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勇一郎は隼人に向かい、名刺。と、手を伸ばす。隼人は何も言わず内ポケットから名刺入れを取り出し、一枚を勇一郎に渡した。
「落ち着いたらここにお出で。前日に連絡をくれたら助かるよ」
知惠は名刺を受け取ると、一瞬だけ笑った。
「ありがとう。
じゃ、あたし戻るから」
圭と隼人は頭を下げ、勇一郎は手を挙げる。
もう、ここに知惠の居場所はあるまい。
結局、邪魔をしてしまったな。と、圭は心の中で申し訳なく思いながらも、知惠がこの屋敷から出ることを美沙子が喜んでくれるのではないかと考える。
扉が閉まると、三人は再び歩き出した。
もう二度と来るまい。と、心の中で呟く。
振り返ると、柊の白い花は枯れ、濃い緑の葉の間に茶色く存在を残すばかりであった。
遠くから梅の微かな香りが漂って来る。
初めての梅の香り。
「一緒に帰りましょう……」
礼子の執念に囚われていた美沙子が漸く、解放された気がした。
えぇ、一緒に……。
圭の心に、美沙子の優しい声が聞こえた。
涙が頬を伝う。叩かれた頬に、それはとても熱く感ぜられる。
歩を止めた圭に、隼人が振り向き、近寄るとコートを広げ、圭を包んでくれた。
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