カクテル

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これまで生きてきて――。 私は常に割りを食ってきた。 他人と関わるといつもろくなことがなく、最初のうちは上手くやれていても必ず関係が破綻する。 これが学校や職場だけならまだよかったのだけど。 友人や恋人、さらには血の繋がった家族でさえ報われないことばかりだ。 友人や恋人とは初めのうちは仲良くやっていてもなぜか小馬鹿にされ、扱いがぞんざいになり、家族――両親や兄、弟、姉、妹からは都合のいいように使われている。 特に母は私にキツく、なにか嫌なことがあるとすぐに怒鳴り散らしてくる。 父は母が私にしていることに関心がなく、もう一年以上会話をしていない。 兄と姉は言われるほうに問題があると(さげす)み、弟と妹はまた怒られていると笑っている。 他人とうまくやれない理由はわかっている。 それは私の生来の気の弱さだ。 小さい頃から厳しく(しつけ)られてきたせいか、私は他人の顔色をうかがうような性格になってしまった。 だから友人や恋人ができても、私の自信のなさを知るや、馬鹿にするか呆れるかして去っていく。 もちろんそれは相手だけではなく、私にも問題がある。 最近ではもう変に気疲れするよりは独りでいたほうがいいと思うようになった。 だけど、人はそう独りで生きていくことなんかできない。 家を出ようにも金銭的事情や介護問題で出られず、社会に出れば誰かしらと関わらなければ仕事にならない。 自分を変えたいと思って何冊か自己啓発本を読んでみた。 だが、読んでいるうちに“お前が悪い”と言われているような気分になるし、結局は“今すぐにでも独りになって新しい環境で生まれ変われ”と書いてある本が多かった。 すべての関係をリセットできないのは、お前が変わりたくないからだと言われても、どうしようもない。 変わりたい、でも変われない。 でも結局それは、世の中の成功者たちからみれば私が悪いということになるのだろう。 結婚しろと言われても、母は相手に実家へ来てもらえとうるさく、家を出ることを許さない。 そのせいで何人もの恋人に去られた。 誰も他人の親の老後の世話などしたくないのだ。 古い付き合いの知り合いにいろいろと相談してみても――。 “こうやって話せるうちは幸せだろう” “人は生まれ持ったものや手持ちの武器で戦うしかない” と言われ、まるで話を聞いてもらえなかった。 そんな私だったけど、結局は本で読んだことをやってみることにした。 手始めにけして多くない預金をすべて引き出し、電車で行けるところまで行く。 車内から外を見ながら思う。 あぁこれでもう二度とあの人たちと会わなくていいんだなと。 大きな海を見ていると、どうしてもっと早くこうしなかったのだろうと後悔した。 それから終点で電車から降り、知らない町を歩き出す。 先のことはわからないけど、私の心は不純物のない脱イオン水のように()んでいた。 これから先のことを考えると正直不安は消えなくとも、生まれて初めて味わう清々しい気分だ。 到着したところは温泉街だった。 駅から歩くと商店街が目に入ったが、あまり栄えていないようで人通りはない。 時間は夕暮れ時。 とにかく今夜泊まるところを探そうと、私は歩き回った。 だが小さな宿のほとんどがもう営業をしていないようで、泊まれる場所は高額なところしか残ってなかった。 あまり無駄遣いはできないと思った私は、覚悟を決めて潰れた温泉宿の廃屋で一晩過ごすことにする。 幸い時期は春だ。 少し寒いが、凍死するほどではない。 ガラスが割れた自動ドアを通って、私は適当な部屋に入ってバックを置く。 四人家族が泊まるような畳の部屋だったが、気にせずに地面に腰を下ろす。 腹はとくに減っていない。 外も暗くなってきたし、もうこのまま寝よう。 私がそう思って地面に寝ころがろうとしたとき、部屋の外から足音が聞こえてきた。 慌てて隠れようとしたが、部屋にある押し入れは半壊していて戸を閉じることはできない。 他に隠れる場所もなく、今部屋を出ても足音の人物に見つかってしまう。 町の組合の見回りかなにかだろうか。 もし見つかって警察にでも連れていかれたら面倒なことになる。 最悪、両親が私の捜索していて家に連れ戻されるかもしれない。 そんなことになったら一体どうなるのか――考えるだけでも恐ろしい。 「あッなんだ、先約がいたのか」 震えて身を縮めていた私に、部屋に入ってきた人物がそう言った。 顔や声を聞くに女には見えるが、そのラフな服装や髪が短いのもあって華奢(きゃしゃな)な男でも通じそうな風貌している。 中性的なせいか年齢もわかりづらい。 「ねえ、あんた。どうしてこんなところにいるの?」 その中性的な人物は私に話しかけてきた。 とても友好的な態度だったので、私は今にも逃げ出したいのに今までの癖でつい笑い返してしまう。 「なんで笑ってんの?」 「い、いや、別に意味は……」 「ふーん、そっか。ねえ、今夜僕もここで泊まってもいい?」 中性的な人物は訊ねながら私の横に腰を下ろした。 こちらが良いとも言っていないのに。 それから持っていた大きなバックからパンやおにぎりを出して食べ出した。 「あんたも食う?」 「い、いらないです……」 「ふーん、そう」 私は俯きながら開いたバックに目をやると、そこには大量の札束が入っていた。 この中性的な人物は一体何者なのだろう。 こんなものを持ち歩いているなんて絶対普通ではない。 私はそう思いながら視線をそらすと、中性的な人物が顔を覗きこんできた。 「ねえ見ちゃった? ねえねえバックに何が入ってるか見ちゃった?」 殺されると思った私は立ち上がって部屋から出ようとした。 だが慌てていたせいで、立ち上がった瞬間にその場でつまずいてしまう。 気が付くと、中性的な人物が畳に倒れている私を見下ろしていた。 「こ、殺さないでッ! 私はなにも見てないからぁぁぁ!」 生まれて初めての悲鳴。 これまでに誰にも聞かせたことない大声で叫んだ私は、倒れた時に腰を打ったようで立ち上がれない。 中性的な人物はそんな私に手を伸ばしてくる。 殺される。 私はこんな潰れた旅館で死ぬのか。 そう考えると、なんだか頭の中がクリアになった。 どうせ生きていても特にやりたいこともないし、好きなこともない。 よく趣味がないことが悩みだと口にしている人がいるが、私から見ればそんなものなくてもそう言っている人間の大半が人生を謳歌している輩が多いんだ。 スポーツも音楽もゲームも漫画もアニメも映画もファッションやメイクだって、私は一切興味を持ってなかった。 恋愛だってそうだ。 たまたま告白されたから付き合っただけで、別に自分から積極的に恋人が欲しかったわけじゃない。 そんな何にも楽しめない私の気持ちなど、趣味がないと悲観しながら好きなことがある連中には一生わからないだろう。 同じようでいて同じではないのだ。 好きなことや楽しいことがない人生がどれだけ地獄か。 人生は誰もが辛い。 だからこそ息抜きが必要になる。 でも、私には息抜きや好きなことを楽しむ才能は与えてもらえなかったんだ。 私が泣きながら倒れたままでいると、手を伸ばしてきた中性的な人物が言う。 「大丈夫? 慌てて立つからだよ」 そして、私の手を掴んで抱きかかえるように起こしてくれた。 どうやら私をすぐに殺すつもりはないようだ。 「あんた失踪(しっそう)して来たんでしょ」 中性的な人物は私の素性を言い当てると勝手に話し始めた。 自分も私と同じく以前に生まれた町から失踪し、家族、友人、恋人すべてから行方をくらました。 だから似たような境遇の人間に危害を加えるつもりはないと、実に穏やかな笑みを浮かべて話してくれた。 「その後はさ。スリとか空き巣とかできることはなんでもやって生きてきたんだ。実際よく捕まってないよ、僕。もう何十何百人から盗んだかわからないのに」 その話からするに、バックに入っている札束は空き巣に入った家にあった物のようだ。 それから中性的な人物は私に提案をしてきた。 どうせ行くところがないのなら、これから一緒に泥棒稼業で食っていこうと。 私は考えた。 他人とうまくやれたことがない私だが、共犯関係ならきっと違うのではないか。 二人とも生きていくためには力を合わせなければならないという状態は、これまでの人間関係とは全く違うものになるはずだ。 どうせ独りで生きていけないのなら、こういうやり方で他人と関わろう。 今日から私は生まれ変わるのだ。 「わかった。私、あなたについてく」 「マジでいいの? 自分から言っておいてなんだけど、捕まっちゃうかもしれないよ」 「いい、それならそれで別にいい……。どうせ他の道も地獄だし……。だったら私と同じ痛みがある人と生きる方がいい」 こうして私は犯罪者になることを選んだ。 了
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