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第十話 昭和に慣れて出直せよ
「あら小砂子ちゃん、よく来たわね。一人で来たの?」
「うん、由仁ちゃんに会いたくなって」
「……そう、由仁ならテレビを見てると思うけど。さ、入って」
私はほのぼのとした身内の会話を遮らないよう、そっと少女の脇を抜けて敷地の外に出た。
――ふう、まさかお母さんと出くわすとはなあ。まあ従弟だし、あり得なくはないか。
私が四十年前の世界で予想もしない「再会」に戸惑っていると、ふいに通りの向こうから歩いてくる二人の少女に視線が吸い寄せられた。穂花とよく似たカジュアルないでたちの二人は、年齢的にはもう少し下の学年のように見えた。
『――あ、あのお姉さんお洒落。素敵』
『……やっぱりディスコに行くならあのくらいお洒落じゃないと駄目かな』
少女たちはちらちらと私の方に視線を寄越しつつ、小声で囁きあった。私はひょっとして、と目の前を通り過ぎる少女たちの顔をそれとなく観察した。
――あ、あの背が低い方の子、まさか。
私は二人組の片方を見た瞬間、はっとした。どことなく西岡寿都に面影が似通っている気がしたのだ。
――西岡さんの、上のお姉さん?
もし彼女が中学生で、これから大学生と一緒にディスコを覗きに行くとすれば、西岡の話と一致する。しかも、だ。次の漫画のネタを見つけようとしている由仁が、この時代で二時間の間に訪れる場所があるとすれば――
――行ってみるか、ディスコとやらに。
私は意を決すると、今度は本物の探偵よろしく二人の後をつけ始めた。だが、しばらく行くと住宅がまばらになり、歩いているのは遥か向こうの交差点まで私たちしかいないという状態になった。
まずい、と私は思った。これじゃ尾行じゃなくてただの不審者だ。私は二人の後を追うのを諦めると、別のルートでディスコに行く方法を考え始めた。また、適当な肩書を名乗って誰かに道を聞くか……そんな泥縄な作戦を思い浮かべた、その時だった。
――ん?あれってもしかして……
私の目は五十メートほど先に見える箱型の物体を捉えると、正体を見極めるべくピントを合わせ始めた。
「……電話ボックスか。そうだ、穂香ならディスコのある場所を知っているかも」
私は見たことはあるが一度も使ったことのない遺跡のような公共物を目指し、早足で歩いていった。やがてボックスの前に到着した私は、勇気を出してガラス戸を開けると箱の中に身体を滑り込ませた。
「これ……どうやってかけるの?」
受話器を外してしばし電話機をあらためていた私は、スリットと硬貨の絵を見つけるとよくわからないまま持っていた十円玉を三枚投入した。
「ええと……ここにかければいいのかな」
私は穂香から渡された電話番号通りにボタンを押すと、相手が出るのを待った。そうか、電話ボックスから電話をかけるってこういう感じなんだ。
私が古いドラマの登場人物になった気分で待っているとやがて、呼びだし音が途切れて女の子の声が耳に飛びこんできた。
「はいもしもし、北郷です」
「……あ、あの、星冲と申しますが……」
「聖園さん?……嬉しい、もうかけてくれたんだ」
受話器から穂香の弾んだ声が飛びだし、私はほっと安堵の息を吐いた。
「ええと、あの、事情は後で話すから、今、出てこられる?」
「今?いいよ。どこに行けばいいの?」
「それがよくわからないの。ディスコに行こうと思うんだけど……」
「昼間からディスコ?どういうこと?」
「探してる人がそこに入るかもしれないんだけど私、ディスコがどこにあるか知らないの。北郷さんだったら知ってるかなと思って」
「えっと、たぶん、繁華街の外れにできたやつかな。……うん、わかった。それじゃ私も一緒に行ってあげる。どこで待ち合わせたらいい?」
「ごめんなさい、私、この辺りに不案内なの。お任せするから、決めてくれない?」
穂香はうーんと唸ると、四十年後の私の家からそう遠くない駅の名前を口にした。元の時代ならこちらから場所を提案できるが、さすがに四十年も前だとそれも難しい。
「うん、そこならなんとか行けると思う。それじゃ、三十分後に」
私は受話器を置くと、狭い電話ボックスの中でふうと長いため息をついた。もう残り時間は一時間もない。果たして無事に由仁と会うことはできるだろうか?
私は電話ボックスから出る直前、穂香が最後に漏らした一言を思い出して苦笑した。
――それにしても、四十代のおじさんが果たしてディスコなんかにいるかなあ。
いないかもしれないが、ネタ探しに時間を超えてやってくるような人だ。可能性はある。
私は先ほど降りたバス亭の位置を思い返すと、やっと慣れ始めた「昭和」の道を急ぎ始めた。
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