クレーマーズ・ハイ

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「おい、浅香俊太を呼べ!」  受話器の向こうで、クレーマーと思われる男が叫んでいる。電話オペレーターの女性が苦い顔をして、 「浅香は現在ラジオの生放送中でして……」  と対応をする。しかし、 「そんなことはこっちだって分かってるんだよ! でも、文句を言ってやりたいから浅香を呼べって言ってんだろうが」  男も引き下がらない。 「浅香俊太のサンデーパーティー」、通称サンパは毎週日曜日の朝10時から2時間放送されている生放送のラジオ番組だ。関東地区で聴取率No.1を誇るこの番組の売りは関東放送アナウンサーの浅香俊太によるアナウンサーらしからぬエピソードの数々にあった。自分で切った爪を集めているとか、味噌マニアで全国各地の味噌の味を手帳につけているといった感じである。 「私、この番組のプロデューサーをしております安藤と申します。浅香はこのようなクレームを非常に嫌いますので、いったんお引き取り願いないでしょうか?」 「プロデューサー? お前この間までお昼ワイドの『ピカピカ』をやってただろう? あれも終わっちまったしな。お前が回されるようじゃ、『サンパ』も終わりだな」  男は中途半端な知識に妄想を重ねてあることないことを言っている。ネットに書かれることを恐れて、無下に電話を切ることもできず、スタッフは途方に暮れている。  浅香はこの日もオープニングからアシスタントの広井加奈子とトークを繰り広げていた。 「オリンピックの中継と言うのは、NHKと民放がお金を出し合って放送権を買っているんですけど……」  時事ネタを内情の暴露を含めて面白おかしく話していたが、スタッフルームがにわかに騒がしい。キューを出すディレクターのみがいる状態になっている。広井が不安そうな視線を送るのを浅香は見逃さなかった。そして、目線で曲に行くことを伝える。 「一曲おかけした後に、メッセージを紹介します。お聞きください、杉並区ちょろすけさんからのリクエスト、大黒摩季さんで『ら・ら・ら』お聞きください」  スタッフブースに浅香が入ってきた。 「何してんの?」 「男性リスナーから電話がかかってきてて、浅香さんを出せと言って聞かないんですよ」  ADが慌てたように言うと、浅香は 「今どき、電話でメッセージを受け付けているのはうちくらいなもんだからな。電話くれてありがたいよ」  とぽつりと呟くと、プロデューサーに告げた。 「俺がそいつにかけ直すから、いったん電話を切ってほしい」  慌ててスタジオに戻った浅香は、イヤホンを耳につけながら、 「広井さん、今日は面白くなるぞ」  とニタッとした顔で言った。 「お送りしたのは大黒摩季さんで『ら・ら・ら』でした」  いつも通り、落ち着いた口調で喋る。 「さて、ここでメッセージ紹介のコーナーなんですが、今日はどうしても番組に意見したい方がいらっしゃいますので、こっちから電話をかけたいと思います」  ADが電話線を繋ぎ、固定電話を用意する。電話番号を書いた紙も浅香に渡された。事情を詳しく知らされていない広井は、浅香の様子を見守ることしかできない。 「相手はどなたなんですか?」  と浅香に尋ねると、 「サンパにかかってきたクレームに直接対応しようと思います」  とだけ広井に話した。 「もしもし」  不機嫌そうな声がした。もちろん電波に乗っている。 「突然の電話、申し訳ございません。関東放送ラジオでサンデーパーティーを担当いたしておりますアナウンサーの浅香と申します」 「おう、やっと出やがったか。おい、浅香!」  男の大声にも冷静沈着な浅香は、 「先ほどからお電話をいただいているようですが、どのようなご用件でしょうか? そしてラジオネームはありますか?」  男は一瞬、考えたようで、 「ラジオネームはゲンだよ。浅香、お前最近朝の帯番組に出てるみたいだな」 「ええ、昨年の秋からさせていただいております」 「そのせいで、お前の最近のトークが手抜きになってるんだよ!」  ゲンと名乗った男の声のトーンが一段階上がる。 「ゲンさん、少し落ち着いてください。私だって、好き好んで朝の帯番組やりたいわけじゃないんですよ。でも、好きなアナウンサーランキングで殿堂入りしちゃったから、やらないわけにはいかないんですよ……」  それから、浅香はラジオやアナウンサーの内情を暴露しながら、愚痴をこぼしていった。最後に、 「アナウンサーは辛いもんです。そんな中で、トークをひねり出してるんですよ。ゲンさん、分かってくれます?」  ゲンさんも浅香のトーク力に圧倒されたのか、 「お、おう、分かるぜ」  としか言えなかった。 「分かっていただけたのなら、幸いです。これで満足でしょうか?」  浅香の問いかけに、ゲンさんは 「これだよ、俺が求めていたのは! この調子で頑張ってくれよ!」  と言うと、電話が切れた。 「あら、切れちゃいましたね。では交通情報行けますか?」  浅香は冷静に対応した。スタッフは慌てて、交通管制センターと連絡を取る。  広井が交通管制センターとやり取りしている間、浅香は天を仰ぎ、 「ああああああああ!」 と声を上げた。もちろん、カフは下げた状態で。
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