18人が本棚に入れています
本棚に追加
浅井先輩はギャップがすごすぎて困ります
三
「先輩、好きです。俺とつき合ってくれませんか?」
もう少しで俺は営業部へ異動する。努力のかいあって、入社以来の念願がかなったのだ。
「それ、本気で言ってるの?」
「本気です」
「ごめん、一分ちょうだい」
異動が決まり、正直俺は焦っていた。この機会を逃したら、もう先輩との接点はなくなってしまう。二人きりのコンピュータールームが静寂に包まれた。今日は他に残業している人はいない。
「ごめんなさい、彼氏がいるの。そもそも私は年上が好きだから、山本くんは対象外だし」
「先輩、彼氏いるんですか?」
「何それ、失礼だな。そういう言い方、営業では絶対にしちゃダメだよ」
「しませんよ、そんなこと。子どもじゃないんですから」
「大げさかもしれないけど、子どもと同じだよ、上司にとって部下は」
「は?」
「大切にしたい存在。たとえ何を犠牲にしても」
「どういう意味ですか、それ」
「営業に行っても一生懸命がんばってね、って話」
一世一代の告白をしたというのに、先輩は顔色一つ変えていない。それどころか椅子に深く座り、キーボードを打つ手の動きを再開してしまっている。相変わらずシワ一つないトップスに完璧なメイク。隙なんてどこにも見当たらなかった。
「わかりました。じゃあ、キスしてもいいですか?」
俺と先輩の距離は、パソコン一台分。
「どうしてそうなるかな。彼氏いるって言ったよね」
「それで忘れます」
「どういう意味?」
「キスしてくれたら、もう先輩に絡むのは最後にします」
この想いを消せるかどうかなんてわからない。だけど、一度でいいから先輩が動揺するところを見てみたかった。
「……キスしたら、仕事がんばれる?」
「がんばれます」
頷くと、先輩は立ち上がって俺のすぐ横にきた。思わず椅子を回転させて、先輩に向き直る。
「営業は大変だろうけど、山本くんなら大丈夫。がんばってね」
「俺のこと、煙たかったですか?」
「え?」
「早く営業に行けよ、って言い方だから」
「私が部長に推薦したのは本当だよ。ちょうど営業が人材不足だって聞いたから。山本くんは仕事ができるし、コミュニケーション能力も高いし、営業に向いてるんじゃないかって」
「やっぱりそうだったんですか」
「勘違いしないで。いち社員の意見なんてそう簡単には通らない。部長も同じように評価してたから、営業に決まったんだよ。それは山本くんの実力だから」
こんなときにまで余裕を振りまいて、仕事の話ばかりする先輩がなんだか憎らしく思えてしまう。先輩は両手を俺の肩に乗せた。だんだんとそのきれいな顔が近づいてくる。
心臓の音が聞こえているかもしれない。これ以上先輩の顔を見ていられず、思わず目を瞑った。しかし、何も変化はない。たったの数秒が数時間にも感じられてしまう。ゆっくりまぶたを上げると、唇ではなく先輩の細い指が俺の頬をなぞっていた。
「ごめん、セクハラだよね、このやりとり」
先輩は無表情のまま指を離した。俺は思わず立ち上がり、人差し指で先輩の唇を奪った。
最初のコメントを投稿しよう!