のホームに降り立って、肺の底まで空気を吸ってみる。
「うん、これは焼き鳥の匂いか。美味そうな匂いだ。ということは、居酒屋が近くにあるのかな。昼間からやっているということは、夜勤明けの人が来る店か、或いは、駅前は、のん兵衛天国なのかもしれないぞ。」
駅前には、細く長い商店街があって、駅に近い店は、ランチの営業が始まっている。
「お、やっぱり、焼き鳥屋か。それで、、、こっちは、串カツ屋、で、こっちは、イタリアンか。今日は、5時スタートで、いっぱいやって帰りますか。」
タクミは、商店街を、その端っこまで歩いたら、2つ手前の路地まで戻って、気になった路地に入って行った。
「うん、この路地は匂うね。いや、匂うって言っても臭いって言う意味じゃないよ。何か面白いことがあるっていう意味だ。」
気分が高揚しているせいか、自然と独り言が出ていた。
20メーターほど歩いたところに1軒のお店があった。
お店というよりは、ガレージとでもいうような、家の駐車場を改造したお店だ。
そこに木の板がぶら下げられていて、マジックで何か書いてある。
「猫 売ります」
看板なのだろう。
どういうことだろうと、中を覗いたら、「へい。安くしとくよ。」と声が掛かった。
50才すぎのチノパンにTシャツの男だ。
ご丁寧にも、着ているTシャツにもマジックで、「猫 安い」と書いてあるではないか。
「いや、ちょっと気になったから覗いただけなんですよ。」
「なんや、そうかいな。そやけど、まあちょっと見るだけでも見ていってよ。きっと、好きな猫がみつかるから。」
「いや、猫は、ちょっと。」
「まあまあ、そう言わんと。そしたら、猫は嫌いか。」
「いえ、嫌いじゃないです。でも、今まで飼ったこともないし。飼う自信もないんですよ。」
「じゃ、嫌いじゃないのですね。」
タクミが、猫が嫌いじゃないと分かると、急に応対が丁寧になった。
店内を見回すと、手作りの木の檻に15匹ぐらいの猫が入れられている。
ただ、小猫もいるが、もう十分に大人だろうというか、猫の年齢は分からないが、随分とくたびれたような猫もいる。
「こちらの猫は、所謂、血統書とか付いている猫なんですか。」
「いえ、そんなものは付いてはいないんです。」
「じゃ、普通の猫?」
「ええ、普通の猫というか、もとは野良猫です。」
「野良猫?」
「ええ、野良猫。その辺にいる猫を捕まえて来て売っているんですよ。」
「いやいやいや、そんなことをしても良いんですか。」
「良いかどうかは知らんけど、そこらへんにいてるから、捕まえて売っても悪いことはないんじゃございませんか。」
「いや、そんな無理に丁寧な言葉を遣おうとしなくても良いですよ。普通に喋ってくれたら。」
「あら、そうでっか。いや、猫買うて貰おう思って、こっちも必死やさかい。」
「でも、野良猫って、いいのかな。」
「やっぱり、捕まりますか。これなりますか。」
そう言って、男は時代劇でやるような手に縄をかけるような仕草をした。
「まあ、別に私が、どうのこうの言う話じゃありませんから。でも、売れるんですか。」
「ええ、まあ、子猫はね。人気ありますよ。」
そんな話をしていると、20才ぐらいの女の子のふたり組が入ってきた。
「きゃー、可愛い。やだ、この子、ずっとあたしを見てるよ。」
「ほんとだ。きっとこれ買いだよ。ねえ、あたしのこと買ってっていう目をしてるよ。」
「もう、だめだめ、この子に、ひと目ぼれだよー。」
「じゃ、買っちゃいなよ。」
その軽いノリで、猫を買おうとしている会話に、タクミは、少しばかり腹が立っていた。
すると、店の男は、「どう。安くしとくよ。ほら、インスタ用に、猫の帽子も服も揃ってるし。」
「えーっ。どうしようかな。それで、いくらなん?」
「そうやな。猫と服とセットで、1万円でええわ。もう、今日から猫のインスタで、イイね!付きまくりやで。」
「ええーん。5000円に負けて欲しいな。」
「ちょっと待ってよ。そんな5000円て、半額やん。半額。ええか、5000円ちゅうたら、1万円の半額やで。」
「そんなん知ってるわ。でも、うちら、お金ないもん。」
と、女の子は、ほっぺたを膨らませて、店の男を見た。
「そうかあ。おっちゃんも、可愛い子には甘いからなあ。よっしゃ、5000円で、ええわ。」
女の子は、子猫を段ボールの箱に入れて帰って行った。
「何か、腹立ちますね。あんな軽いノリで、猫を買っても良いんですか。絶対、あの子ら、猫に飽きたら、どこかに捨てちゃいますよ。」
「それが、何か悪いとでも。たとえ捨てられても、もともと、あの子猫は野良猫だったんだし。もとに戻るだけやん。野良猫が、野良猫に戻る。それに、一瞬でも、女の子の遊び相手になったんなら、それだけで、あの猫も、この人間社会での存在価値があったということやろ。」
「いや、人間社会での存在価値って、、、。そんな猫を道具みたいに考えたくないですよ。」
「考えたくないですよって、考えても、考えなくても、猫は、人間にとって道具でしょ。人間の欲を満たすための道具。寂しいからとか、見てると可愛いからとか、そんな理由で飼っているんでしょ。詰まりは、エゴの象徴やな。道具とは言い切れへんけど、道具みたいなものだということは断言できるわな。」
タクミは、店の男の饒舌な説明に、そういう考え方もあるのかもしれないと思いだしていた。
「それにしても、考えたでしょ。ね。さっきの女の子に売った猫ですよ。あの服と帽子はね、百均で買ったんですよ。だから、両方で210円。んでもって、猫は、獲ってきたわけだから、コストゼロだし。詰まりは、まるまる4790円の儲けということですわ。」
「はあ。そういうことですね。」
「でも、維持費とか大変なんじゃないですか。これだけの猫がいたら。エサ代だけでも、バカにならないお金がかかるんじゃないですか。」
「それは、心配いりません。ほら、さっきこの路地に入るところの角に、洋食屋があったでしょ。あそこね、ノブちゃんがやってるんですわ。ノブちゃんって言ったらね、ほら、おやじのね、お姉さんの、、、えーっと、どうやったかな。何しろ親戚みたいなもんやねん。子供のころな、プールでオシッコ漏らしよってな、それから、オシッコのノブちゃんって言われてたんや。どうや、可哀想やろ。オシッコのノブちゃんて。」
「ええ、それは可哀想ですが、そのオシッコのノブちゃんが、どうしたんですか。」
「それ言うたら、アカンちゅうねん。今でも、そのオシッコのって言うたら、メチャ怒りよんねんから。いや、そのノブちゃんがな、客の残した残飯をくれるわけや。それを、猫にやってるちゅうわけやから、そやから、これもまた、コストゼロや。どうや、考えたやろ。」
「残飯。何か可哀想な感じですね。」
「何が、可哀想な事あるかいな。昔はみんな猫っちゅうたら、家の残ったもんやってたもんや。そうやろ。この猫はな、野良猫やったんや。毎日、ご飯食べれるだけども幸せもんや。」
「そういうもんですかね。何か、ペットフートというか、そんな栄養のバランスの取れたものあげたい気もするんですよね。」
「兄ちゃん、大丈夫か。そんなん、悲しいやろ。あんた、ペットフードを食べさせたら、ええ飼い主やって思ってんのか。それ勘違いや。そしたら、あんた、結婚してるんか、してないんか知らんけど、奥さんがやな、『あんたのこと思って、今日も晩御飯は、人間フードにしたからね。うっふん。うっふん。』って、固形のエサをコロコロって、皿に乗せたら、あんた、それでエエんか。」
「それは、悲しいかもしれないですが、その『うっふん、うっふん。』っていうのは、気持ち悪いですわ。それに、わたしは、まだ結婚してません。」
「そうかあ。まあ、結婚だけが人生やないわな。じゃ、『うっふん。うっふん。』は無しってことやな。それもまた、寂しいなあ。」
「はあ。」
タクミは、店の男と話すうちに、男のしていることが、悪いことなのか、良いことなのか、分からなくなっていた。
考えて見たら、野良猫の環境より、今の環境の方が、猫にしてみれば、ありがたい状態なのかもしれない。
食事の心配もしないで良いし、雨に濡れることも無いし。
それに、もしかして、優しい家庭で飼われることになったら、愛情たっぷりに育てて貰える。
いや、そもそも、人間の愛情が、猫の欲するところのものであるのかどうなのか。
猫にしてみれば、人間に愛してもらうよりも、猫に愛してもらいたいはずだ。
メスの猫なら、イケメンのオスの猫に愛してもらいたいと思うのかもしれない。
「君を愛してるよ。一生、大切にするから、僕に付いて来てくれないか。」
なんてね、猫同士で愛情を確かめあったりして。
いや、猫に、そんな感情はないだろう。
それなら、人間に対しても、愛されたいなんて考えは起きないはずだ。
「ちょっと、お兄さん、何か、愛してるよとか、さっきから、ブツブツ言ってるけど、大丈夫ですか。」
タクミは、また独り言を言ってしまったようだ。
「そやけど、何ですな。野良猫っちゅうのは、やっぱり、スゴイですね。自分なんか、恥ずかしいですわ。あんた、今、家から放り出されたら、どうします。お金も無くて、食べるものも、雨風凌ぐところもなくて、それで生きていけますか。あの野良猫は、それでも、生きてるんですよね。それにしても、あれ、何食べて生きてるんでしょうね。」
「はあ。ネズミですかね。」
「そうかな。ネズミおったらええけどな。きっと、何か分からへんもん食べてるんやろうな。スゴイと思わへんか。見たことも無いもん見て、これ食べられるとか、そんなん判断できるんやで。自分ら、そんなん出来へんわ。」
「ですよね。誰にも教えてもらってないし。そういえば、僕より、ずっとエライかもですね。」
「そうやろ。この前もな、自分、ちょっと落ち込んどったんやけどな、友達と比べても収入少ないし、みんな出世してるし、自分は、今まで、何をしてきたんかなあって、そんなこと考えながら歩いとったんや。」
「はあ。」
「はあ、って興味なさそうやな。そやけど、ちょっと喋らせてな。その時や、あそこに公園あるの知ってるやろ、ほらノブちゃんの店の反対側のとこや。あそこに1匹の野良猫がベンチの上におったんや。こう、静かに座っとったわ。その向こうの家の屋根の上の夕焼けを見とったんやろうな。何や、悟ったような飄々とした背中で、静かに夕日を見てる野良猫を見てな、ああ、自分より高等な生き物やないかって、その時に思ったんやな。野良猫って、スゴイな。」
「猫の背中ですか。」
「ああ、世の中の無常を受け入れているような背中やったな。というか、受け入れない訳にはいかない境遇に生まれた自分の性を、恨むでもなく、ただ、それを受け入れる。そんな感じや。あの後に、飲んだビールの苦かったこと。人生は、思うようにならんな。思うようにならんことを、あの野良猫のように受け入れて生きやなアカンのやろうな。」
「はあ。でも、今日も1匹売れたんですし、とりあえず、今日1日は、良かったですね。」
「そやな。やっぱり子猫は強いな。だいたい売れるのは子猫や。そういえば、うちに猫、ようさんおるけど、10匹ぐらいは、これは売れへんな。ほら、もうヨボヨボの年よりの猫やもんな。そうや、売れへん猫は捨てたろ。」
「ちょ、ちょっと、捨てたろって。そんなん可哀想やないですか。」
「あのな、この猫は、もともと野良猫やったんや。捨てても大丈夫や。というか、あんたよりも、しっかり生きていきよるで、うちの猫は。なんせ、世の中の悲哀も解っとる猫やさかいな。」
「はあ。でも、今まで飼ってたのに。可哀想な気もするなあ。」
「大丈夫や。」
そう言ったと思ったら、店の男は、15匹ぐらいいる猫の内の10匹を、檻から出して、外に放り出した。
「これで、お前らは、自由や。」
男は、そう言って、小さな敬礼をした。
「どうや、兄ちゃん。猫、欲しなったんちゃうか。」
店の男は、ニヤリと笑った。
「ええ、まあ、見てたら、可愛いものですね。」
「そやろ。安くしとくで。」
「でも、もとが野良猫なら、別に、この店で買わなくても、僕も、公園かどこかで拾えば良くないですか。それなら、コストゼロやし。」
「あっ。」と男は、一瞬、絶句して、「そこに気が付いてしもたか。実は、そういうことや。あんた、ここええな。」と、人差し指で頭を指した。
その日は、そんな事で、店を冷やかしただけで、もちろん、猫を買わずに、駅前の居酒屋で一杯飲んで帰ったのである。
それにしても、あの店の男は、あれで生計がなりたっているのだろうか。
もちろん、男の言うように、コストはゼロだ。
猫が売れた分、まるまる儲けになるというシステムは、考えたと言っても良いかもしれない。
そうだ、あの捨てられた、というか、捨て猫に戻された猫は、どうしているのだろうか。
ちゃんと生きているのだろうか。
そりゃ、もともと野良猫だったわけだから、立派に生きてはいるだろうけれど、やっぱり、気になるなと考えていたら、次の休みの日に、同じ駅で降りていた。
店の前まで来ると、中で男が一所懸命にエサをやっている。
ただ、奇妙に思ったのは、猫の大半が、檻に入れられていないということだ。
「どうしたんですか。檻には入れないのですか。」
「ああ、この前の人か。覚えてへんか。この猫は、この前、捨てた猫や。折角、捨てたのに、何か知らんけど、また寄ってくるんやな。たぶん、エサの味を覚えたんやろう。何しろ、ノブちゃんとこの残飯は、上等やからな。」
「ノブちゃんて、あのオシッコのノブちゃんですね。」
「そやから、そのオシッコっていうのは、言うたらアカンちゅうねん。聞かれたら怖いで。」
「捨てたのに、集まってくるんですね。」
「そうや。野良猫やのに、時分でエサとろうともせずに、自分を頼って来よるんや。そやから、仕方なしに、エサやってる。まあ、エサっちゅうても、残飯やから、コストゼロやけどな。」
「それなら安心しました。いやあ、あれから捨てた猫は、どうなったのなって気になってましてね。店主に、ちゃんと面倒を見て貰っているなら、安心だ。」
「勝手に安心してもろたら困るな。自分は、ただ、残飯やってるだけや。これ食べたら、また、どこかに行きよる。そうなったら、野良猫と同じや。どこで、どう生きてるのかは、見当もつかんわ。」
「それはまあ、そうですけど。でも、いま店主が猫にエサやってるのを見てたら、優しい人なんだなあと思いましたよ。それで、安心したのかな。」
「まあ、野良猫でも、なつかれたら可愛いもんやな。それは、間違いないわ。」
店主が、エサをやり終わったら、しらっと猫は、店を出て行った。
「エサが無くなったら、帰っていきましたね。」
「そうやろ。1回ぐらい振り返って、ペコリとやっても損せえへんのにな。そうや、この前、女の子が2人来て、子猫買って帰ったやろ。あの子猫、捨てられてたわ。」
「捨てられてたって、やっぱり。それで、どうしたんですか。」
すると、店主は、檻の奥を指さした。
「また、捕まえた。まだ、子猫やから売れるやろ。コストゼロや。」
「ああ、もう分かんなくなってきました。野良猫の方が幸せなのか、捕まえられたのが幸せなのか。」
「あんたは、自分の幸せのことより、猫の幸せの方が、心配なんやなあ。」
「そんなことはないですけど、そもそも、生き物を売り買うするっていうのは、辛いものですね。」
「別に、あんたが、売り買いしてる訳じゃないから、そんなこと考えるの無駄ちゃいますか。」
子猫を見たら、タクミの事を可愛い目で見ていた。
そんなことがあって、タクミは、ここ数日、悩んでいた。
あの子猫の運命をだ。
まだ、心無い人に買っていかれるのだろうか、そして、捨てられるのだろうか。
それとも、誰にも買ってもらえず、最後には、店の男に捨てられるのだろうか。
店主にしてみれば、どのみち、野良猫に戻るだけということになるのだろう。
悩んでいると、タクミは、1つの考えにたどり着いた。
そうだ、あの子猫を買おう。
そして、愛情たっぷりに育てよう。
そう思ったら、いてもたってもいられずに、男の店に出かけていた。
猫を買って、それを自分のものにしようなんて、それは、タクミが始めに、違和感を感じていた猫を道具としてみることに繋がるのではないだろうか。
エゴの象徴。
でも、その時のタクミは、どうでも良かった。
あの先週の子猫の可愛い目を思い出したら、すぐにでも、傍に置いて、撫でてやりたくなる。
急いで、店に行ったら、店主は、椅子に座って、ボンヤリとしていた。
「どうしたんですか。野良猫にエサをやる時間じゃないんですか。」
「ああ、また、あんたか。もう、野良猫はおらん。」
「いや、おらんて、どういうことなんですか。捨てた猫がエサを貰いに来てたじゃないですか。」
「ああ、みんな死んだ。いや、殺された。」
「殺されたって。どういうことなんですか。」
「ああ、あそこにマンション見えるやろ。あそこの、住民の代表っちゅうのが、保健所に電話して、駆除したらしいんや。なんでも、野良猫ほっといたら、増えるばっかりやっちゅうて。んでな、野良猫は、ばい菌を持ってるっちゅうてな。ほんでな、ばい菌は、子供にも悪いらしいわ。そやから、保健所に連れていかれた。」
「そんなあ。酷いじゃないですか。」
「ああ、酷い。でも、それが世間の常識なんやと。あの子ら、保健所で、優しくしてもらってたらエエねんけどな。」
「そんな訳ないでしょ。」
、、、、店主は、ため息をついて言った。
「知ってるわ、そんなこと。」
野良猫が増えたら、保健所に連絡して殺してもらう。
それが、常識というものなら、この店主の非常識の方が、よっぽど、正常な人間じゃないだろうか。
「あれが、善人っていうのやろか。この前も、商店街で見かけたけど、自分は、立派なことをしてるみたいな顔しとったわ。みんな、あの善人に、ありがとうとか言ってたわ。」
「どうなんでしょうね。そうだ、実は、今日は、あの子猫を買い取りにきたんですよ。あの可愛い目を見たら、もう今すぐ買いたくなりまして。一目ぼれです。」
すると、店主は言った。
「ああ、貸し出し中や。」
「貸し出し中?」
「そうや。どうせ売ってもまた、捨てられるんやったら、売ったり拾ったりするの面倒くさいから、レンタルにしたんや。どうや、考えたやろ。」
店主が指さした先を見たら、「猫 売ります」の下に「レンタルもあり」とマジックで書き足してあった。
生き物をレンタルということに、ちょっと引っかかったのだが、保健所に連絡する善人よりは、好きになれそうだとタクミは思った。
帰りに、公園の横を通ったら、ベンチに猫が座っている。
逃げ残った野良猫だ。
「頑張って、逃げろよ。」
そう声を掛けた。
猫の背中の毛が夕日に映って、赤く染まっていた。
すべてを受け入れているかのように。
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