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虚無と自暴自棄と
お題:宗教上の理由で小説新人賞
加筆修正あり
宗教上の理由でそうなった。
とれたのは新人賞である。だが、そうなるのも仕方がない。
なにせ主催者は自分だし、決めるのも自分。
結果発表はこの狭い自室。
ありがたいことに、競う相手などいない。それは当然だ、だって自分しかいないのだから。
心が折れてしまったのだ。
なにせイマドキの若い人は発想力が違うし、イマドキの年上というのは経験豊富で表現力の幅は自分とは段違い。
勝てる見込みもない。むしろ、勝ち負けなどという烏滸がましい行為が一端の自分には許されないのだろう。
会社の合間に、通勤時間に、無料動画サイトやらウェブサイトで小説家になるには! という方法を調べたし、教本というのも、いくつも手に取った。
書けば書くほど誤字を恐れ、言い方が間違っていないか恐れ、伝えたいことは伝わっているのかという恐怖に怯えていた。
ぷつりと糸が切れたようにやる気がなくなったのを実感したのは、液晶画面の向こう。まだ学生であろう顔が新人賞受賞と載っていた時だ。
割り箸を持つ手に力が入らずそれはカランカランと音をたてて落下した。
それさえも気にならず、もう弁当の味すらわからない。
時間が遅く感じられ、人の声は遠く遠くの方に聞こえる。その日はどう帰ってどう眠ったのかさえ覚えていない。
それから数ヶ月。
本を読むのも文字を見るのも嫌になった。……というのはあまりにも繊細だ。故に、心の安定を図り、そして”自身の宗教上”の理由としてこのような新人賞を頂戴したわけだ。
ホチキス止めのコピー用紙には、この度受賞した自作の小説が印刷されている。
印刷こそできたが、読み直すというのは、恐れている「確認作業」と同義なので恐ろしくて紙さえめくることができない。
即、思い出したくない歴史として脳に記録し、部屋の隅に追いやって再び日常に戻る。
それが数日前のこと。
その隠していた事がよりにもよって一番仲良しの友達に見つかり、今度こそ「自分は終わった」と直感した。
自分は夕飯を作っていたのだ。
いつもはうるさい友達が、何故か声をかけても静かだった。体調でも悪いのかと慌ててリビングに向かえば、闇に葬ったはずのコピー用紙を見つめているではないか。
部屋の片付け、という名目で遊びに来てくれたのだ。
そこに放置していた自分が悪い。
――……だが、見られたくない物を、よりにもよって大切な友人に見られた。と、いう衝撃の方がはるかに大きい。
今後、起きるであろう出来事への恐ろしさに声さえ出ない。
波のように押し寄せる罵倒への恐怖が頭を支配し、指一本さえ動かない。できることといえば、ただ友達を見つめるだけだ。
その友達といえば、黙々とその紙を見つめて一枚、また一枚とコピー用紙をめくっている。
そして、友達はこちらに視線を向けて一言。
「面白かったよ! 先生、続きは?」
ウソのない満面の笑み。
今度こそ何かを得たのだ。
受賞という安易な言葉では言い表せない無い、なにかを。
気がつけば声をあげて泣いていた。
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