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ずぶ濡れの猫
最近わかったことがある。
ほぼ毎日来てた彼は雨の日は絶対に来ない。
なんでかはわからないけれど、きっと傘をさす面倒をするほどここに来たくはないのだろう。
だからこんなザアザア降りの雨の日は絶対来ない。
そう思ってたのに。
「ちょっと、なにやってんの!?」
ふと彼がいつも座る席を見ると、そこにはずぶ濡れの彼が体を震わせて立っていた。
「ごめん……雨宿りさせてもらっていいかな……。」
「わかったから、早く座って!」
「でも、椅子が濡れるよ……?」
「そんなことどうでもいいから! 濡れた服脱いで!!」
「え……。」
私は非常用に置いてあるタオルと毛布をあるだけ引っ張り出すと、投げつけるように彼に渡した。
彼は戸惑いながらタオルで体を拭き、そして自分の服の中から守るように持っていたものを私に見せた。
それはいつも来てくれるあの猫だった。
「この子が雨で震えてるの見つけて……なんだか弱ってるし……。」
「大変、ヒーター持ってくる!!」
猫は同じくびしょ濡れになったまま蹲るように丸まって震えている。
私は猫をタオルで包ませ、彼に預けたあと戸棚の奥に眠る季節外れのヒーターを取り出しにいった。
***
ヒーターで体を温め、猫用のミルクを与えると猫は落ち着いたのか震えが止まりすやすやと彼の膝の上で寝ていた。
「……落ち着いたみたい。」
「すごいね、森下さんがいなかったらどうなってたかわからないよ。」
「いや、私だってテンパってたよ……。よかった……。」
「服も……あの、ありがとう乾かしてくれてて。」
「あ……ううん。」
彼に言われて私は恥ずかしくなった。
濡れた彼の服は、今は近くにある親戚の家の乾燥機で乾かしている。
彼の体を冷やすまいと必死で脱ぐように催促したが、半ば強引のそれはまるで追剥と変わらなかった。
毛布で包まれた彼の体は、今や下着だけ履いた裸の姿なのだと想像すると顔が耳まで熱くなった。
「白崎くんは、高校卒業したあとどうしてたの?」
「僕は大学行って……まあそのあとはフラフラしてたかな。森下さんは?」
彼の質問にドキリとした。
気まずさを紛らわそうと放った質問だったが、自分で墓穴を掘ったような気分だった。
「東京の大学に行ったって聞いたけど、その後も東京で就職したの?」
「まあ、ね。」
お願い。それ以上は聞かないで。
「すごいな、東京で就職なんて僕には到底できないや。どんな会社?」
「全然……たいしたことないから。」
やめて、思い出したくないの。
「そんなことない……」
「全然たいしたことないのよ!! 東京に就職したってね、こうして今ここにいるんだから察してよ!!」
気がつけば私は大きな声を出していた。
驚いた猫が彼の膝から転げ落ちる。
「……ごめん。」
彼は驚いたあと、悲しそうに、けれども労わるように私に謝った。
付き合っていたとき、喧嘩をするといつも彼から謝ってくれた。
そのときの表情とまったく同じだった。
「僕たちは別れたんだ。なのに深入りしすぎたよね。」
彼の口から別れたと言われたのは再会して初めてだった。
その言葉が私の胸にずしんと重くのしかかり、私の唇は震えていた。
「ねえなんで私たちは別れたの……?」
自分の身を挺して猫を助けた彼。
いつもひっそりと教室の隅にいる彼が、小さな命まで優しいのは昔から変わらない。
人を傷つけない言い方をして、柔らかい言葉で語り掛けてくれるのも変わらない。
そんな彼が好きで、付き合ったときは確かに幸せだった。
彼も、私と同じだと思っていたのに。
「……ごめんね。」
それだけを言って、彼は何も言わなくなった。
私も、何も言えなくなった。
猫が転げ落ちたとき、わずかにはだけた毛布の隙間から彼の体が見えた。
それは私が知らない、白く痩せ細った彼の体だった。
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