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浅井先輩はギャップがすごすぎて困ります
一
「浅井くんはどこだ!」
石渡部長の声真似をしながら、コンピューター室の中心で叫ぶ。奥の壁に向かって、決して新しいとは言えないデスクトップ型パソコンと、最新のノートパソコンが並んでいる。それを囲むように設置された棚にはぎっちりと書類が詰まっていた。この会社のIT化が足踏みしている証拠だろう。
入口近くに設置されたコピー機の前にいる浅井先輩は、華奢な肩をびくりと上下させた。一度動きを止め、ゆっくりと振り返る。開け放たれたドアから忍び足で近づいた俺の存在には気がついていなかったようだ。
「山本くん?」
「似てました?」
「そっくりすぎ! あー、びっくりした」
アップスタイルの黒い髪。均整のとれた顔立ち。目の下にできている隈が、繫忙期であることを告げていた。驚きすぎたせいなのか、先輩はその場にへたり込んでしまった。いくら暖房がきいているとはいえ、マットもラグもない真冬の床は冷たいはずだ。背筋をびしっと伸ばして深く腰かけたいつもの姿と、つい比べてしまう。
「腰が抜けました?」
「……誰もいないと思ってたから」
俺を見上げる先輩の瞳は潤んでいる。デフォルトが無表情であるため、そのギャップにどきりとしてしまう。現在の部署に異動するまで、先輩は俺の直属の上司だった。つまり、名前を呼ばれて驚くのはいつもこちらばかり。
――ちょっと仕返ししてやろう、くらいの軽いノリだったのに。
「立てますか?」
手を差し伸べると、先輩はまた体をびくっと震わせた。
「ごめん。一分ちょうだい」
この台詞を何度聞いただろう。仕事でミスをしたたときや上司からの呼び出しのあと、先輩はいつも『時間をちょうだい』と言った。俺が告白したときでさえ、そう返した。こなさなければならないノルマのうちの一つとしか思われていなかったのだろう。もちろん答えはノーで、交際中の人がいるとのことだった。
差し出した手が宙をさまよう。部屋の中の空気は冷たく、指先から体温が奪われそうだ。先輩はそれに気がつかないまま、床を見つめている。今日は冬にしてはあたたかいため、サスティナブルな先輩は暖房さえつけていない。
いつだってそうだ。もう何度、こんな思いを繰り返したのだろう。俺だけが一人で熱くなり、冷たくされ、季節さえ飛び超えてしまうのだ。案の定、先輩はいつの間にか立ち上がってしまい、そこには四季など存在しなかった。
「誰もいないと思ってたから、ちょっとびっくりして。ごめんなさい」
スーツをはたく先輩は、いつもの無双モードに戻っている。
「あと何枚ですか?」
「五十枚かける三。山本くんは帰っていいよ、もうすぐ終わるから」
「他に誰もいませんよ。だから手伝います」
「そもそも山本くんは営業でしょ? 私とは部署が違うんだし」
「そもそもコピーは先輩の仕事じゃないですよね? 時間外業務だし。だから手伝います」
「あれ、山本くん、随分弁が立つようになったね」
「おかげさまで、鍛えられましたから。念願の営業に行けて嬉しかったんですよ」
「それは良かった」
先輩がふわりと笑う。こんな顔、俺がいる間には一度も見せたことがなかったのに。
「先輩、ちゃんと笑えるんですね」
「笑えるよ、失礼だな。ほら、部下だったときは上司として接しなきゃいけなかったしね。なんとか隙を見せないように必死だったの」
「スキ、ですか?」
「そうそう、すき……」
先輩がもう一度機能停止した。きっと俺が告白したときのことを思い出したのだろう。
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