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第十六話 ダンスは全く踊れない
「ドリンク付きで二千五百円になります。……割引券はお持ちですか?」
ディスコの入り口でどことなく夜の匂いのする従業員に出迎えられ、私は「あっ、えっ、持ってないです」としどろもどろに答えた。
由仁はと言うと従業員の訝しむような視線を物ともせず、さっと支払いを済ませるとずんずん廊下を進み始めた。
「いやあ、伊藤博文と聖徳太子のお札を用意するのは意外と骨が折れたよ。あと、この時代に造られた小銭を用意するのも大変だった。まったく海外旅行より神経を使わせられるよ」
意外な由仁の周到さに私は舌を巻いた。四十年を隔てた時代に旅をするということは、異なる常識の中に飛び込んで行くという事なのだ。
――なるほどこれは確かにただの取材旅行じゃなくて、「冒険」だわ。
店名の書かれたドアが近づくにつれ、私は「あの人、変じゃない?」という視線が向けられるのではとにわかに腰が引け始めるのを感じた。
「先生、私踊れないんですけど」
「大丈夫、適当に体を揺らしてれば別に怪しまれないよ」
「そうかなあ……」
私たちがドアの前で足を止めると、その傍らをすり抜けるようにして四つの人影が一歩先にドアを開けてホールの中に入っていった。
「あ……あの子たち」
「どうかしたのかい」
「あの四人のうち二人は中学生です。しかもその片方は西岡さんのお姉さんです」
「……えっ、こっちに来て間もないのにもう知り合いになってしまったのかい」
「いえ、そういうわけじゃなく、たまたま街角ですれ違った時に漏れた会話を聞いちゃったんです」
「ふうむ……中学生か。大丈夫かな」
二人の身を案じている由仁を見て、私は自分たちも怪しまれかねないという事実をあらためて意識した。
踊りそうもない中年男性と、二十代の女。父親をディスコに連れてきた娘、という程度に見てくれればいいが、上司と部下の危ない組み合わせと思われては困る。
私たちは頷き合うと重いドアを開け、音と光が溢れるメインフロアへと足を踏みいれた。
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