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「ねこになろうと思うんだ」
眼の前の男は真剣な表情で唐突に語りかけてきた。
「はあ。ネコっすか」
居酒屋の突き出しをぱくつきながらオレは上司の言葉を反芻する。
「筋肉ゴリマッチョの需要って最近キてますもんね。良いんじゃないっすか。ポジ替え」
「違う。タチネコのネコじゃない。猫だ。にゃーって鳴く奴」
「にゃー?え、猫?」
「そうだ!」
グビリと生ビールを一気飲みした後、上司は吠えた。
「働きたくない!残業したくない!部下の尻ぬぐいなんてしたくない!上層部へのヨイショなんてもうコリゴリだ!人間関係クソうざ過ぎる!死ねSNS!セックスしたくない!彼ピの機嫌取りメンドクセエ!」
「ちょ、ちょ、ちょ上司!上司!落ち着いて、ここ公共の場!」
うおお!と雄叫びをあげる上司の口に慌ててオシボリを突っ込んで黙らせる。
「疲れたよぉお!もう何もしたくねえぇよぉぉお……!」
オシボリをフガフガさせつつ机に突っ伏してわんわん泣きわめく上司はビール一杯で酔えるエコで頼りになるゲイ友である。
「悪うございましたねえ。今日は部下のオレの尻ぬぐいさせちゃいまして」
今日の残業で大賞はオレのミスから始まる一連の壮大なるドミノトラブルだった。そのため事態の収束に駆けずり回ってくれた上司にお礼を兼ねて
居酒屋で打ち上げをしていた。
「ちげえよ。お前のミスなんて些細なもんだよお。俺とお前で対処してりゃあすぐ済んだんだ……」
「まあ確かに」
上司と後輩が余計なことをしてくれなければ、残業時間はたった1時間程度で済んでたことは否定しない。
「もういやだ……猫になりてえ……!」
涙と涎の海に片頬をくっつけた上司はエグエグと泣きじゃくりながらさっき口にした願望を再び訴える。
「そういうの普通ヒモになりたいっていいません?」
「ヒモなんて駄目だ。犬も論外。相手の機嫌取りたくねえもん。俺はな、好きなだけタラフク食って寝たいだけ惰眠を貪っても怒られず、俺の機嫌のいい時にだけ飼い主に甘えさせて、飼い主にひたすら愛でられて奉仕されて、好きな時に外でヤッて発散できる自由気ままな生活がしたいんだよ!」
「贅沢を通り越してあつかましい願望っすね」
なれるものならオレがなりたい。
「誰か飼ってくれねえかな……。そうだ!試しにお前が俺を飼わねえか?恋人がペット欲しがってるって言ってたよな?」
「三十路を過ぎた毛深い髭ダルマのむさくるしい巨体のオッサンを飼う趣味はオレの彼氏にはありません」
「猫に髭は大事じゃねえか。それに動物ってのは大体毛深いもんだろ。ほら俺をメインクーンとかだと思ってよ……」
「愛猫家にぶっ殺されますよ」
メインクーンより飢えた野生のヒグマの形容が似合う男に酒で潤んだ目でおねだりされても全く心に響かない。
「何でだよ。いい案件だと思うぜ?出かける時はペットお断りなんて気にせずに何処にだって連れていけるし、シモの世話は自分で出来るし、予防ワクチンだって嫌がらずにちゃんと打つし。女を孕ます趣味もねえから、なんなら去勢手術だって受けてやる。主食だって贅沢は言わねえ。米の汁と魚を煮たのがあればそれで十分だ」
「日本酒と酒のつまみガンガン食われたら一気に家計破綻します」
ビール一杯で酔える下戸だが、代わり巨体の維持に食費が嵩張る男は「そうかあ?」と不思議そうに首をコテンと傾かせた。
「とにかく、変な願望拗らせてないでトットと飯食って帰りまsh……」
「あのう。わたし立候補しても良いですか?」
横からにゅっと白い手が伸びて上司の顔の前に突き出される。
「へ?」
「スイマセン。後ろから面白いお話が聞こえてきちゃったもんで、つい」
指先から順に腕の根本をたどると、そこには可愛らしい小柄な女の子が照れた表情で上司に笑いかけていた。
アレから半年。
上司……いや、元上司は希望通り「猫」になった。
飼い主はあの時に居酒屋で上司の飼い主に立候補した女の子だ。
希望通り、元上司は仕事をせず好きに食っちゃ寝して、飼い主に媚を売りたいときだけ甘え、ヤリたくなったら外で発散するという理想の生活を送っている。
……全裸で頭だけ猫耳のコスプレをさせられて。さらに言えば「愛猫日記」という名のライブ動画を全世界に向けて24時間常に公開されながら。
考えればそうだろう。猫にプライバシーなんてないから、日常生活を含む個人情報を尻の穴まで曝されたって文句は言えないし。愛猫に服を着せて楽しむのは飼い主の自由だ。飼い猫の血統を守るため、どれと交配させるかだって飼い主が決めることだ。どんな場所にだって一緒に連れ歩く姿はむしろ飼い主の鑑だろう。例え後ろに惨殺死体が見えるとしても。
いたって真っ当な愛猫家の生活と言えよう。飼い猫が元上司でなければ。
「ニンゲンにもどりたい」と毎日のようにメッセージが送られてくるが、体の何処に爆薬付きのGPS埋め込まれたか未だにわかってないんでしょ?逃げようがないと思いますけど。
裏社会とかなりヤバいぶっといパイプがあると実しやかに噂されるアンダーウェブの女王の過激な配信動画で元上司の生存確認を行いながら、オレは今日もニンゲンとしてプライドを持って強く生きています。
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