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「うーん、この服はエルニース殿の黒髪には合っていないな。こちらも、あぁ、これもだ。まったく、贈り物も満足に選べない弟だったとは、お詫びのしようもない」
「そのようなことは……。謝罪など恐れ多いことでございます。どうかおやめください」
「これはすべて持ち帰ろう。代わりにわたしが選んだものを持ってくるから、それで許していただけないだろうか?」
「え……? いえ、殿下に何か賜るというのは、さすがに、」
「弟のしでかしたことへの詫びだと思ってほしい。兄として誠心誠意お詫びしたいのだよ、エルニース殿」
穏やかな雰囲気の緑眼で微笑まれながらそう言われたら、拒否し続けることはできなくなってしまった。
ハルトウィード殿下にお返しする衣装を受け取りに来た使いは、なんと第一王子であるウィラクリフ殿下だった。
まさか王太子殿下が屋敷へいらっしゃるとは想像もしておらず、出迎えた執事のジルバートンが珍しく慌てふためいたとしても仕方がないだろう。わたし自身も驚きのあまり挨拶することを忘れ、「え?」と呆けてしまった。
そんなわたしの不敬にも殿下は「突然来て申し訳ない」と微笑まれ、「弟はきちんと謝罪していないのだろう?」とおっしゃり、「兄であるわたしが代わりに謝ろうと思ってね」と、手土産と呼ぶには豪華すぎる品々を近衛兵に運ばせた。
そうして状況を把握できないままのわたしと応接間に入られた殿下は、返却する箱を開け、中身を確認しては「ハルトの趣味がこれほど悪いとは」と眉を寄せたり苦笑したりをくり返していらっしゃる。
殿下の来訪をジルバートンから聞いた父上は、今度こそ卒倒したらしく寝室から出てこられなくなってしまった。そんな不敬にも殿下は「これではハルトと変わらなかったな」と微笑み許してくださった。
「いや、本当に申し訳ないことをした。つぎからは事前に使いを出すことにしよう」
(……いま、つぎって……?)
「殿下、つぎ、とは……」
聞き間違えかと思い、失礼だとわかっていながらも聞き返してしまった。
「しばらくの間、こちらに通わせてもらうことにしたのだよ。迷惑かもしれないが、これもお詫び行脚だと思って受け入れてほしい」
「いえ、殿下にそのようなことをしていただくわけには参りません」
「第一王子であり王太子であるわたしが詫びのために足繁く通えば、エルニース殿への風当たりも弱まるだろう?」
「殿下……」
「弟であるハルトの尻拭いをするのは、兄であるわたしの役目だと思っている。父上も今回のことには大層頭を痛めていらっしゃってね。さすがに国王である父上が直接お出ましになるわけにはいかないが、代わりにわたしが誠心誠意、通わせてもらうことにしたんだ」
殿下がにこりと微笑まれた。
正直、そこまでしていただかなくても、わたしはまったく気にしていなかった。元々社交界に出ていないから風当たりを実感することはない。たとえ社交界から声がかからなくなったとしても、大して影響のない家柄でもあった。
しかし、そこまでおっしゃってくださる殿下のことを無下にはできない。お断りするなど恐れ多いことでもある。きっと父上も同じ考えだろう……、そう考えたわたしは静かに頭を下げ、了承の意をお伝えした。
それからというもの、ウィラクリフ殿下は五日に一度という頻度で屋敷にいらっしゃるようになった。最初は姿を拝見するだけで卒倒しかかっていた父上も殿下の気さくな人柄に慣れたのか、いまでは少しばかりの会話を楽しむ余裕が出てきたように見える。
こうして少しずつ慣れてきた殿下の来訪では、恐れ多くもわたしが殿下のお話相手を務めることになった。
まず殿下と父上が挨拶と少しばかり話をし、その後は父上が退室して殿下の向かいにわたしが座る。同じテーブルに座るのは本来の家格から言えば許されないことだけれど、殿下に「私的なことだから気にする必要はないよ」とおっしゃられてはお断りすることもできない。
これまで貴族の方々と話をする機会がほとんどなかったわたしは、王太子である殿下と何を話せばよいのか随分戸惑った。ハルトウィード殿下のように退屈させてしまうのではないかと悩みもした。しかし、そんな杞憂は最初のうちだけだった。
たまたま街で流行っている本のことで話に花が咲いてからは、気後れすることなく言葉を発することができるようになったのだ。これまで気づかなかったけれど、どうやらわたしは本の話になると臆する気持ちが消えてしまうらしい。
(そういえば、学舎の教授たちとは普通に話をすることができたな)
学友と呼べる人たちはできなかったけれど、教授たちとは楽しく話をしていたことを思い出す。
「それにしても、エルニース殿は博識だね」
「そんなことはございません」
「それだけ異国の本も知っているなんて、王城博士のご老人方にも負けないんじゃないかな」
「それは過分なお言葉かと存じます。我が家には、昔から本の収集癖があるだけですし……」
我が家が“学者もどき”と呼ばれるようになったのは、曽祖父の代あたりからだ。
貴族でありながら、学者のように本を収集する家だと陰で蔑まれていることは知っている。そのせいでいつも金銭的余裕がなく、父上と母上が結婚したときには「身分違いの恋」だとか「金目当ての結婚」などと陰口を叩かれていたことも、少し大きくなってから知った。
実際、王女殿下のお相手をするほどの身分だった母上は、多額の持参金を持って嫁いできた。けれど父上は、それを後ろめたくも卑屈にも思っていない。正真正銘の大恋愛で結婚した二人にとって、そんな陰口は気にもならなかったのだろう。
「一つの道を極めるというのは、そう簡単にできることではない。学者よりも学者としての知識が深いということは誇るべきことだよ」
「……ありがとうございます」
殿下の緑眼に優しく見つめられ、気恥ずかしくなる。
(殿下の眼差しは、いつも穏やかでいらっしゃる)
ふと、同じ緑眼をお持ちのハルトウィード殿下はどうだっただろうかと思った。
(……思い出せない)
豊かな金髪に緑眼の美丈夫だったという印象はある。しかし、具体的に思い出せるほどハルトウィード殿下の顔を覚えていないことに気がついた。
(これでは、婚約破棄されても仕方がない)
いまさらながら婚約者としての自分を思い返す。だからと言ってどうすればよかったのかは、わからないけれど。
「そうだ、つぎは千夜物語の本を差し上げよう。ちょうど姉上にお願いしていた本が届いたところだ」
「そのような異国の高価な本を賜るわけには参りません」
「念のためと二冊お願いしていただけだから、一冊はどうせ余る。それなら大事にしてくれる人に持っていてもらうのが、本にとっても幸せだろう?」
「いいえ、これ以上の賜り物は分不相応かと存じます」
「王宮博士のご老人方よりも本を愛しているきみにこそ、相応しいと思うのだけどね。それに今回の本には、それは美しい挿絵が入っているんだ。見たいとは思わないかい?」
(美しい、挿絵……)
挿絵入りのものは、基本的に本を作った国にしか出回らない。数も少なく、滅多なことでは見ることが叶わないものだ。それが見られるとしたら……小さな欲望が頭をもたげる。
それに千夜物語の挿絵は、小さい頃から見てみたいと思っていたものだった。叶うことなら、一度でいいからこの目で見てみたい。
(……見たい。一度でいいから見てみたい)
「……あの、拝見するだけでも、……よろしいでしょうか?」
「もちろんだとも。……ふふっ、エルニース殿は本のことになると、まるで子どものようだな」
「申し訳ありません……」
「責めているのではないよ? 美しい顔が子どものようにほころんで、なんと愛らしいものかと毎回見惚れているんだ」
愛らしい……、そんなことを言われたのは初めてだ。いや、小さい頃は父上に言われていたし、母上も言ってくれていたのだろう。しかし成人を間近に控える十七歳の男が言われるのは、さすがに恥ずべきことではないだろうか。
「恐れながら、愛らしいというのは少し……」
「エルニース殿は美しいだけでなくたいそう愛らしい。それに物事をきちんと見て考え、知識欲もある。こうして時を忘れて楽しく話ができる相手に出会えたことに、わたしは感謝しているんだよ」
殿下の穏やかな笑みを見たら、否定しようと思っていた口も閉じざるを得なくなった。
こうしてウィラクリフ殿下のお詫び行脚という来訪は続き、いつの間にか五日に一度だった間隔も三日に一度になっていた。
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