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芹は十六才。この春から高校二年生。幼稚園から大学まで、エスカレーター式の学校に通っている。
いまさら転校はしたくない。ボストンには行きたくない。
でも十六才は一人暮らしをするには少しだけ早い。
「学校には前よりも近くなるんじゃないかな」
兄は芹に話しかけた、らしかった。
「芹くんにとって、紘と暮らすというチョイスは悪くないと思うよ。わたしたちも安心してボストンに行ける」
芹は僕を一瞥した。これ以上なく感じが悪いやり方で。
僕の足先から頭のてっぺんまで、舐め上げるように視線を走らせ、鼻を鳴らした。
「二年間。芹くんが大学生になるまでは、紘が君の世話を見てくれることになっているから」
兄はコーヒーに口を付けた。
一杯千五百円もする馬鹿げたコーヒー。天井の高いホテルのロビー。
馬鹿馬鹿しく大きな花瓶から芸術的なバランスで枝を伸ばす桃の花。
「お母さんに挨拶をしなくていいの?」
芹の母親はこのホテルの一室にいるはずなのだ。
僕の言葉に芹は首を振った。
黒いスウェットとダークグレーの細身のパンツ。オールドスクールのスニーカー。
鋭い目つきと天使のようにふわふわとした髪がアンバランスで惹きつけられる。
首元の華奢なネックレス。
そこだけがちょっと異質だ。
ペンダント部分に小さな紫色に輝く蝶々がとまっている。芹の母親の作品だろう。彼の母親はその界隈では有名なジュエリーデザイナーなのだ。
兄にとって最初の結婚は平凡すぎたらしい。
自分に刺激とインスピレーションをもたらす女性にやっと出会えた、のだそうだ。その女性は息子を見知らぬ男に預けて、海外に跳んでいってしまう。
いけないことだ、と分かっていた。
面倒を背負い込んだ気持ちの方が大きかったはずなのに。
僕は、芹の目を見た瞬間に思ってしまった。捕らわれてしまった。
もしかしたら彼は僕の何かを変えてくれる存在なのではないかと。
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