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第十二話 ハッとしてグッタリ
「……どうかしたの?」
エントランスに着くなり太い息を吐いた穂香に、私は思わず問いかけた。
「さっきのあの人、音調津一已よ。気がつかなかった?」
「有名な人なの?……歌手か何か?」
私が聞き返すと、穂香は目を瞬き「知らないの?」と呆れたような声で言った。
「何かじゃなくて歌手よ、この街の出身歌手で、有線を中心に東京でも売れ始めてる人よ」
私が「そうだったんだ」と感心してみせると、穂香は「知らない人もいるんだね」と信じられないといった顔になった。四十年前の人気歌手と言われても、私には残念ながら知りようがないのだ。
「まあ、音楽に興味がないなら知らないかもしれないね。……でもこの店に時々、お忍びで来てるって噂、本当だったんだ」
――えっ?
私の脳裏にふと、西岡が言っていたお姉さんの話が甦った。
――もしかして、さっきの人が「消えるアーティスト」?
私は人から聞いた話と自分が直接、見聞きしたことがリンクしたことで俄然、興味をそそられるのを意識した。
――あと数時間遅くこの時代に現れていれば、消える現場が見られたかもしれないのに!
私が装置のタイマーが二時間に設定されていたことを恨めしく思った、その時だった。
「おお、こんなところにいたのか。僕の行き先をピンポイントに当てるとは、さすが優秀なアシスタントだ!」
ふいに近くで聞き覚えのある声がしたかと思うと、未来にいた時と同じいでたちの由仁が呑気な顔で私の前に姿を現した。
「先生、やっぱりここにいたんですか。……取材はうまくいったんですか?」
私は遠い過去で知っている顔に会えたという安堵感で、全身から力が抜けるのを感じた。
「ああ、ディスコで働いている人から話を聞くことができたよ。問題のアーティストの名前もわかった。ただ残念なのはせっかく今日あたり来そうだという情報を仕入れたのに、肝心の時間までこの時代にいることができないという点だ」
「私、そのアーティストさんに会いました。……すれ違っただけですけど」
「なんだって?……ううむ、なんてこった。こいつは一度戻って、出直しだな」
「出直し?」
「ああ。同じ時代を二度なぞるのは不具合を発生させるリスクを高めるが、時間帯さえずらせば問題はない。……よし、いったん引き上げよう」
「あ、あのう……ひょっとしてあなたがお姉さんの探していた方ですか?」
何やら興奮気味に一人で納得している由仁に、穂香がおずおずと声をかけた。
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