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浅井先輩はギャップがすごすぎて困ります
四
おそらく、私が悪かったのだと思う。異動が決まった山本くんが何故か弱っているように見えて、つい意地悪をしたくなったのだ。こんなことでがんばれるのなら、と応援する気持ちが勝ったのも事実。でもまさか、人差し指でキスされるとは思わなかった。
――ちょっと仕返ししてやろう、くらいの軽いノリだったのに。
たとえ部下だったとしても、山本くんは年下のイケメンだ。告白のあとに『キスしてもいいですか?』と問われたら、誰だって舞い上がってしまうに違いない。
つまり、山本くんにも非はあるはずだ。確かにいたずら心で頬に触ってしまった私も悪い。でも……だからって、彼女がいる身でありながら、おばさんに期待させるようなことをするなんて。
「ずるいですよ、先輩」
「ず、ずるいのはどっちよ」
山本くんを引き離し、コンピューター室の隅っこへ逃げる。
「どうして逃げるんですか」
「逃げてないよ。彼氏がいると言ったでしょう」
彼氏がいるというのは嘘だった。部長はどうしてか山本くんが私のことを好きだと勘違いしていた。からかわれているところを見て信じてしまったのかもしれない。山本くんが慣れない営業の仕事に集中できるよう、彼氏がいる設定にすべきだと進言されたのだ。良くわからない理屈だが、どちらにせよ大事な時期に社内恋愛はご法度らしい。
「私も悪かった。今のは完全にセクハラだよね。訴えてくれてもいい」
「俺が頼んだんだから、セクハラじゃないですよ」
「私は年上しか興味ないの。今のは単なる事故ってことで」
「事故? 先輩にとって俺はそんなものですか」
山本くんに怒りの表情が浮かんだ。
……これだ。
こういう顔をされたら、もしかしたら彼女と別れたのではないかとか、私のことを好いてくれているのではないかとか、変な期待をしてしまうではないか。
私はあくまでも上司で、山本くんは部下で、年の差もたくさんあるというのに。
「言ったでしょ、子どもみたいなものだって」
「たった少しの年の差で、親子って言われても納得いきません」
「営業で成績残して、ちゃんと出世してね。本当の親御さんも喜ぶでしょう?」
こういう熱を帯びたときは、家族の話をすれば効果的にクールダウンできるものだ。
「……わかりました」
山本くんはいつものクールなエス系男子に戻り、作業を再開した。そうだ、これでいい。私はもうおばさんなのだし、山本くんは子どもみたいなものだし。
だいたい、山本くんは異動してしまうのだから。
私はまた深く椅子に座った。熱を帯びている唇は、一体どうすればクールダウンできるのだろう。一度席を立ち、廊下の空気を浴びた。冬の面影が残る季節なのが幸いだった。北海道の春はまだまだ遠いようだ。
コンピューター室へ戻ると、山本くんはもういなかった。
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