語らい -Congratulations-

1/1
前へ
/7ページ
次へ

語らい -Congratulations-

 十代最高の疼きが、春の香りが鼻腔奥まで残る5月にピークを迎えた。  初めての経験は千早先生で、恋愛感情も何もなく性交に至った。14歳のあどけない少女にその感情が順序立てて組み上げる事もなく、男女の究極の愛の形は、崇高な芸術への憧憬を経ての到達かだった。ただ私は疑心暗鬼で未だそこに到達していない。  相手をぼかして恋愛遍歴を語ると、揃ってそれは搾取で凌辱と、何故か私が怒られた。ピアノの先生で普段はスノッブだと言っても、何も分かってくれないのだった。  盲であるが為に、男性の猛き箇所は感触しかない。あと5年程失明が遅かったら、人並みに男性自身が愛おしいまま、記憶に底に収まったかも知れない。  undo gunの接遇ではジョブもお仕事なので、男性自身とは柔なソーセージでは無いのかと、日々上書きされて行く。  それが酷い夢の中では、仄暗い何かとなって、子宮のあたりがジーンと来ては、つい下着を汚してしまう。母梓は何も言わず身支度してくれるものの、ここかのやんわりのタイミングでお見合いの話がつい出てしまう。この平成の御世で10代の盲でやや美人と囁かれるも、そんなの現実的でないでしょうと、食事の会話はパタリと止まる。  undo gunのステージは皆一様に演出も、私は図らずも3ステージ目に上がると、いつ知れず身についたか、心では歯止めしても果ててしまう様だった。皆からどうしたのと声を掛けてくれるも、一から話すと長いのでこういう日も有りますで躱していた。  ただこの疼きはずっと続くのかと、お馴染みの仲間に相談されると話が広がるので、系列店を渡り歩いてるサバサバとした蝶野静留事チルさんにそれとなく相談してみた。チルさんは私と同じく高校卒業後就職はすれどやり甲斐を見つけられず夜の世界に入った20代後半でも大先輩だった。  Dメジャーキーで言葉も澄みやかなチルさんは切実に語る。 「それは相談相手が私にもなるでしょうね。うっかり公私共のパートナーのレイに相談しようものなら、レイの完全主義そのまま、どんな満足させるかのディルドずらり揃えて、ローズが殺生になるもの。とは言えピアノに打ち込んだらなんて、初体験を延々引っ張る事になるし。スポーツで憂さ晴らしも、それは昭和の熱血かよね。そうだ、ギャンブルどうかな、パチンコだと、あの賑やかさでは絶対音感で絶対うなされるでしょうし。そう競馬良いわね。クレジットカードの特典で指定席もほぼ取れるし、ねえ行こうよ、ローズ、がっつり当ててフルコース頂こうよ」  結局、日々ギャンブルでヒイヒイ言ってるチルさんの趣味に相伴となった。されど競馬にそこ迄払拭する何かがあるとは思えなかったが、しっかり楽しんでしまった。  府中の東京競馬場は、G1の東京優駿事日本ダービーとあって、朝からただお祭りそのものだった。昔はそれこそ張り詰めた雰囲気だったが、日本競馬協会の日々の努力で家族も安心してこれるレジャースタジアムに変わったらしい。私が盲でチルさんに手を引かれ、白杖を手にしてものか、込み入ってるの自然と道が開かれ、何かとエンジョイ競馬と笑み掛けられる。気分は当然上がる。  その効果かどうか、パドックに行って、競走馬の状態を伺いたいとチルさんのお願いして勝ち馬予想に入った。その時迄7戦で5つの連勝に絡んだ事から、チルさんはただ上ずり、気分は上がりっぱなしになった。  チルさんからオッズとタイム履歴と馬体重の情報を聞き、競走馬の鼻息の高さから、その嘶きの響きを分析した。大凡長い喉笛が鳴らず呼吸も安定し胴から声が出ていれば状態は最高だ。中にはステップ音が軽やかな競走馬もいるから、コースを駆けるのが楽しくて仕方無いのだろう。勝負は騎士次第だけど、大凡は極まっているみたいだ。  チルさんに巻き込まれて、パドックで燥ぐのに付き合っているとチルさんの知り合いが寄ってきた。夜の世界の馴染みで愛称関謙さんと呼ばれている壮年の男性だった。声の響きが堂に入っており、低くても遠く迄でよく通る声をしている。この大凡素敵具合はそのままの評判になるらしい。  小声でチルさんに何処で知り合ったかを立ち入ったが、関謙さんは下半身はてんで頑固で、系列店のキャバレーかクラブが一辺倒らしい。  そのチルさんの燥ぎっぷりに、関謙さんは何処の予想屋抱えてる、俺にもう紹介しろで、私がどんと優しくも背中を押し出された。当然悪い冗談かになるが、私の心からの笑顔の表情を覗いたのか、ほんの3秒かで得心された。  チルさんは、これはの勝ち馬の予想がが確実かだから、単勝か複勝或いは流しても馬連でも元は十分取れると、今日の結果を逐一解説してる。やるなお嬢ちゃん、いやローズさんと褒められた。でもまさか日本ダービーの大勝負に乗るとは思わなかった。  声のトーンが何より気高くステップも冷静な、7番人気の八戸ファーム出の牝馬アルカイックスマイルエースと私は事も投げに答えたところ、漏れ聞こえたパドック中の観客が爆笑に包まれた。冷静だったのは私達3人と、パドックに詰める超常連さんだけだった。アルカイックスマイルエースは確かに潜在能力は高いが、日本ダービーで牝馬が優勝したのは1回だけらしい。関謙さんは躊躇いもなく単勝一点買いした。チルさんもハイハイと楽しげに付き合った。  そして私達は関謙さんのお招きで貴賓室にお呼ばれし観覧した。  大きな観客の歓声が送られる中、日本ダービーのゲートは開かれ、芝2400mを駆け抜ける脚足の音がスピーカーから聞こえた。ペースは速く、アルカイックスマイルエースは第2グループ外枠を堂々と疾駆しているらしい。そして長距離の為にゴールを一度通過した時、更にの途轍もない観客の歓声を聞いた。こんなに凄いものかは、今日は特別でまさかの牝馬アルカイックスマイルエースが削ぎ落とされる事なく第1グループの後方に着けたらしい。その着順まさかと歴史的場面に出会えるかの競走馬ファンが、ただ咽び泣いてるらしい。当然単勝一点買いしたチルさんと関謙さんが、頑張れ、行ける、と惜しみない声援を送り、私も堪らず手に汗握って声援を上げた。  そして最終コーナー、ずっと不利な外周を走っていたアルカイックスマイルエースがスピードを上げて、3番手に競り上がった。競馬はまさかだらけの世界だが、アルカイックスマイルエースその勇姿は気高いらしく、任せてとばかりに鞭無しで2番手を抜き、1番手と競り合った。依然鞭なしで姿勢を維持した騎手が遮二無二に馬なりに任せ、最後のゴールを潜った。ここで観客は歓声ではなく一気に息を飲んだ。貴賓室に響いた歓声は、チルさんと関謙さんのみで、着順判定に入ったものの鼻差2つで確かに入ったと見届けたらしい。  そして5分後に着順判定がモニターに流れ、アルカイックスマイルエースが7番人気で優勝し、単勝3560円、他は天井知らずの配当になったらしい。  私は馬主でも何でもないが、チルさんに抱きつかれ今日で借金全部完済してお釣りが来た。関謙さんはこんな感動的なレース見た事も無いと、ただ男涙が散った両手でガッチリ握手されたままに感に入ったままが続いた。いや私がゴールしたのでは無いけど、良かったですねと微笑んだ。  勝利の祝杯は関謙さん馴染みの腕の確かな居酒屋に招かれた。何れの料理の包丁捌きはその鋭利さを隠しているのが垣間見えたが、察してくれた関謙さんが、昔からの馴染みはどうしても訳有りでねと諭しに入った。  そしてチルさんが、あのダメカズどうしてるかなと、きつい間が生まれた。関謙さんが、そうかローズはあのローズかで、馴染みの居酒屋故に丁寧に話してくれた。連れされたダメカズは廃屋で縛り付けて薬物全部抜かせて反省させるつもりが、急性心筋梗塞で死に急いだと。そもそも薬物中毒なので、迂闊警察に放置して死にましたと匿名電話入れようものなら横浜三ヶ月抗争が蒸し返されないので、相模湾の海底で貝と仲良くお話していると。いつかダメカズ事井筒和史の銘の無い小さい慰霊碑は作ってやるかで、止む得ないの献杯に入った。  とは言え、私以外酒が入ったせいで、お話の何れもがただ陽気になり、関謙さんは俺みたいに堅気になれと誘うも、チルさんが私の手を取り、これも貴重な経験と朗らかに躱し続けて、また地元横浜でとお開きになった。  それから、興奮の余韻が今日で終わりかなの7日後の、undo gunの早番最後の第10ステージに私が呼ばれた。早番最終ステージは本気で行ってしまうので暫くは見送られていたのに何故かと。了子マネージャーは今日は特別のご指名で、このステージ一切貸切になったからと、ステージ構成は了子マネージャーの研修で教わったアナザーツーを指示された。そんなに激しいステージでは無い、アーティストの人となりを紹介する事に徹した初顔見せステージを今更だったものを不思議に思った。  ステージの中はマジックミラーで本当に相手に見えないらしく、ただ入室の赤ランプだけが付いているらしい。ただ私が入店した時に赤ランプと共に位置を知らせるランプが、ステージに上がると同時に短いチャイムがなる仕組みになった。そう今日はステージのど真ん中のチャイムが一つしか鳴らなかった。そして、興奮気味の男性の柔らかな鼓動がうっすら聞こえる筈も、何故か今日は冷静だった。  私は盲でステップを踏むと足元が危ういので、しなやかな両手捌きで演技を統べる。アナザーツーのセットリスト「Phil Collins - You Can't Hurry Love」「Daryl Hall & John Oates - One On One」「Bobby Caldwell - Heat of Mine」と乙女的なサウンドのテンポがダウンして行く中、私は自然に素肌にキャミソールがはだけ、深いソファーに沈み、思いにふけって行く。  甘美な瞬間、留めない手が、これ以上は危険と踏み止まって恥丘に手を添えるだけだったが、今の私は何処に触れても止まらない様だった。そうとは言え演技を超えた本気を続けるべく、左手が左胸の突起を掠った瞬間延髄が痺れ反射的に仰け反り、またも仕方ないから、音楽のサビが急に絞られて、ステージ終わりを告げる「Debussy - Arabesque No.1」にクロスフェードされた。まあ了子マネージャーのミキシングかなだった。  私は身支度を整え立ち上がって、いつもの様に会釈してはステージを後にして、坊やさんにロングニットカーディガンを着せられ、何故か、低い声のご苦労様でしたの一言だけで控え室に手を繋いで導かれた。やはりイクべきだったかなが逡巡した。  そのステージ終了後の5分後に、たった一人の接遇として呼ばれた。了子マネージャーに導かれては、No.5の所謂特等室扱いには、お客様が二人いた。一人は客室前に立ったままの付き人の声はもうオクターブあればフロントボーカルで成功しそうな香月譲治さん。客室には、Cメジャーで一向にAマイナーに転じない所謂出来上がったご婦人関子規がいた。言葉が和らげだが、繰り出すフレーズが鋭利なものだった。 「関謙が、娘が出来てから久しく、夜の世界の女子にのめり込んだとあって、どう手切れさせようかと思いましたが、こんな薔薇の花房を儚げに散らすローズさんを見て、はてに、感に入った次第です。使い聞いた言葉になりましょうが、あなた、ローズさんは十分美しく、その心根も身体中に満ちています。ただここ迄作り上げられと、どうかしらね男性はどうしても近寄らないものよね。それは幸せな事でしょうか。いいえそれも踏まえて貴重な経験と仰るなら、暫し夜の世界に止まってごらんなさい。あら、そんなつもりでなかったのに、私ったら何を塩を送ってるのかしらね」  子規さんと香月さんと了子マネージャーが、心からの談笑を讃える中、子規さんがあれをと香月さんに促した。目利きの了子マネージャーは一目で流石にこんな高級時計のこれはと押しとどめたが、私の左手は、上品そのものの子規さんに包まれ硬質な腕時計を寸分違わぬサイズではめられた。 「先日の日本ダービーは私も感激いたしました。これならば私も行くべきでしたが、もう年がは世間を狭める戒めでしょうね。本来なら関謙がこのミニッツリピーターのシチズン:カンパノラを即時に謝礼として送るべきだったのでしょうが、何をいい年をして舞い上がってるやらでしょう。そうか今更照れるな、で二の足を踏んでいるので私が参上した次第です。ここおかしいでしょう。おかしいも何もまだお付き合いは始まったばかりよね。でも関謙の名前で身じろぎもしないなんて、あの横浜三ヶ月抗争を経ての地元横浜の全団体揃って解散も、これこそがあるべき姿やもしれませんね。ちょっと嫌なお話になったわね。何よりここは謹んで遅参したお詫びを申し上げます。どうか心ばかりのお礼としてお受け取りください。とは言え、本当は外国の高級時計が良かったでしょうけど、お仕事している以上、メンテナンスが行き届く国産にしました。それでもあの歓喜にはまだままだ近寄れませんが、どうか良しなに」  私は深く挨拶を終えると、香月さんが手を取り、丁寧にシチズン:カンパノラの操作を教えてくれた。私も右上のボタンを押してみると環境音に消されないリンの音の回数が時報を告げる。  そう今迄は誰かに時間を聞くか、自宅の柱時計のみが時間との深い繋がりで、最近では漸くiPhoneのSiriに問いかけて時間を聞くのも何処か一手間だった。いや生涯初めて自ら時計を持てたので、感に咽ぶものが有り。今度はカンパノラをより自らの耳に近ずけ、その確かな時報の音を聞いた。ただ子規さんと香月さんが感激屋さんなのか、その時報がちょっと打ち消されていた。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加