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5
それからどれくらい時間がたったのかわからない。猫に時間や日付を教えてくれる人間などいるはずもなく、数回お日様が頭の上を通過していったことはわかる。
結果から言うと、私はこの家に馴染んだ。それはもちろん猫として。名前もついた。
「ミケ。」
総が私の視線に気づいて書類から顔を上げて微笑む。
三毛猫だから、ミケ。世の中にありふれた猫の名前の凡例である。私はもともと人間だったこともあって、その事実を知っているため複雑な気持ちだ。
今の自分自身に対する評価は、「人間ではないなにか。」となっている。周囲の反応からして猫として目に映っているのは間違いないが、自分の目からは人の手足がついているし、普段着を着ている状態なのだ。常にちぐはぐで違和感がある。
「どうしたの? 遊びたくなった?」
『それは総がサボりたいだけでしょ。』
「ミケも遊びたいよね。」
筆をおいてこちらに歩いてくる。そしてもはや定位置となった総の膝の上に私をのせた。そして頭を撫でられる。その手の感触はずっと変わっていない。山で拾われた時のあの落ち着く温かさ。
私は仏頂面で上にある整った顔を見上げる。その優しい瞳にドキッとして、慌てて視線をそらした。
数日過ごしてはっきりしたことがある。私は幼いころから彼のことが好きなのだ。離れていた時間こそ長いが、その期間は思い出すのも辛い日々であるし、私の人生で唯一心を許せる人間が総であったのは間違いない。だから最期に会いたいと願った。そして懐かしい記憶と香りに包まれた時からだんだんとあの頃は名前も知らなかった感情を自分の中から見いだした。
自覚してしまったものの、気持ちを伝える術もない。私の立ち位置はあくまで飼い猫。のんびりと過ごし、気まぐれに飼い主に愛想を振り撒けばよい。その役割はやぶさかではない。私は別に恋人になりたいわけではないのだ。隣で過ごせる環境なのでむしろ役得である。問題はむしろ、
「ミケ、こっち向いて。」
大抵の猫好きの人間ならば、猫に対する表情は柔らかい。この世には猫なで声という言葉もあるように、声の調子は優しく目尻も下がり容赦なく甘い視線を向けられ続ける。
その対象が猫ならばいいが、自称人間で片思い中乙女の場合はかなり問題がある。異性としての好意はないのに、まるで恋人のように接せられるこの状況。いったいなんの苦行だ。
絶対に総が近づいてくる度に顔が赤くなっている気がする。こういう時には猫であることに感謝だ。顔はおそらく毛に覆われているので、間抜けた面がばれることはない。
『もっ、もう無理!』
ついに限界突破して総の膝から脱走する。
「あっ。」
「わわっ!」
偶然障子が開いたのでついているとばかりに飛び出したが、入室しようとした人間を驚かせてしまった。
「びっくりした! あの時の猫ですかい。」
聞き覚えのある口調。私がちらりと視線を後ろに向けると、こちらを見下ろす平八と目があった。山で拾われた日ぶりである。
「うん、そう。ミケって名前。だけどここ2、3日嫌われてしまってね。屋敷の外に逃げ出しはしないんだけど、僕が近づくと離れてしまうんだ。」
「何かやらかしたんすか。」
「いや、何も。」
「お仕事の邪魔になるようなら、俺が預かりますぜ。」
「それは駄目。」
総は笑いながらも珍しく強い口調で否定する。平八も少し驚いたようだったが、すぐに切り替えて、
「まあそろそろお時間なんで、準備お願いしやす。」
そう言うと、いつものように総が部屋から出て行き、私はその背中を見送る――はずだったのだが。
『うぐっ。』
「ミケも連れていこう。その方がいい。」
きらきらした笑顔を浮かべて総は私を捕まえ、そのままどこかへと歩きだしたのだった。
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