一話

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 昼は光、人の領域。  夜は闇、魔の領域。  瑞々しい木々の幹やつるりとした石ころも、全てが黒く塗りつぶされた頃。   牡丹は一人、村の外を歩いていた。提灯が淡々と歩く少女の姿をぼんやりと照らす。真っ赤な光は、知らぬものが見れば或いは、不気味な鬼火の誘いに映ったかもしれない。  踏みしめている道の両側には竹林が立ち込め、不用意に迷い込めば二度と日の下には出てこられぬような深みがあった。ぎいぎいと枝が不自然に揺れ、牡丹はふと立ち止まり周囲に視線を寄こした。  立ち並ぶ木々の隙間に、なにかがある。  黒々と大きいもの。  長い手足をもつもの。  無数の牙をもつもの。  異様の姿をしたものの姿が、闇に隠れて小さな娘を窺っていた。  足を止めたのは、ほんの僅か。幾多の気配に怯えもせず、牡丹はまた歩き出す。付き従う提灯の明かりが闇色を晴らすと、ざあっと気配も遠のいた。  怯えるように。  或いは、嫌悪するように。  遠巻きに何かが様子を窺い続ける中、牡丹はようやっと足を止めた。  古びた壁と傷んだ木の屋根。年季の入った家屋が、村の明かりも届かぬ森の中にひっそりと鎮座していた。  提灯を家に吊るすと、牡丹は引き戸に手をかけてがらりと開けた。 「ただいま、師匠」  居間に座り、行灯の隣で木綿の小袖を着流した若い男が、手元の本から顔を上げる。薄い金色の長い髪は首辺りで一つに束ねられ、背中に流している。女のように長い髪と細い体つきは村の男衆と比べたら頼りなさげに見えるが、ひょろりとした小柄の牡丹よりもずっと大人の、男であった。 「おかえり、牡丹」  本を置き、師匠の無月は菫色の瞳を緩ませ微笑んだ。同じように牡丹も無表情を綻ばせ、にこりと笑う。  何かあったかと聞かれ、無月のすぐ隣に座り込む。灯篭の悪戯を思い出し、牡丹はむっとした表情を浮かべた。 「また悪戯されてたよ。折角毎日火を灯しているのに」 「仕方がないさ、子供はそういうものだ」 「だからって、困るのは村の方なのに。意地悪ばっかりして好き放題言うんだから」  口をとがらせて文句を言う牡丹の頭に、ぽんと手が乗せられる。無月は子供をあやすように優しく頭を撫で、気にする必要はないよと囁いた。それだけで、ささくれだった感情が落ち着いてゆく。
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