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歩哨
あれは悪しき魂が地上へ蘇生した一例だ、とタブレットに表示される。タブレットは完全防水のおそらくは軍用のものだと思われる。
地図には、すぐ目の前に架かっている橋にAK-47アサルトライフルを持った歩哨を表す光点が赤く点滅している。
あの歩哨の喉をカッターナイフで切ってもらいたい。
できない、と言っても無駄だろう、わたしは歩哨の命を無造作に奪うだろう、と有馬小夜はなぜか受け入れ、なおかつ何の意味があるのか涙さえ浮かべていた。
「声」が指示するように、河の曲がり角から静かに橋へと進み、ところどころで呼吸のため、口や鼻が出るよう動く。河のなかには金魚や麦魚が泳いでいる。おそらくは大して周囲を警戒していないのだろう、歩哨は川面には興味がないようだった。
よう、大将! と「声」はリアルの音声で声をかけた。
だが、その姿は透明のまま……歩哨の口を塞ぎつつ、河に飛び込んだ。
小夜は念入りなリハーサルでもあったかのように高雅ですらある動きで歩哨の喉をかき切った。歩哨の眼が虚空を見ているように胡乱になり、即死した。
AK-47アサルトライフルを反射的に奪い、死体がそのまま河を流れるのを見ながら、小夜はなぜか自分が後戻りできない存在であることを悟った。
「声」がタブレットにメッセージを寄越す。
──ここからはもう太 母へはあっという間だ。
タブレットに小さな家のなかに大きく、そして光点が激しく点滅している。
太 母……子供たちを血が滲むほど愛し、その子供がなにか失礼な、あるいはなにか被害を受けたときには恐ろしいまでの狂神となる、その母性の元 型だった。
パソコンのメイン基板がマザー・ボードと呼ばれ、SF小説などで都市や宇宙船を制御する大型コンピュータがマザー・コンピュータと呼ばれ、また地域、職種、教養によっては妻のことを「母ちゃん」と呼ぶ……のは理由のないことではない。
そして結局、太 母は、自身の子供を真綿で包み窒息させるような愛憎を世界じゅうに撒き散らす……。
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