チケット争奪戦は本当に争奪戦でした。

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チケット争奪戦は本当に争奪戦でした。

 たとえひとときの演技だと頭の片隅で分かっているのに、どうにもつらくて、どうしようもなくて、何度も繰り返し観続けるのが苦しくて、こぼれ落ちる涙を隠すことすら出来ず、こんな思いをするくらいなら、いっそ最初からチケットなんてご用意されなければ良かったのにと思ったりもした。申し込んだのは自分なのに。自業自得なのに。  そして、演目は続いていくのに「サヨウナラ」と舞台上で輝いていたあのひとたちは今回を最後にこの舞台を卒業する。  複雑怪奇な事情がきっと存在してて、それぞれの新しい旅立ちの日だというのも理解している。笑ってお疲れ様ありがとうと伝えたいのに、ぼろぼろとこぼれ落ちる涙を止めることすら出来やしなかった。  最低なことに、もう苦しむあのひとたちを応援しなくて済む事実に身勝手な寂しさすら感じた。そして安堵も。安心感すら感じていた。  だって、千秋楽にむけてどんどん増えていくテーピング、身体がボロボロだろうに全力で演技し続けてたのを観ているしか出来なかった。公演を重ねるごとに増える運動量に何度もどうか怪我をしないで欲しいと心配した。  挑戦し続けるひとたち。  かのひとたちをそう褒め称えることは私には出来なかった。かのひとたちは称賛されるべきひとたちだというのも頭の隅っこの方で理解しているけれど、それは本当に無邪気に褒めていいことなのだろうかともわたしは思ってしまった。  運良く、無事に、千秋楽をむかえられた。  それ自体は、確かに、正しく祝うべきおめでたい出来事だと思う。ただ、公演ごとに増えていく手探り状態の危険な演出や、大元になった話の展開上、必ず1戦以上試合として対立し、どちらかが勝者になり、どちらかが敗者になった。  卒業公演だったあの日。  苦しかったしつらかったけれど、それ以上に、生で観劇する苦痛からの開放感と虚しさに涙をこぼした。  だいすきだったから。  生き生きと演じるかのひとたちが、ほんとうにだいすきだったからこそ、区切りという終わりがあって良かったと思えた。  ありがとう、そして、さようなら。  矛盾しているけれど、あなたの演技をもっと観たかった。 終
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