私の先生

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 いけない。さっき浮かんだ表現の内、まだどちらを言うか決められていない。  ええと……と口籠る私をにっこりと見つめながら先生が待ってくれる事は“嬉しい”でもあり“緊張”でもある。  思いついた表現が二つある事と迷っている事を正直に伝えよう。そうすれば、少し時間が稼げるはずだと考え発音しようとする私を、スケジュールを通知するアラームが遮った。この音は“好きではない”。 「嘘!? もうそんな時間!? 嗚呼、ごめんねテオ。今日はいつもよりミーティングの時間が早いんだ。マノンの実験が佳境で、チーフもなんか立て込んでるとかで。でもそんなの知らないよね? 第一、健康管理だか懐古主義だか知らないけど、生身で参加っていうのがさぁ」  後は私が、と本当に言いたい方ではない事を選択し、大慌てで支度をする先生が倒しそうになったマグを受け止める。 「ああ、ありがとう。君達に次のスケジュールを読み上げさせたがる奴らが多いけど、やっぱりあれは無粋だよ。せっかく君と楽しくお喋りしているのに『お時間です。準備をしてください』なんて急に言われたら僕は泣いてしまう!」 「私は、そんな風には言いません。先生が喜ばないと学習したので」 「流石! それじゃあ、悪いけど任せるね。あと、やっぱり今日の午後は来られないや。ごめんね。良い子にしてるんだよ」 「分かりました」  先生が忘れ物をしていない事を確認してから扉の前まで見送りに行くと、くるりと振り返った先生が私の頬にキスをする。二十一日前まで、お別れの時にするスキンシップはハグか頭を撫でるかだった。 「また明日。僕のテオ」 「また明日。先生」  僅かな動作音を立てて閉まった扉の先に先生が消えて行った。残された部屋で一人、私は先生との約束を守る為に片付けをはじめる。  纏める為に手に取ったケーブルがテーブルや床にぶつかった時の軽やかな音。トレーにマグやその他の器具を集めた時にする金属的な硬質さを感じる音。  種類の異なる細やかな音達は、二日前に先生と一緒に同じ作業をした時は“小人の行進曲”(先生はこの表現をとても喜んでいた)のように聞こえたのに、今はただ物体が接触する音としか認識できない。  片付けをする間、先生の粘膜が微かに触れた私の頬に向けて『清掃』の指示が出ていたけれど、それに対して選択された『もったいない』の方を私は優先した。育てないと決めたばかりの感情だけれど、先程のものと違い、これは取って置いても良いはずだ。  だって私は、この“もったいない”がとても“正解”だと判断しているから。
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