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あれからどれ位経ったのだろうか。 私は現実から逃避していた。 そんな僕を心配して斎藤が訪ねてきた。 「どうした?」 ここ数週間でどれ程、その言葉をかけられただろうか・・・。 だが 私は彼だけには話さずにはいられず あの日あった事を全て話すと 斎藤は溜息をつき頭をかかえた。 「高峰、彼は君の事を好きなんじゃないか?」 そう言われて驚いた。 「・・・・・」 そういえば・・・ 伯爵の屋敷に行った時 彼の私を見る眼差しは普通ではなかった。 「何を驚いてるんだ。  話を繋げてみれば、そんな事わかるさ。  手術をされるという事は何もかも見られてしまうだろ?  きっと彼は君の事を想ってるから避けてるんだよ」 「斎藤、そんな事は有り得ない。  絶対に有り得ない・・・」 「おんな・・・いや、男心ってやつだよ・・・  高峰、もし彼を手術する時は  僕もその場に立ち会っては駄目だろうか?」 「突然、何を言い出すんだ?」 「彼の・・・というか・・・夫人の絵をいつか・・・  死んでしまったあの女性の代わりなんかじゃない。  君が想い続けたあの人を描いてみたいんだ。  君がどんな思いをしてこの十年過ごしてきたか僕はずっと見てきた。  だから、君と彼が一緒にいる姿を目に焼き付けておきたいんだ。  どうだろうか・・・・駄目かな・・・・?」 「斎藤、彼を私が手術をする事は無いと思う・・・・」 「だから、する時でいいんだ」 「そんな約束は出来ない。  もし、君の言う事が当たってるとしても  私が手術する事は無いだろう」 約束というものも秘密と同じで厄介な代物だ。 簡単に約束などしてしまうと悲しい結末が待っているだけだから。 「さあ、そろそろ帰ってくれないか?  高峰、私はもう大丈夫だから・・・・」 そう言って私は斎藤に笑って見せた。 ―徒花― その夜、私は彼の夢を見た。 あの庭園で僕と彼は見つめ合ったまま通りすぎる。 手を触れる事も無く・・・・ 「君!」 思い切って声をかけたが 彼は笑う事も無く紅い椿の中に消えていった。 私は彼の名を呼び続ける。 「雅!・・ま・・さ・・・さん・・・」 ・・・この腕に抱きしめたい。 抱きしめてこの想いを伝えたい。 彼の夢を見た日からほどなくして 櫻井先生が沈痛な面持ちで私の所にやってきた。 「高峰くん、壬生夫人の事なんだが・・・」 私はその名を聞き身体が震え出す。 「私はもうすぐドイツへ旅立つ。  でも夫人の容態は思わしくないんだ。  それが心配で・・・・」 「櫻井先生」 「君に頼むしかないんだ。  君なら安心して任せられる」 「でも・・・夫人は私を拒んでおられます」 「そこが解せないんだが。  君は夫人と知り合いなのか?」 「いえ・・あの時、初めてお会いしました」 私は胸の内を悟られぬ様 少し強張った表情で答えを返す。 「・・・夫人の我侭にも困ったもんだ。  私が伯爵に話してこよう」 その後 話がどうなったのかは分からないままだったが ある日、研修医が外科病棟に飛び込んできた。 「高峰先生!急患です!」 「分かった!今、行く」 「あ、あの、櫻井先生から・・・  高峰先生だけを呼んで来るようにと言われたんですが・・・・・」 「・・・私だけ?」 その時、彼が運ばれて来たのだと直感した。
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