私のネコ

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 私はネコを飼っている。 「ネコ、こっちにおいで」  そう手招きすれば、彼は黙って二足歩行でこちらへと歩いてくる。  ネコ、という名の彼は、ヒト科に属するホモ・サピエンス、つまりは人間だ。二十歳であると自称した彼は、数日前からこの部屋に住み着いている。  私の座るソファーに近づいたネコは、私に促されるまま私の膝に頭を乗せた。猫っ毛の髪の毛がふわふわと気持ちいい。  私はネコをとても気に入っていた。私のお気に入りの空間に騒音を運ぶこともなくおとなしく過ごせて、躾しなくても一人でトイレができて、部屋を綺麗に保ってくれる。とても優秀なペットだった。  ネコとの出会いは男女が入り混じった飲み会だった。居酒屋の前で二次会の場所についてダラダラ喋り込んでいる集団を横目に帰ろうとした私を、彼が追いかけてきたのだ。  帰る場所がない、と彼は言った。何かから隠れるようにパーカーのフードを被っている彼はひどく小さく見えて、飲み会の最中では席が離れていたせいでほとんど話す事もなかったのに、私は本名も素性も知らない彼を家に連れて帰った。名前を訊ねると、彼は言った。――あんたの好きな名前を付けてよ。 「ネコ、今日の夜ごはんは何にしようか」  世の情勢を流すテレビのニュースを眺めながら私が問うと、ネコは私の膝に頬ずりをし、目を細めて微笑みを見せた。  私は八歳年下の彼をネコと名付けた。ネコはペットらしく飼い主のテリトリーを守り、指定された自分の居場所だけで静かに暮らし始めた。  当然だけど、ネコは人間と同じ物を摂取する。二人掛けのダイニングテーブルに私が食事を準備すると、ネコは黙って椅子に座る。いただきます、を言わない代わりに両手をきちんと合わせ、箸を使ってご飯を食べる。箸の使い方も茶碗の持ち方もその辺の人間よりもずっと綺麗だった。  食事を終えても彼は食器を洗うような事をしない。その他家事をする事もない。私はそれに対して不満はない。なぜなら、彼はペットだから。  八歳のころ、私は猫を飼っていた。  ネコ科ネコ属に分類される、全身茶色の毛を持った、どこにでもいるイエネコだった。  本当は飼うつもりなどなかったのに、家の前で行き倒れていた猫に餌付けをしてしまった事で半ば強制的に飼う事になってしまったので、母は猫に名前を付ける事を禁じていた。  学校から帰ってきた私がランドセルを背負ったまま猫に手を差し出すと、猫は手のひらに頬を寄せて、ミャー、と鳴いた。頬や喉元を撫でると目を細め、喉を鳴らした。  どうするの、と母親は困った表情を浮かべて私にぼやいた。そんなに可愛がってしまって、猫がいなくなったらどうするの。  母の言葉が予言だったかのように、その後すぐに猫はいなくなった。どのような経緯で猫が姿を消したのか、私はあまり覚えていない。  いま私が飼っているネコはとても不思議な存在だった。  本物の猫のようにネコも夜行性なのか、私が出勤する朝にはソファーの上で丸まって眠ったまま起きる気配も見せない。その代わり、私が帰宅をすれば、玄関まで駆け寄ってくれる。  ネコの為に作り置いたおにぎりはちゃんと食べてくれているようで、おにぎりを包んだラップはきちんとプラゴミの袋に捨てられていた。躾いらずのペットはどこまでも優秀だ。  ネコと一緒に暮らし始めて三週間が過ぎたある日、予定になかった接待の仕事が急きょ入ってしまった。  どうしよう、と私は焦った。これまでに夜遅くなる予定があれば書き置きを残していた。多少の残業はともかく、食事を伴う接待となれば日が変わるのも必至で、しかし私はネコに伝える手段を持っていなかった。  残してきたものは、朝昼兼用のおにぎりだけだ。そこまで考えた私は、馬鹿らしくなって苦笑をこぼした。念のためにネコには合鍵を渡している。その気になれば、近くのコンビニにでも牛丼屋にでも行けるはずだ。ペットとして扱っているのは私だけで、彼はれっきとした大人の人間なのだから。  そこまで考えを及ばせた途端、心許なさが胸の隙間に落ちた。それなら、どうしてネコは私の家にいるのだろう。私に懐いているのだろう。  ネコはいったいどこからやって来たというのだろう。
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