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「あらあら~、可愛らしい猫ちゃんだこと。」 柔和な微笑みを浮かべる髪を結い上げた美しい女性が私の鼻をつついている。つつかれている私はおよそ可愛らしいとはかけはなれた不服な表情で女性を見つめ返した。 どうやら私は本当に猫になったらしい。 総と平八というお付きの男に発見された後、総が「連れて帰ろう」発言し、その腕に乗せられたまま大きな見覚えのあるお屋敷に連れてこられた。中に入ったのは初めてだが、総の家であることはもちろん知っていた。 そして目の前の麗しいご婦人の名も存じている。この人は総の母親でこのあたりで一番の美人とされている華恵だ。以前会ったことがある。ふわふわとした少女のような雰囲気の方で、「総と仲良くしてくれてありがとう」と、今から考えるとその真意が知りたくなるようなことを私に言った。あれは本当に言葉通りだったのだろうか。それとも何らかの皮肉であったか。 (いや……、それはないな。) 「猫ちゃん、私のお膝の上へおいで。」 にこにこと両手を広げる華恵に、私はのそのそ重たい腰を上げていわれた通りにする。逆らう気はない。別に逆らっても殺されはしないだろうが、それより彼女のもつ清らかな強制力が私に人間としての尊厳を曖昧にさせる。 この人の魅力はどこまでも心が澄んでいること。だから有象無象の凡人には出せないような場を圧倒する威厳を持っている。そんな華恵が息子と遊んでくれて嬉しいと言ったなら、そのままの意味なのだろう。 「奥様、お召し物が汚れてしまいます。」 「もう、タエは心配性ねぇ。この猫ちゃんは暴れない大人しい猫ちゃんなんだから大丈夫よ。ねぇ?」 『猫が暴れなくても、毛はつきますよ。』 つい真面目に答えてしまった。しかしそんな私の声はにゃあと変換されて聞こえているらしい。奥様に賛成してしまう形となり、タエという女性に睨まれてしまう。ちょっと心外だ。 「母さん。」 「あら総、お帰りなさい。」 「ただいま。」 私を屋敷に連れてきた後どこかへ消えていた総が障子を開けて顔を出した。成長した総の顔を明るい場所で見るのははじめてだ。思わずまじまじと食い入るように見つめると、総とバッチリ目があってしまった。 『あっ。』 思わず(鳴き)声を上げた私に総は目を細めて微笑む。その笑顔は華恵に似ている気がした。 「その猫を僕の部屋で飼っても?」 「あらダメよ。ここにいてもらわなくちゃ。もうすっかり猫ちゃんの虜になってしまったわ。」 「へぇ、数多の男が虜になった美女を虜にしてしまうとは。」 「上手いこと言うわね。」 華恵は息子の言葉に口に手を当て愉快そうに笑った。ひとしきり笑い、困ったように小首をかしげる。 「でもダメよ。この子の愛らしさに仕事ができなくなってしまうわ。」 「……それはそうかもしれませんね。」 再度断られても総は落ち着いた声でうなづく。 「お礼にこれを買ってきたのですが、出番無しのようですね。残念です。」 そう言って袖から取り出したのは小さな紙袋だ。私は食べたことがないが、裕福な家で好まれている銘菓としてその紙袋だけは知っている。 「あら、金平糖じゃない!」 「ええ、母さんの大好きな金平糖です。でも残念です。せっかく買ってきたのに。」 「奥様、猫を総様にお渡しになって、金平糖を頂いてください。猫には屋敷にいたらいつでも会えます。」 先程から私を快く思っていないタエが、ここぞとばかりに総の提案を支持する。 当の猫(私)は置いてけぼりくらっているわけだが、何か言ったとてにゃあにゃあと変換されるのでなす術がない。ここはタエにこれ以上悪印象を抱かれないように大人しくしておく。 「……はぁ、わかったわ。タエが賛成してくれなければちゃんも世話もしてあげられないしね。」 華恵があまりに寂しそうに私を撫でるので、思わずなにもしていない私まで悪い気がしてきた。 『またお会いしに来ます。まあ、自分でもこの状況をほとんど把握できていませんけど。』 伝わらないことは百も承知で華恵に声をかけると、 「ほら猫もこう言ってる。」 『えっ。』 「あら総、猫ちゃんの言ってること、わかるの?」 総を除くその場にいる全員が驚きの目を向けると総は私を持ち上げながらこう言った。 「この子も、僕のところに来たいって。」 ニヤリと嬉しそうに微笑む総に、冷ややかな顔をした私は抗議のにゃあをかました。
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