一.星取表

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白、白、黒。 黒、黒、白。 ほぼ全面日付や曜日の表記になっている カレンダー。 今日も老人はそれをのぞき込む。 そして握りしめた黒インクで、 今日の日付を丸く塗りつぶした。 「明日で、四月も終わり。まずはひとまず千秋楽か。 星としては五分五分だな。」 白、黒、黒。 黒、白、白。 いびつな丸の形が、一面を覆いつくす 囲碁版のようになったカレンダー。 震える手元で書いた筆跡のあとが、 老人の日々の体調を物語る。 七十八の老体は、 マッチ箱のような小さい家で 一人、今を生きる。 病気の後遺症で麻痺が残った左半身。 それでも、一人で生きていくと決めた あの日から、その思いは変わっていない。 手すりをとりつけた 廊下をたどたどしく、伝い歩きながら、 台所を目指す。 どんなに器用でも流石に、若い頃のように 野菜の皮をむくことは難しい。 体が不自由ならなおさらだ。 本当なら、料理も全て一人で行いたかったが、 そこは目をつむって 清美(きよみ)のいうことを聞いた。 「お義父さん、やっぱり今日は私が作るわよ。」 割烹着を着た清美は、振り向きざま、 あからさまに困った顔を老人に向けた。 「せからしか、お前は皮をむくだけでいいわい。」 誰の世話にもなりたくない。 遠い昔、 「あんたと一緒に暮らすなら死んだ方がまし。」 そう叩きつけられて、自分の元から離れていった家族達。 『家族を持つ』 それは誰しもが通る、人生の分岐点。 ただ、人から愛されたことない自分が、 人を愛することなど到底無理な話だった。 ましては家族を持つなど。 いつしか、仕事もうまくいかず、酒におぼれ、金に逃げられ、 気づいた時には 家族が離れていった。 当然の報い。 いや、離れていったのではない、自分から捨てたのだ。 かろうじて、今は亡き息子の嫁の清美だけが、 そんな老人の背中をたたく。 「お義父さん、もう無理よ。 ヘルパーさん入れましょう。 それでなければデイサービスに通うなどしないと、 一人で生活はできないわよ。」 「ふん、あんな子供のお遊戯会が行われている所に、 ホイホイおれが行くと思ってるのか?」 「もう、いつまでも意地をはらないで。 私は、お義父さんの事を心配して……。」 「心配?心配だと。 遺産などとっととお前にくれてやるから そんな心配するな。 まぁたいした遺産など俺は持ち合わせていないけどな。」 「何てこと言うの!」 「帰れ、お前の世話にはならん。」 空いた口がふさがらないまま、清美は台所を急いで後にする。 足早に遠ざかっていく足音が一瞬止まったと思ったら、 清美が大声で怒鳴る声が小さな家に響く。 「お義父さん!あとこれだけは言わせて。 近所の人、困っているわよ! ちゃんとゴミは網ネットをかけて出してよ。 そうしないと、いつも荒らされているわよ、野良猫から!」 睨んだ清美の後ろにかかってある 囲碁版のようなカレンダー。 「何なのよこれ、今日も、野良猫にゴミやられたんでしょ!」 振りかざした指はまっ黒に塗りつぶした日付をさした。 「こんなことして、何が面白いの?」 「出ていけ!」 誰の世話にもならない。 自分で飯を作って、 自分で風呂も入って 自分で寝る。 少々、体が動かなくても 残りの人生一人で生きていく。 そう決めた老人は、 再び台所のテーブルを見た。 たかが、老人の一人暮らしであれば そんなに多くの食事を作ることは必要ない。 ただ、亡き妻と息子の遺影の傍には、 いつも切らさないくらいの 筑前煮やら、ほうれん草のお浸しやらを 並べてあげたい。 それが家族になれなかった者達への、 せめてもの老人ができるただ一つの供養だった。
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