神殺し II

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神殺し II

 フリードリヒ・ニーチェが『悦ばしき知識(ゲイ・スキエンツィア)』や『ツァラトゥストラかく語りき』で「神は死んだ」と宣告したのは、単純に創造主一人に向けて書いたものではない。むしろ、キリスト教やその神の超克(ちょうこく)を当時の人々に伝え、能動的虚無主義を生きよ、そして超人たれ、というメッセージだったのだ。  それは非常に発出が遅いメッセージであり、また、受容のされ方も誤解に満ち満ちていた。人格神である神が死んだ、という意味ではなかったのだから。  神という攻撃目標は老いて死んでしまい、そのような世界から抜け出せ、というある意味で人類への愛情に富んだ箴言(しんげん)である。  このニーチェの言葉(ロゴス)に準備されたと表現してもいいロディの神殺し、もうすでに人類の世界は活力などないに等しい。あるのは停滞もしくは狂い咲きの両極端でしかない。  「でも……」  と有馬(ありま)小夜(さよ)はタブレットに向かって話しかけた。  「神様、そういう万能の創造神、唯一神がいるとして……あ、いたとして……万能であれば、『自分の存在を完璧に消す』ことも可能よね。非在という可能性だってあるのでしょう?」  それは確かにそうだ。神はニーチェの断定とロディの狙撃とに、その効果があったかのように振る舞っているだけなのかもしれない。だがそれはつまるところ「神は死んだ」と表現しておかしくはないと思う。  「死んだと言われて死んだように振る舞い、実際に撃たれてまたさらに死んだように振る舞う……」  そう、と「声」はタブレットから小夜に話しかける。  ──小夜が見た戦車や、核爆発の爆心地(グラウンド・ゼロ)などで戦争があったのはわかるかもだけど、その原因はこの神の死に他ならない。  誰も当時指摘する者がいなかったけれど、神は死に、同時に人間の意識や無意識にも多大な影響があったんだ──。
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