さよなら、ボリショイ

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 2022年3月、ロシアのボリショイ・バレエ団のダンサーたちが相次いで退団を表明し始めた。  ロシアのウクライナ侵攻に対する抗議だった。  イタリア人プリンシパルもまた、「正当化できる戦争はない。どんな暴力にも常に反対していく」と意思を表した。  このニュースはロシア国内の報道番組では明らかにされなかったが、幸いにもSNS上で広まることとなった。  バレエ団と並んでボリショイの名で世界的に有名なサーカス団でもこの話は持ちきりだった。  人気メンバーだったジョフは仲間を集めて自分の気持ちを語った。 「俺も辞めようと思う。今この国がやってることは許せない。どんな理由があろうとダメなものはダメだ」  ユソアも賛同した。 「私も辞める。私たちが働いて得ている収入がロシア軍のものになってると思うとたまらないわ」 他にも辞めたいという意思表明をするメンバーがたくさんいた。  そんな中、少し離れた場所でこの話を聞いていたライルは重い腰を上げて言った。 「俺はここにいるよ。この歳だ、ここを離れてもやっていく自信はない。それにな、俺はプーチンには世話になったんだ。奴がサーカスを見にきた時、一緒に写真も撮ってもらったさ」 「そういうこともあったなあ…」 「あいつはそんな悪い奴じゃなかったんだ。いつからこうなってしまったのか…」  ジョフはライルに優しく寄り添うようにして言った。 「もちろんここにいることが悪いことでもなんでもないさ。あんたはここにいていろんなことを見ていて欲しい。何かあったら教えてくれ」 「そうだなあ…ところでみんなはここを辞めてなんかあてはあるのか?」  多くのメンバーが首を傾げる中、ジョフとユソアは違った。 「実はさっきも話してたんだが、ちょっと考えてることがある。まだ秘密だけどな」 「そうか。まあおまえたちならなんかやってくれそうだ。楽しみにしてるよ」  そしてみんなそれぞれの思いに耽るように横になった。  長く寒い夜がみんなを包み込んでいった。
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