涙うつし

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 陽が傾いてきて、額の汗を手の甲で拭うのにとうとう限界が来た。袴の中も最高に蒸し暑い。かといって、巫女が奉仕中にうちわで袴の中を扇ぐ訳にはいかない。コスプレ巫女とは訳が違う。第一にそんなことをすれば母さんだけのお咎めにとどまらない。黄昏時、僅かに訪れた余暇にペットボトルの水を飲む。水も蒸されて常温になっている。ああやっぱり、瓶ラムネが恋しい。そんなことを思っていると、目の前に白い手ぬぐいが差し出された。 「ほら」 「春渡……ありがとう」 「はい、弓道場の鍵。早く隠せよ。どうせ今日も行くんだろ?」 「うん。大会近いけど、学校は学祭モードでなかなか集中できないから」  弟は無愛想だが、両親と違って私を嫌っている素振りはないし、うまく私が立ち回れるようにこっそり手回ししてくれている。まりちゃんと同じで頼れることには頼れるのだが、弟の近くにはいつも両親がついて回っている。よって完全に気を抜き、素でいることはできない。 「小春! 何を座って休憩しているの!」 「母さん……すみませんちょっと、水分補給を。今日はほとんど窓口を開けっぱなしですから、エアコンの風がうまく回らないのです」 「そんなもの……お前は冬場も同じことを言って。暑いだの寒いだの。全く、何年ここで面倒を見てやっていると思っているの」 「申し開きもございません」 「だったら早く仕事をしなさい。なぜお茶出しを松前がやっているの。お前の仕事でしょう、しっかりなさい!」  新田さんの形代を、だなんてもう母さんの耳には言い訳以外の何物としても受け付けないだろうと、これ以上を押し黙った。弟は私の隣で何も言わずにずっと立っていた。  境内に一日の奉仕の終了を告げる太鼓が鳴り、母さんの説教が短めに終わると、弟は目線を寄越すことなく、小声で「今日も上手くやれよ」とだけ言って、社務所を閉め始めた。私は弟のくれた弓道場の鍵を握りしめて「うん、ありがとう」と小声で返した。
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