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10話 悠久の停滞
エメラードに来てからこっち、一日中雨が降り続くような日がなく、天候には恵まれている――
その代わり、日が沈む間際の夕立がやたらと多く、突き刺さるような雨が半刻ばかり襲いかかり何事もなかったかのようにもとの夕焼け空のお披露目というわけだ――
特に朝はのどかな陽気で雨もなく、日課である水源までの水汲みにも慣れてきて気楽なものだった。
今日もいつも通りに水を汲んで、セレナートに挨拶をして帰路につく。
その道中の護衛は、俺の頭の上に乗るサクルドと、前方を鼻歌を歌いつつ上機嫌で歩くティアーだ。
「それ、ローナが歌ってたやつだよな」
「うん。すっかり耳になじんじゃってさ」
「それって歌詞はないのか?」
「ティネスが歌詞をつけることをしなかったのです。
彼女が音楽という文化の生みの親ではあるのですが、歌詞をつけるという行為は後の人間が始めたことで魔物には伝わりませんでしたから」
そもそも、魔物は言葉を使わない。
エリスに聞かされた話だが、魔物は秘伝の類は決して他者に明かさず、文字に残すなんてもってのほか。
後世に残す必要のある情報は口伝で片付ける。
文字にするより確実性はないが、そもそもそこまで確実性が必要になるような情報もないのだという。
「ねぇ、歌詞ってそんなに良いもの?
円が好きだっていうミュージシャンの歌をよく聞かせてくれたんだけど、あたしにはよくわからなかったの」
「うーん、ほんとにすごい歌詞はやっぱそれなりに感動するよ」
「すごいって、どういう?」
「どうって言われると難しいけどさ」
いいと思う歌の歌詞が、具体的にどう好きなのかなんて別に考えたことなかったからなぁ。すぐには思い浮かばない。
道すがら、バケツの水がこぼれないよう意識することだけは忘れず、思考をフル回転させて考え込む。
「たぶん、自分の人生と照らし合わせてみて、共感出来る歌かな。
良いなぁって思うのは。
一発屋とか一時のブームとかじゃなく、長いこと評価されてるアーティストって、やっぱり歌詞も重要なんだよ。
その、すごいアーティストっていうのは不特定多数の人が聞いてより多くの人を共感させられる歌詞を書ける人なんじゃないかな。
そのアーティストと同じような考え方の人しか頷かせられないような歌詞は、大多数の人間にとってはどうでもいいものだから」
前を歩くティアーは、時折こちらを振り返りながら相槌を打つ。
わかったようなわからないような顔だが、真剣に聞いてくれているというのは伝わってくる。
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