ロザリオに口付け

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****  そんな訳で、私はトビアに守られて生活しているんだけれど。  トビアはまあ、人間社会のルールなんて知らない。  女の子がいたらすぐに夢に入り込もうとするので、私が銀のカフスを無理矢理付けて言うことを聞かせないといけなかった。実体化しても悪魔の弱点は銀なのには変わらないらしく、トビアは悲鳴を上げている。  夢魔ってなんだろうと思ってスマホで調べたら、やらしい夢を見せて、その欲望からエネルギーを吸う淫魔とも呼べる奴だと知ってげんなりした。  おまけにお金を使うってことがわからないから、コンビニで欲しいものを持って行こうとするので「お金を払いなさい!」とお小遣いを渡す羽目になり、スマホを覗こうとするので「人のプライバシーを覗いてはいけません!」とスマホの指紋認証に加えて、パスワードの強化まで設定する羽目になった。  どうしてこんなことになったの……私はげんなりとする。 「私の魂が欲しいって言ってたけど、それを上の人から命令されたの……?」 「そりゃそうよ。俺様は強い悪魔として、立派にアスデモウス様に使えないといけないからなあ!」  なんでこんなに上から目線でいられるんだろう。夢魔じゃない。  私がげんなりとしていたところで。トビアが「あっ」と明後日の方向を見た。 「なによ。もうなにもないよね。帰るよ」 「悪魔じゃねえか」 「……もう悪魔の気配は。あれ?」  普段は肌で悪魔の怖さを感じるのに、今は感じなかった。  そこへ走ってくるのは、ナイフを持った男の人だ。私は辺りを見回す。  人気がない。今、下校時刻なのに、こんな時間帯に人がいないなんて嘘でしょう!? 私は尚也にスマホで連絡をしようとするものの、手が汗ばんで上手くタップできず、とうとう落としてしまった。 「あっ……!」  悪魔の気配がしないのに、やっていることは悪魔そのものだ。でも、尚也に連絡を取れない。どうする、どうするどうするどうする。私が息を飲んだ中、トビアは冷静に「おい」と聞いてきた。 「あいつを倒せばいいんだよな?」 「だ、駄目だよ!? 悪魔だけ倒さないと……取り憑かれた人は、悪いことしてないんだから」 「そうかあ? 悪魔に憑かれてるのにいい奴なんているのかよ?」 「知らないよ、そんなの。ただ、私が嫌なの! 私のせいで人が死ぬのが!」  尚也が退魔師にならなかったら、私は普通に学校に通うこともできなかったし、悪魔を呼び寄せるってことで殺されてもおかしくなかった。  私の日常を守るために、人が死んでいい訳ないじゃない。私が言うと、トビアは「ふーん」とだけ言って、ナイフを持っている男の人の手首を掴んで、大きな音を立てて持ち上げる……この音、骨折れるんじゃないの? 「だ、駄目だからね! 殺したら!」 「じゃあさ、俺様がこいつの中の悪魔を殺してやるからさあ。俺様のカフスを外せや」 「……っ」  私は息を飲んだ。  尚也は、銀のカフスがこいつの霊体化を防ぐと教えてくれた。こいつが霊体化したとき……私の言うことを本気で聞くの? 魂を狙われたことを思い躊躇するけれど。  トビアは男の人がナイフを落としてもなお、容赦せずに手首を握っている。このままじゃ折れるどころか、千切れる。それは、駄目だ。 「……悪魔は人間のエネルギーを奪って力を得るんでしょう?」 「そうだけど?」 「……私のエネルギーをあげるから、それでその人を助けて」 「はあ?」  これは人工呼吸。人命救助……私のファーストキスじゃない!  私はトビアの胸ぐらを掴んで、無理矢理こいつの唇を奪った。喉の奥からなにかが吸われる感覚に陥るけれど、それを無理矢理トビアの口に押し流す。  唾液がトロリ……とふたりの間を流れた途端、トビアはにやりと笑った。 「……充分だ」  途端にトビアの姿は溶け、元の夢魔の姿に戻った。コウモリの羽根を羽ばたかせて、そのまま男の人の頭に手を貫く。 「ちょっと……殺したら……!」 「俺は霊体だ! 霊体で頭を突いたところで死にやしねえよ!」  トビアはなにかをわし掴みにして手を引き抜いた。それは、普段私が見ている悪魔とは違い、触手のように蠢いていた。 「……なに、これ……」 「普段人間に取り憑いている悪魔は、ベルフェゴールの管轄。こいつはマモンの管轄だ。こいつは、殺してもいいよな?」  私が頷くと、トビアは躊躇いもなく、触手に力を込めて、そのまま潰した。ブチブチと聞いてはいけないような音が響き渡り、私は気持ちが悪くなる。それにトビアは不思議そうな顔をして私の顔を覗き込んだ。 「……なによ」 「なぜお前は悪魔を殺すときにそんな顔をする? お前の敵じゃないのか?」 「私のせいでなにか死ぬのも、誰かが死ぬのも本当は好きじゃないよ。でも、私も死にたくないもの……ただ、今までは液体の悪魔だったから実感なかったけど、さっきの触手は生きてたのかなと思うと……ちょっと、ね」  我ながら甘いとは思うんだ。何度も死にかけているのに。トラックで撥ねられたら簡単に死ぬのに生きてるのは、ただ尚也が守ってくれたからだ。  ナイフでひと突きで簡単に死ぬ私がこうして生きているのだって、トビアが守ってくれたからだ。  トビアはわかってるのかわかってないのかわからない顔で私を丸い目で見つめたあと、にやりと笑って羽根を羽ばたかせる。 「俺様を呼べ、困っているんだったらな!」  私は目を瞬かせてしまった。これは、もしかして慰められている? 夢魔に認められても。そう思うけれど、なぜかむずむずとした感触が沸く。  これは嬉しいんだ。  悪魔に狙われるせいで、まともな人間関係を築けなかった私は、尚也が戻ってきて退魔師として私のことを守ってくれないと、それ以外の人とは付き合えなかったから。こうして私の生き方が認められたのが、少しだけ誇らしかったんだ。  ……でも、便宜上私の使い魔のトビアに言っても、調子に乗らせちゃうんだろうな。そう思ったら素直に本当のことを言う訳にもいかず、あっかんべえをした。 「だあれが呼ぶかぁ! ばぁか!」  私は悪魔に命を狙われて、夢魔と退魔師に守られている。  そんな奇妙で歪な日常は、まだまだ続く。 <了>
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