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「貴方は・・・・・」 その声に私の胸は張り裂けんばかりに鼓動を打つ。 あの日、私の心を奪っていった人。 十年前 その年の朝方に降った最期の雪が庭園の色を白くした日 そこにこの人はいた。 私は間違ったりはしない。 ―徒花― 私は斎藤に無理やり連れ出され 都内にある回遊式の日本庭園に来ていた。 まだ風は冷たかったが 椿の美しい紅色が太陽の光に照らされ目に眩しかった。 そして白く薄っすらと芝に乗っている雪が 少しづつではあるが溶け出していた。 「高峰・・・  君は休みの日も大学病院に行ってるんだって?」 高等学校からの学友であり、友人である斎藤が 眉間に皺を寄せ私を見上げた。 「休みの日といってもやる事が無いからな・・・・・・  学校が休みだから大学病院で研究の手伝いをしてるんだ。  誰から聞いたんだ?」 「櫻井先生の妹さんからだよ」 「そうか・・・もう子供が3人いると聞いたが」 「相変わらず美しい人だよ。   君は勿体ない事をしたね」 「・・・・・」 「あ、高峰・・・ほら、あそこ!」 斎藤が指を指した方を見ると 男女が歩いてこちらに向かって来ていた。 その二人は・・・ 「美しい人だな。  あんな人をカンバスに写せたらどんなに幸せだろう」 私はその時 高峰が言う女性の方ではなく横にいた青年に目を奪われた。 「高峰、そんなに無粋な真似したら失礼だろ」 そう斎藤に言われて俯いたが 私は何が何でもあとひと目だけ青年を見たくて顔を上げた。 彼は女性の方に顔を向け微笑んでいた。 チクリと胸が痛む。 『ほら、あの二人だ・・・』と斎藤が呟いた。 私の横を通り過ぎる彼。 きっと 私なんか目に入ってないのだろう。 寒紅梅の香りが風に乗って私と青年の周りに香る。 そして斎藤と私は互いに一言も発せないまま 二人の後姿が見えなくなるまで見送った。 「なんて美しい人だろう・・・  高峰もそう思うだろ?」 「斎藤は女性に興味があったのか?」 「失敬な事を言わないで欲しいな。  僕は美を追求する画家だ!  美に女性も男性もない!!」 「そうなのか・・・」 「なんだよ!  もう少し話に乗って来いって」 斎藤は東京美術学校に通いながら 師と仰ぐ岡田三郎助の元で絵を勉強していた。 「そう云えば、薔薇を持つ少女に彼女似ていたな」 斎藤は先生の『薔薇を持つ少女』は素晴らしい!と いつも絶賛していた。 「そうだろ?」 「・・・見てもいなかったくせに」 「見たさ!」 「見たのは横にいた彼の方じゃなかったか?」 図星だったが 冷やかすように笑ってる斎藤と同じ趣味嗜好だとは 自分自身考えたくも無かった。 「何の事かわからないな」 そう云って私は斎藤の問いかけをはぐらかした。 それから暫くして私と斎藤は学生を卒業し それぞれの道を歩き出したが 彼との友情は切れる事無くずっと続いた。 ある日 斎藤から話したい事があるからと態々病院に電話があった。 私は彼からその話を聞いて驚きを隠せなかった。 日曜日 電話では聞けなかった事を聞く為 斎藤が初の個展を開いているという銀座まで出かけた。 久し振りの銀座は相変わらず人で賑わっていた。 斎藤は画廊の前で私を待っていてくれた。 「高峰!ここだ!!」 斎藤に応える様に手を振ると私は彼の所まで急いだ。 「久し振りだな」 「急に呼び出して悪かったな」 「いや・・・  個展を開いている間に一度は来ようと思ってたんだよ」 「そうなんだ・・・さ、中に入って」 暫くの間 斎藤に説明をしてもらいながら作品を見て回ったが 私は先日の電話での話が頭にチラつき作品に集中できない。 それを感じ取ってか斎藤が話しかけてきた。 「高峰、この間の続きなんだけど・・・  学生だった時に行った庭園を覚えてるか?」 斎藤はそう切り出した。 「庭園って・・・  君が美しいって言っていた人のことか?」 「ああ・・・  でも、女性の方じゃなくて・・・」 私は分かっていたが あの青年の事を口に出す事に罪悪感を感じており 言葉を濁した。 「・・・あの人たちの事か?」 「そう」 斎藤の声が小さくなる。 「聞いた話なんだがな・・・  あの時の女性は壬生伯爵の所に嫁いでたそうだ」 特に斎藤が興味を持つ事は無い話だと思うものの 何故そんな話をしてくるのか私には分からなかった。 「で?」 「何年か前にその人が亡くなったそうなんだ」 「亡くなった?」 「そうなんだよ・・・  あの人を描きたくて僕はその日が来るのを待ってた」 「それは残念だったな・・・」 「そうさ。  でも、話はそれだけじゃ無かったんだ。  秘密に出来るか?」 私は返事をする事を拒んだ。 秘密とはなかなか厄介なものだ。 だが 斎藤の口から思いがけない言葉が発せられ戸惑った。 「見たんだよ。  あの日一緒にいた青年を」 私は心臓が口から飛び出すのではないかと思ったほど驚く。 「そ、それで?」 「その壬生伯爵と馬車に乗ってたんだ。  で・・・」 「なんだよ?」 「女性だったんだ」 「女性?  そんな筈はないだろ」 「僕だってそう思ったさ。  でも見間違いなんかじゃない。  間違いなくあの時の彼だった」 「妹さんかお姉さんじゃないのか?」 「・・・そうかもしれない。で  も僕を見て驚いてた」 「驚いてたって・・・  君を覚えてたって事か?」 「そうとしか思えない。  だから本人だと確信したんだ。  なぁ高峰、あの時会ったのは確かに男だったよな?」 彼女を描けなくなった事で 斎藤は気が変になってるのではと思ってしまう私。 「間違いない。  青年だった」 「・・・もし、本当に彼だとしたら・・・  高峰、どういう事だと思う?」 「そんな事、私に分かりようがない・・・・」 そうだ 分かるわけが無い・・・・ だが その答えはいとも容易くに私の前に突き出される。 それからの私は 寝ても覚めても彼の顔が目の前にチラつき 仕事どころではなかった。 「先生?・・・高峰先生!」 「・・・どうした?」 「先生、最近変ですよ!」 「・・・・・変か?  考え事をしてただけだよ。  で、何か用か?」 「櫻井先生がお呼びです」 「もうこんな時間か。  ありがとう。  あっ、君、今から櫻井先生と出かけるから後を頼む」 私は上着と診療バックを持ち部屋を出る。 どこまでも白い壁の廊下を通り外へ出た。 どうして病院という所はこうも殺風景なのだろうかと 疑問に思いながら歩を進めた。 数日前 内科医の櫻井医師が私を部屋へ呼び 明日の患者は特別なのだと言った。 「その患者は・・・姿は女性でも実は男性なんだ」 『どういう事なんです?』と言おうとした僕は 斎藤が言っていた話を思い出した。 「どうした?」 「あっ、いえ」 「君に担当を代わってもらいたいんだ」 「私がですか?」 私はどうしたものかと悩んだが もし本当にそれが彼だとしたら 他の医師に彼のその肌を見せたくないと思った。 「わかりました。  ですが・・・・どなたなのですか?」 「壬生伯爵の奥方だ。  いや~良かった!  君ならそう言ってくれると思ってたよ。  明日の午後だ。  高峰くん、くれぐれも内密に宜しく」 その時の会話を思い出しながら櫻井先生と合流し 馬車で伯爵家へと向かった。 伯爵に挨拶を済ませると部屋に通された。 彫りの美しい扉が開き陽の光が部屋中を満たしていた。 と、そこに斎藤が言っていた・・・・・ 彼がいた。 彼の瞳が僕を捉え潤んでいく。 あぁ・・・・ やはりあの時の・・・ あの頃のままの彼がそこにいた。 まるでこの十年という時が 数分しか経ってないかの様な錯覚を起こす。 現実には彼の見かけは男性から女性へと変貌こそすれ 瞳の輝きはそのまま・・・・ 美しかった。 それは あの時に目に映った紅い椿のように艶やかだった。 「彼がお話した高峰医師です」 そう紹介され 私は彼の瞳から逃れる様に視線を反らせる。 それでも彼が僕を切なげに見ていたのも事実だった。 話が進むにつれ彼の顔色が変わり 今にも倒れそうなほどになる。 そして 彼の口からは思いがけなく私を拒否する言葉が発せられた。 『嫌です』と。 その場の空気が一瞬にして重くなる。 そうまでして私を拒否するのには何か訳があるのだろうか。 私はこの場に居たたまれなくなった。 あの日・・・ 確かに私と彼は出会っていた。 だが、単なる通りすがり・・・・ 彼は斎藤を・・・・ 違うのか? まさか彼は・・・ 私を見ていたと言うのか? 私を覚えていた? あまりの彼の動揺ぶりに伯爵が部屋に入ってきた。 「どうしたのだ、雅?」 彼の顔が引きつる。 私の顔を悲しげに見た後 傍にいた老女に身を任せた。 「奥様!」 雅・・・ 彼の名前は雅というのだな。 どのような事情でこうなったのか私の知る由もないが どう考えてみても普通では考えられない話だ。 伯爵は私に何か言いたげだったが 結局何も言葉にせず視線を床に落とされた。 彼は私を忘れてはいなかったのだ。 だから斎藤を見た時、驚いたのだろう。 それから何度 櫻井先生が説得しても 彼は首を縦に振ることは無かった。 自分の真の姿を知られるのがそんなに嫌だったのですか? 私はずっと貴方の事を片時も忘れる事無く想っていたと言うのに・・・・。 あぁ・・・・ どうしたら・・・・・ どうしたら 貴方にこの私の想いが通じるのだろうか。 貴方の身体を診れるのは私だけなのに・・・・・。 この十年 他の女性には目もくれなかった。 私はあの時 一瞬、隣を横切っただけの彼に恋焦がれてしまっていたから。 だが やっと出会えたと思えば彼は・・・ 貴方は私を受け入れることすらしてくれなかった。
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