水野七海の呼び名

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 いつも一人でとる昼食。やっと見つけた会社の外にひっそりあるベンチは、他に人が来なくて落ち着ける場所だった。そこは私が唯一ホッとできる所でもある。その日は少し肌寒さが出てきた秋のことで、私は膝にカーディガンをかけたまま腰掛けていた。    隣に置かれた食べかけのお弁当。私はスマホを握りしめながら項垂れ、泣きそうな涙を必死に堪えている。  絶望とはこのことだ、と思った。このままではもう働き続けることは無理だ。地獄のような日々を受け入れるしか方法は残っていない。せっかく血のにじむような思いをして今の生活を手に入れたというのに。  いや……こんな生活も、幸福なものとは呼べないか。でも、仕事はやりがいがあって楽しかった。初めて自分が認められた場所だったから。だからここを捨てるのかとても怖いんだ。 「じゃあさ。俺が水野の結婚相手になるよ」  まるで小学生が明日の遊びの約束をするように軽く、そして楽しそうに提案するその男は、少し癖のある黒髪を揺らして大きな瞳を輝かせる。  その発言に驚き、目を丸くした私の顔を覗き込むようにして微笑む彼は、私が最も苦手としている男だった。
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