香り -Boy-

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香り -Boy-

 冴島コーポレーションの経営するのぞき部屋undo gunは大凡こんな感じに。  undo gunは冴島コーポレーションの保有する自社ビルの3階に有り、営業時間は9時から24時の営業時間。私は早番シフトで9時からの5時間のステージに入る。待機人数は了子マネージャー選り抜きの女性3人で、15分ステージ15分接客の30分1コマに当たり、9室の小部屋のお客さんを魅了する。  女性3人で10ステージを担当する事になり、必然的に1ステージ余る事になるが、そこはステージの内容・接客の対処・個室の整然具合から、エリートとしてリクエストされる。ここのリクエスト査定から適正具合を見られ、系列店行きかを判定される。私は盲であるに関わらずリクエストが多いので、比較的顔馴染みさんに入る。  ステージは、了子マネージャーとレイさんの丁寧な指導で、そのまま単純に耽るのではなく、魅惑的で高貴な演出で統べる。ここの上品さで、若さそのままのお客さん以外は自ら致す事は無く、魅了されたまま帰路に着くらしい。  接客は所謂ジョブの介助になり、ただ1ステージ多くて3人程だ。他の店では専門の女性が入ってジョブとマウスもらしいが、上品な顧客確保の為に、アーティストが心のからのサービスとして、パンツは履くもほぼ裸身で対処する。ただアーティストのタッチは厳禁で、不備があればコンシェルジュにど酷い叱責を浴びる。  盲の私に、そこ迄酷な事をさせるかになるが、そこは押上健次事坊やのコンシェルジュの支援が大きい。  了子マネージャーが総合的にブルー・アイド・ソウルをセレクトし、各人に与えられたセットリストに乗ったステージが無事終えると、切り替え早く接客業に向かう。直感、通路はやや広めで転ぶ事はない筈も、坊やさんが手を丁寧に引き、接客の個室にお姫様扱いの様に導かれ、教えられたテクニックでジョブを終えると、手早く次の接客に導かれ、トラブルは1度も無くスムーズに進む。  そう坊やさんは、私の一週間5日勤務の時のコンシェルジュとして勤めて貰って付きっ切りで、私のundo gun送迎も何ら不備は無い。信用としては自ずと日増し強くなる。  坊やさんはGメジャーの少年声に近く見た目も伴ってか人懐っこい印象を貰ってるらしい。あの直感凄まじい母梓でも、私がのぞき部屋undo gunでは無く、系列店のキャバクラ:ブライトシャトーに、よく磨かれた黒の日産のセレナで通っていると思う位だ。まあ母梓に聞こうにも、どうせ飽きるでしょうで、適度に相槌を打ってくれてるかもしれない。  そんな坊やさんも昔は、冴島了子さんの急逝した旦那さん今藤胤篤さんの舎弟で暴力団の構成員だったらしい。  旦那さん今藤胤篤は横浜三ヶ月抗争に巻き込まれ、当時のキャバクラ店舗放火でキャバクラ嬢を助けようとして、最後の一人として力尽きて死亡した。坊やさんはそれでも助けようと、燃え盛るキャバクラの熱せられて閉ざされたドアを必死になって開けようとしたが、願いは叶わなかった。  その坊やさんの熱せられた手は、今も紅葉の様な火傷として引きつっており、私は見えないものの、皆察して視線を外す様だ。  いや見えないものの、その引きつった両手は、日々丁寧に手を取って案内してくれるから、椿のハンドクリームの香りと共に、今日は調子が良いかな、乾燥する時期かなと言わずとも察してしまう。  ただ、余りにも手荒れが酷い時に、堪らず心配の声を掛けてしまった。 「ローズさん、お世話掛けてしまいます。僕の事はそれと無く聞いてしまうでしょうが、僕の心の痛みでも有りますので、そっとしてやって下さい。あの時、もう少し頑張っていれば、アネさんにここ迄働かせてしまう事は無いのですが。いやつい一言が多過ぎましたね、今度からは腕を引かせて貰いますので、お手を汚す事は決してございません」  良いのと同時に、坊やさんを堪らず全身でハグした。  感極まって言葉が上手に届いたか分からないが、私に痛みを隠さなくて良いです、日々手を繋いでいますから、私の男性への葛藤分かりますよね、の言の葉は述べた。私の両手に、坊やさんの涙が留めなく落ちた。そしてその繋いだ信頼そのままの手の絆は、それ以降も無事繋がったままだ。  そんな或る日の厄介な事が起きた。  最近評判の上がっている秋の演目のブルー・アイド・ソウル「Culture Club – Time」「Roxy Music - Jealous Guy」「Skylark – Wildflower」に合わせ終えた終演後、あの鬱陶しいダメカズの指名が入った。  ダメカズは、その昔は地元横浜の暴力団体の売り出しのやり手で、横浜三ヶ月抗争で地元横浜の暴力団体が解散となってから、女に酒にジャンキーと身持ちを崩しては煙たがれた。ただ元の所属先がそれだった為に、事前に付け届けで追い返されてはいるらしい。  最近、ふとundo gunに流れて来てはいるらしいが、振る舞いは普通だったので、いざだけは警戒されていた。それが私とあって、坊やさんは3つの注意があって、完全に見張られては、個室の扉は開けられたままにジョブに応じた。  ひやりと、氷の様な右手が左胸を揉んだ。その冷たさと、女子の吐息がつい大きく吐いてしまったの漏れ無くの1秒後に、酒臭いダメカズが廊下に引き摺りだされ、坊やさんの激情の声が迸り、5秒後に沈黙した。坊やさんの手の肉付きから隠れた筋肉質とは察していたが、こうも早く落とせるとは思いもしなかった。  その日はパトカーのサイレンも無く、内々に事は済ませたのかはあった。  その日以来ダメカズの事は、ダが出そうな瞬間になると察せられて、とっておきネタに持ち込まれる。私の扱いはそこ迄繊細にされなくてもだった。  そして1週間が過ぎての、送迎が私しかいない時に、お昼を坊やさんのお姉さん波乃さんの経営する港町のスペインバル:ソル・デ・バルセロナをと坊さんにおねだりした。条件は長くて1時間と体型は維持して下さいねと短く返された。  ソル・デ・バルセロナの話は、坊さんの同級生で、undo gunの仲間の雪野旭事アッキーさんからの話の流れで、相当仕込みが手の込んでるとの評判だった。  確かに全て美味しく、香辛料が素敵と感情そのまま波乃さんに伝えたら、話の華が咲き、どんな拍子かつい押上家の深い話になった。  押上健次事坊やさんは、高校サッカー経験者でJFL相模原のフォワードも伸び代が見込めないと2年で契約終了になり、不景気でやさぐれていたところを今は亡き今藤胤篤さんに、懇切丁寧に仕込まれたらしく、その恩情は今も尚で、了子マネージャーにしがみついてるらしい。  そして押上波乃さんもやや波乱で、坊やさんが暴力団体の構成員になった事を、当時大手コンビニのフードコーディネーターで精勤していた時期に、定期内部審査で引っ掛かり辞職勧告を申し渡されたそうだ。ただその後は生来の味覚を生かすために、スペインのバルに武者修行して確信を得ては横浜に戻りソル・デ・バルセロナを開店させたと。  人生ままなりませんよねも、出会いがたくさんあるからプラマイのプラス1.5位が人生充実するものよだった。  そして今日女子二人きりの時に立ち入った。坊やさん、健次さんは…で波乃さんに一息置かれごく丁寧に手ほどきを受けた。 「分かるけど、麻美さんのお気持ちって、健次がいつも手を引いてくれるから、気持ちもつい一緒になってしまうだけかと思うの。この先もずっと健次がいてくれたら安心とお思いでしょう。でもね、今の健次って思った以上に我武者羅なのよ、何処かでぷっつり切れたら、その時は麻美さんに大迷惑が掛かると思うのよ。面倒だけど、今の良好な関係を暫し付き合ってやってね」  波乃さんは味方の筈も、かなりがっかりの答えだった。私は感情を漸く露わにして、アッキー、いや旭さんは良くて何故私は駄目ですか、やはり盲だからですかとつい出てしまった。  波乃さんは激しく首を振った筈だ。旭さんは確かに同級生で恋人でそれ以上の関係だったが、旭さんが派遣切りで仕事にあぶれた時に、流れた先がどうしてもの冴島コーポレーションに辿り着いてしまったと。  坊やさんは商品に手を出すなときつく先代から言い渡されてるから、今はアッキーさんとのアフェアも無いから悋気を出さないらしい。そしてそれは私にも当てはまる。若い男性って、そこ迄我慢出来る筈も無いのだが、義理と信頼こその世界で生きていると、律せられてしまうものだろうか。  そして敢えて整然とした足音聞かせる坊やさんが戻ってきた。もうお時間ですよと、新たに塗り解した椿のハンドクリームで手を導かれ、送迎の仕事に戻った。  引かれながら思った。この死線を垣間見た両手に、感度の高い女性自身に触れられたら、その痛切さが伝わるものだろうかと。だがその思いは、私が同僚で有る限りきっと叶わない事だろう。でもそれは坊やさんも同じだろう。  出会った時から、私の手を握った時に、坊やさんの体温で椿のハンドクリームが揮発し、艶かしい香りを醸し出す。それもまた至上の愛と、今は読めぬ世界の文芸作品の一作として描かれている筈だ。でもいつか、それは私が一次回答を見つけ出してみたいと願ってる。
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