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2.第1の事件
コトの発端は、半月程前に遡る――。
高い空から吹き下ろす風が、キンモクセイの香りを運んできた午後。俺は、中庭が広く見渡せるいつもの持ち場で、日課の城外監視に勤しんでいた。城壁の上を複数の茶色い影が行き来している。まだ実害はないが、侵入を計るなら、容赦はしねぇ。
「ナイトっ! ナイトはいる?!」
不審者共の動きを目で追っていた俺は、階上から響く姫様の声に背筋を伸ばした。
「ナイト!」
俺の主人、マリ姫様の部屋へ駆けつけると、床一面、足の踏み場もなく衣類が散乱している。
「こりゃ、何事ですかい、姫様?」
「クローゼットにしまっておいたアンゴラの白いマフラーが無いのよ。貴方、見なかった?」
「さぁ……俺は知りませんが」
傾げた首を即座に横に振る。鏡台の前の椅子に座った姫様は、キュッと眉をひそめる。
「ホント? 貴方、フカフカしたの好きでしょ?」
な、なにぃ? 俺を疑ってるのかよ?
「ひでぇな、姫様。そりゃ、ここに来たばかりのガキの頃の話じゃありませんか」
彼女の目を真っ直ぐ見上げて、無実を訴える。確かに、ガキの頃の俺は、フカフカふわふわした肌触りのものに目がなかった。育ちの貧しさのせいで、気に入ったものは、ついねぐらへ持ち去る癖があった。ここでは、誰にも盗られねぇっていうのにな。
「まぁ……そうよね。疑って悪かったわ」
必死で身の潔白を訴えたのが功を奏したのか、案外すんなりと姫様は嫌疑を取り下げてくれた。
「んで? 『アンゴラのマフラー』とやらが見つからないんですかい?」
改めて、床の上をグルリと眺める。白いもの、フカフカしていそうなものはあるけれど……『アンゴラのマフラー』とやらは、この中には無いらしい。
「クリーニングから戻って来たばかりなのよ。そこに掛けてあった筈なの」
彼女が指したクローゼット内の壁フックには、何も掛かっていない木製のハンガーがぶら下がっている。
「フン……?」
「換気のために、細く扉を開けていたのね。でも窓は閉めていたし……だから、貴方かと思ったの。ごめんなさい」
全く……心外だぜ。けど、姫様の悲し気な顔を見ると、憤慨よりもなんとかしてやりてぇって気になってくる。なんたって、俺は姫様に返しきれねぇほどのデッカい恩義があるからな。
「姫様、ちょっと……失礼しますぜ」
手掛かりを求めて、クローゼットの中に足を踏み入れる。姫様が時々身体に振りかけている甘い香りが漂うが……ん?
壁際に鼻を近付ける。微かに、あり得ない臭いが淀んでいる。
「もういいわ。そこ退いて、ナイト」
溜め息を吐くと、姫様は床のフカフカを拾い集め出す。
「姫様。マフラーは、どうなさるんで?」
「あーあ。今度、新しいのを買ってこなくちゃ」
彼女の後ろ姿を見詰めながら、俺は奥歯をグッと噛む。
クローゼットに残った臭いには、覚えがある。あれは、薄汚れた路地裏。ぬかるんだ掃きだめ。ツンと饐えたドブの臭いだ。
考えられる結論は、1つしかない。――恐らく、賊が侵入したのだ。
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