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「ばんざいキャット」のことは町田も聞いたことがあった。それは喫茶店だという。猫のいる喫茶店なのか、店員が猫耳を装着しているのか。詳しいことはわからないが、とにかく喫茶店なのだそうだ。言い方が伝聞形になってしまうのは、「ばんざいキャット」に行ったことがないからである。どこにあるのかも知らない。行ったことのある人間も、直接は知らない。ネットでなら見かけたことがある。とはいえ、その詳細は不明だ。具体的に、どこにあるのか。どういうコンセプトの喫茶店なのか。そもそも、本当に喫茶店なのか。「ばんざいキャット」は謎に包まれている。
その日町田は残業で帰りが遅くなった。終電を逃したためタクシーに乗り込み、とりあえず、2000円で行けるところまで行った。そこからは最寄り駅の駐輪場まで歩きだ。ケチらずに最寄り駅まで行けばよかったのかもしれないが、そうそう財布は許してくれない。町田は見慣れぬ街をひとり、無心に歩いていた。
「ん?なんだ、あれは」
暗い街の中に、町田はぼんやりとした灯りを見つけた。まだ営業している店でもあるのだろうか。小腹が空いた気はするが、やはり財布は許してくれない。町田は低く鳴る腹をさすりながら、灯りの前を通り過ぎようとした。横目でちらりと灯りの方を見る。何の店だろうか。看板は出ていないようだ。それどころか、店構えすら見られない。町田はさすがに足を止めた。そこにはただ、灯りがあるだけだったのだ。
「なんで光っているだけなんだ?」
町田はしげしげとその灯りを見た。その灯りはぼんやりとしたオレンジ色で、町田はそれを見ているとだんだん気が遠くなっていくような気がした。
……
「徹也、徹也起きなさい」
町田は自分の名を呼ぶ声を聞いた。母親の声。そう思って、町田は考え直す。今、自分は一人暮らしをしている。母親が起こしに来る朝とは、数年前におさらばしているはずだった。これは夢なのか、何なのか。
「ほら、徹也。仕事に行く時間でしょう」
仕事。そういえば昨夜は残業をして、終電を逃した。タクシー代をケチって最寄り駅の駐輪場まで歩いて……
町田はそこまで考えて、がばっと飛び起きた。自分は昨夜、一体どうやって帰ってきたのか。全く記憶にないのだ。
「ようやく起きたのね、徹也」
母親の声をした何者かの影が、そこに立った。町田はその顔を見て、ぎょっとした。
「相変わらずだらしないんだから、徹也ってば」
母親の声でそう言って笑うその人物は……
いや、“人”ではなかった。
「うわああああ!!!」
そこに立っていたのは、猫だった。化け猫だった。化け猫は笑いながら、今度はこう言った。
「本当に徹也ったら、朝から騒がしいわねえ」
そう言って町田の部屋の窓を開き、大きくばんざいをした。
「ようこそ、“ばんざいキャット”の世界へ。ゆっっっくり楽しんでいってね」
そう言って化け猫は、またにこりと笑う。化け猫は両の手に、お盆に載せたコーヒーを抱えていた。
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