夜空

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夜空

祭りの会場を抜け、もう少しで丘が見えるだろうというところで、リンデルは民家を背に周囲をぐるりと取り囲まれ、身動きが取れなくなっていた。 会場内で声をかけてきた可愛らしいお嬢さんや、清楚な女性達とはまた違う雰囲気の、どこか妖艶な色香を纏った女性達は、この雪景色の中では心配になる程に露出が多く、ふわふわの毛皮の上着の下は各々が色とりどりのドレスを身につけていた。 彼女達は、リンデルが何と言おうと引く気がないらしく『未来を誓った人がいる』と言ったところで全く効き目がなかった。 (……弱ったな……) リンデルは、笑顔の裏でため息をつく。 両腕に抱えた飲み物から、こうしている今もじわじわと熱が奪われてゆくのが、何とも歯痒い。 俺の我が儘に付き合って、寒空の下待っているあの二人に、せめて温かいものを届けたかったのに……。 思わず下げかけたリンデルの顔を、その冷え切ってしまった頬を、一番手前の女性が両手で包む。 「え? ちょ……」 動揺するリンデルに、女性が何かを囁きながら顔を近付ける。 男が目にしたのは、そんな光景だった。 淡く輝く金色の花に、夜の蝶が群れでたかっている。 その数に、金色の花は食い潰されそうに見えた。 男は、一瞬で左目の布を解くと叫んだ。 「おい! てめぇら!!」 男の声に、女性達が一斉にこちらを向く。 そして、紫色の輝きに囚われる。 男は、残らず全員に術がかかったことを確かめると、女達の群れからリンデルを引っ張り出す。 リンデルは流石に術の発動と同時に目を伏せたようで、俯いたまま、腕を引くカースに従う。 男はリンデルを物陰に隠すと、女達へ告げる。 「この事は忘れろ。さっさと家に帰れ」 全員の返事を受け取り、男は術を完了させる。 正気に返った女達が「なんでこんなとこに?」などと口々に話すのを背で聞きながら、男は素知らぬそぶりで物陰へ向かった。 「よぉ、モテモテじゃねぇか」 「カース……ありがとう」 ホッとした表情で、リンデルは男を見上げて息をついた。 女達が立ち去ったのを見届けると、男は青年に合図をして丘へと向かう。 「こういうこと、よくあんのか?」 「え、あ。うーんと……。いつもは、ロッソがうまく躱してくれるんだけど……」 バツが悪そうに苦笑する青年の横顔に、男はあの従者の苦労の一端を窺い知る。 話しながら、器用に片手で左眼に布を巻き付けている男を見て、リンデルが呟く。 「また隠しちゃうんだ……」 「そんな残念そうにすんなよ」 男は眉だけで苦笑した。 「勇者様、お帰りなさいませ」 頂上では、少し落ち着いた様子のロッソが、食べ物を三人分に取り分けていた。 「ロッソも先に食べててよかったのに」 「そうはまいりません」 言われて、勇者が苦笑する。 「じゃあ改めて、乾杯しようか」 紙袋から、リンデルは三人分の飲み物を取り出す。それは暖かい酒だった。 「何に乾杯すんだよ」 「三人で共に過ごせる、この冬の日に」 そう言って、勇者はカップを掲げる。 黒髪の二人は、少し表情を和らげて、それに倣った。 食事が終わる頃には辺りはすっかり暗くなり、机に置いたランプの明かりが三人の顔を照らしている。 キンと冷え切った空には月もなく、溢れんばかりの星がまたたいている。 「……っくしゅんっ」 小さな音を立て、ロッソが肩を震わせるのを見て、カースが言う。 「冷えてきたな……。俺のローブ羽織るか?」 「いえ、それでは貴方が風邪を引いてしまいます」 と答えるものの、従者の小さな肩は隠しようもなく震えていた。 「じゃあ俺のを着る?」 「お前のは鎧用でデカすぎんだろ」 「うーん? そうかも……? えへへ」 たったあれだけの酒が回ってきたのか、妙にヘラッとするリンデルを見て気付く。 リンデルもまた、昨夜は少ししか寝ていないはずだった。 「お前ら、もう帰って寝た方がいいんじゃないか?」 一人だけしっかり休んだ男が心配するが、リンデルは 「えー。明日にはここを離れないとだから、もうちょっとだけ……」 と食い下がる。 男にも、彼らがこの場所で何を待っているのかは分かっている。 「……じゃあせめて、こいつは俺があっためるぞ、いいな?」 「!?」 ポンと頭の上に男の手を乗せられて、ロッソが困惑する。 「うーん……。分かった」 リンデルは、ちょっとだけ困った顔で返事をした。 「ほら、来い」 ロッソが、男に呼ばれてそちらを見ると、男がローブの前を広げて待っている。 「……え?」 「察しが悪いな。寝不足で頭回ってねぇんだろ」 「え??」 「生憎片腕しか無いもんでな。お前がさっさと来ねぇと、俺は寒いままなんだよ」 男がわざと選んだ言葉に、ロッソは不安そうにリンデルを見た。 苦笑を浮かべたリンデルに視線で促され、ロッソはおずおず男の膝の上におさまった。 男がロッソを包むようにしてローブを閉じる。 「これでもうしばらくは凌げるだろ」 「……ぁ、ありがとう、ございます……」 消え入りそうな礼の言葉に、男は低く優しい声で「気にすんな」と答えた。 男の懐は、とてもあたたかかった。 ロッソの、冷え切ってろくに動かなくなっていた手足が、じわりと熱を取り戻してゆく。 全身に知らず入っていた力が、ゆっくりゆっくり解れてゆくのを感じる。 人肌のあまりの心地良さに、瞼までもが緩みそうで、ロッソはチラリと視線を上げた。 この男は、私を懐に入れて、一体どんな顔をしているのだろうか……。 視線に気付いてか、男の森色の瞳が降ってくる。 深い夜の森のような瞳は、ただただ優しく、静かにこちらを見つめ返した。 「……羨ましい」 リンデルの声に、見つめ合っていた二人がギクリとそちらを見る。 そこには、金色の瞳を半眼にして、じとりとこちらを見ている勇者の姿があった。 「ゆ、勇者様……」 ロッソの焦りを肌で感じつつ、男は苦笑する。 昨日まで必死で嫉妬を隠そうとしていたリンデルが、素直にそれを見せてくれたことを、どこかくすぐったく、しかし心地よく感じる。 まだ羨ましそうにこちらをじーっと見ている金色の瞳に、男は悪戯っぽくニヤリと笑うと低く囁く。 「……お前は後で、たっぷり可愛がってやるよ」 「本当!?」 頬を染めて破顔する青年。 「おいおい、冗談だ。明日に備えてお前ら今夜はしっかり寝とけって」 男が顔を顰めて言う。 「ええーーーー??」 非難の声に視線を逸らした男が、空にポツリと浮かぶ灯りを見つける。 「お。そろそろか」 その声に、リンデルが振り返る。 男の胸元で、ロッソも小さく身じろぎする。 村を見下ろせば、その中心に沢山の光がぎっしりと集まっていた。 ひとつひとつが不規則にゆらゆらと揺れて、まるで何か大きな生き物のようにも思える。 「さっきのはウッカリだな」 「ウッカリ?」 「ああ、合図の前にウッカリ手を離しちまったんだろうよ。もしかしたら、今ごろあそこで泣いてるガキでもいんのかもな……」 そう言って、光の束を見つめる男の眼差しは、どこかもっと遠くを映しているようにもみえる。 「始まるぞ」 男の言葉通り、光の束は大きくうねるように蠢くと、ゆっくり空へと動き出す。 次第に近づいて来るひとつひとつの光の粒がハッキリ見えてくる頃には、光は視界いっぱいに広がっていた。 「わあ……」 リンデルがその輝きを瞳に映して声を漏らす。 「美しいですね……」 男の胸元で、ロッソも小さく呟いた。 「そうだな……」 男は、あたたかな光の奔流に照らされて、キラキラと輝く金色の青年に目を奪われていた。 幸せそうに笑みを浮かべたその横顔を、あたたかく輝くその金の瞳を、まだずっと……、明日も、明後日も見たいと思う。 (……明日になれば、また離れ離れか……) 音もなく男達の前を通り過ぎ、次第に離れてゆく光の粒が、男に別れを連想させる。 光の海は風に揺れ、いくつもの波を作りながらゆっくりと揺蕩い広がってゆく。 三人が黙ってから、どのくらいの時が過ぎただろうか。 光の海は遥か上空へと上り詰めていた。 天へと一途に向かう光の粒を彼方まで見送るリンデルが、こちらを見ないままに呟く。 「カーシュってさ、子ども好きだよね」 「……そうか?」 男が怪訝そうに答える。 「俺が引退したらさ、一緒に子ども育てない?」 「……は?」 「俺とカーシュの子ども」 「はぁ!?」 「魔物に親をやられた子どもたちを引き取ってさ、孤児院みたいなの、どうかな?」 青年の言葉に、男がどう返事をしたものかと思ってから、ふと、こんな時に何も言わないはずがない従者を見る。 リンデルも同じくそう思ったのか、男へ向き直り、一瞬驚いた顔をした。 男の胸元では、小柄な従者が静かに寝息を立てていた。 「……寝ちまったのか」 男の呟きに、リンデルがロッソを哀しげに見つめる。 「俺……また……俺のために限界まで頑張らせて……」 男は、その『また』の部分が、過去のこいつにかかっているのか、昨夜の自分にかかっているのか、若干気になりつつも、 「それより、こいつどうすんだよ」 と、この先の問題を指摘する。 「俺が宿まで抱えてくわけにもいかねぇだろうし、かといって、お前じゃこいつが凍死すんじゃねえか心配だしな……」 「うーん、そうだね。一度帰って、鎧置いてから迎えに来ようかな。それまでロッソの事頼んでいい?」 ああ、と答えようとして、カースはついさっき女達に囲まれていたリンデルの姿を思い出す。 あの時はまだ、大きな甲冑がなんとかリンデルと女達の間に物理的な距離を作っていた。 その上での、あの状態だ。 もしこれが、甲冑を着ていないリンデルだったなら……。 男は一瞬迷ってから、口を開いた。 「……なあ、こいつこのまま、俺が連れ帰るんじゃマズイか?」 「…………カースが?」 「ああ」 「カースの家に?」 「ああ」 「ロッソだけ?」 「…………ああ」 「…………」 黙ってしまった青年を、男は内心にじわりと焦りを浮かべつつ見つめる。 「…………どうして?」 真顔で尋ねる青年の表情から、感情が全く読めず、男は仕方なく思っている事を正直に話した。 お前がまたあんな目に遭ったらと思うと、俺はたまらない。と。 話を聞いて、青年はほんの少し淋しげに笑った。 「……わかった。じゃあ今日は俺がいいようにしとくから、ロッソはカースのとこで、起きるまで寝かせてあげて」 明日の出立は昼過ぎだし、少々遅くても大丈夫だとリンデルは言いながら、カースの耳元へと顔を擦り寄せる。 「……でも、もう、俺以外の人としたらダメだよ?」 耳元で囁かれて、カースはびくりと肩を揺らした。 「なっ…………!?」 それは、カースにとって考えてもみない事だった。 「そっ、んなことあるわけないだろ!?」 言い返されて、リンデルは笑ってみせる。けれど、冗談のつもりではなかった。 カースの胸元で眠るロッソがこの大声にも目を覚さないことに、若干胸は痛んだが、それ以上に、そんなロッソが羨ましかった。 「俺も、後から宿抜け出そうかなぁ……」 「もうやめとけって」 大ため息をつく男に優しく頭を撫でられて、金色の青年は渋々荷物をまとめる。 「明日、見送り来てくれる?」 どこか不安気に振り返る青年に、男は微笑んで答えた。 「まあ、遠巻きにな」 「うん……ありがとう……」 しょんぼりと背を向けようとする青年を、男は指先で呼ぶ。 「何?」 寄ってきた青年が手の届く範囲に来ると、カースはランプを机の下に下ろす。 途端に辺りが真っ暗になる。 暗闇の中、男は青年の顎を優しく引き寄せそっと口付けた。 「んっ……」 僅かな水音と、時折苦しげに漏れる息の音が、キンと冷えた冬の夜空に吸い込まれ消えてゆく。 しばらくして男がようやく唇を離すと、青年は潤んだ瞳で男を見つめた。 男は言い含めるように、諭すように、ゆっくりと伝える。 「俺は、もう……、この先ずっと、お前だけのものだ」 青年は以前の言葉を思い出してか、ねだるように可愛らしく首を傾げた。 「それって、俺に誓って?」 「ああ……、お前に誓うよ、リンデル」 その言葉に、金色の瞳がゆるりと滲む。 「ありがとう……、カース、大好きだよ」 囁くと、青年はもう一度男に口付けた。
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