22人が本棚に入れています
本棚に追加
「人間がいないから……なんだというの」
小夜が問う。
──答えは簡単、人が少なすぎてもう人類に集合的無意識がほとんど消滅してしまった……個人個人の無意識すら枯渇が急速にはじまっている。あたしを殺すのはかまわないの。でも、たぶん、あなたは夜、睡りのときに夢を視なくなるわ。無意識や集合的無意識を持たない、衰弱した人間なのだから。
だから、それがなんだというの、と小夜は繰り返す。
──道 化達はもうこの世界に見切りをつけているようね。あなたのように、地上に「存在することへの憎しみ」を抱いた者を陸続とこの世界へと誘導してくれる。無意識の層が希薄になり、元 型が無意識の世界から意識の世界へと、あたりまえのように地上で存在している世界。精神分析や心理学的なテーマ・パークと化した、とりわけユング心理学に興味をお持ちなら、さだめし興味深い世界だと思うわ。さあ撃って、もう太 母はこんな子供にまで退行したあたし一人なのだから。
小夜は歩哨を殺害したのと同様、人類にとって最後の太 母を殺すのにためらいはなかった。跳弾を恐れずに、数発AK-47アサルトライフルを撃つ。胸の辺りに着弾し、いつか観たサム・ペキンパーの映画のようにスローモーションで壁に叩きつけられる。
その瞬間だった。
小夜の心の変化が起きた。
無意識や集合的無意識のような、不可視の繋がりが消えてしまっていた。
これがどのぐらい辛いのかは、小夜も予測していなかった。あれだけ滾らせていた、存在そのものへの憎悪、世界への憎悪が気味の悪いほど消え去っている。かといってだからよかったわけでもなく、なにもかも意味を剥ぎ取られた痛苦しかない。
混擬土の破片で組み上げられた尖塔が振動している。
ガーベラの花だったリストカットの傷が元に戻り、おびただしい血が吹き出した。
小夜は尖塔の崩壊から逃げる気も起きなかった……。
最初のコメントを投稿しよう!