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私達は招き猫夫婦だ。と言っても猫ではない。無論、置物でもない。普通の人間。単に、人を招き寄せる能力を有しているだけの夫婦。
招き猫夫婦とは? と疑問に思われる人もいるだろう。だから、まず招き猫夫婦を説明する必要がある。
招き猫夫婦とは、例えば、お祭りに行ったとする。誰も並んでいない夜店。一生懸命にお好み焼きを準備しているけど、売れていなそう。そんな店に私と旦那が並ぶ。すると、あら不思議、何故かお好み焼きが完成して受け取る頃には列ができている。
偶然? かもしれない。けれども、偶然も何回も続けば必然と言うことも出来るんじゃないかな。その他にも、ドライブスルーが私達が並んだ次の瞬間から後ろに並び始め、気がつけば長蛇の列が完成していることも良くある。
旦那は理系で招き猫効果のようなものを理論的には信じていないから分析をすることがある。例えば、私達が夜店で並ぶのは客は並んでいないけれども美味しそうなお店を選んでいる。とか、食事時より本の少しだけ早いタイミングでドライブスルーに並ぶから後ろで渋滞になるほどの混雑になるんだとか。
確かに、その理屈は正しいように聞こえる。一つ一つの事象に何らかの理由とか要因とかがあって説明できるのかもしれない。ただ、そのような理由を生み出す行動を無意識に行えるのなら招き猫効果を発動できる招き猫夫婦と名乗っても良いんじゃないって思っている。
実際の所旦那は理詰めで考えて全ての事象に対して説明を考えるものの、私が招き猫夫婦と自称することには反論してこない。何故なら、自分も同じことを思っているとのことだから。
それに、私達夫婦が招き猫効果を習得した理由を知っているから。
***
あれは梅雨が間近の生暖かい初夏の日だった。近くの工場で研究職についている旦那が猫を連れて帰ってきた。
その猫は白と黒のハチワレ猫だった。まだ手に乗るほどの子猫でやたらと可愛かった。が、猫は警戒していた。ダンボールの中から、シャーと威嚇をしてきた。
「どうしたの?」
私が訊くと、旦那は、
「会社にいた」
と答えた。
詳しい話を聞くと、実験設備の置かれているテントの中に猫が巣食っていたので捕まえたとのこと。どうやら、母猫と子猫三匹いて母猫と一匹は逃げ出して何処かに行ってしまったけれども、二匹は捕まってしまったようだ。
「一匹しかいないけど?」
「もう一匹は他の人が連れ帰った。そっちの猫はぼーっとしていていかにもトロそうな猫だったんだけどな」
どうやら旦那は気性の荒い方を貰ってきたようだ。こういうところは要領が悪いな。とか思ったがそんなことを考えている暇はない。この猫をどうやって育てるか。が重要だ。
「どうすればいい? とりあえず餌は買ってきたけど」
旦那が、ダンボールを床に置いて猫に餌をあげようとすると、猫はダンボールに手を伸ばそうとした瞬間に猫パンチを繰り出してくる。
子猫だから無理やり押さえつければなんとかなる。とは思うものの、どうせ押さえつけても餌は食べないだろうから落ち着くまで待とうという結論に達する。お腹が空けば餌を食べるはずなんだから。
私と旦那はカッターを使って底の浅いダンボールを作り、猫用のトイレを作った。そして、使っていない部屋に猫用のトイレと小皿と子猫の入ったダンボールを置いてから出た。
一週間くらいはハンガーストライキをされると覚悟していた。が、そんなにはかからなかった。三日くらいで餌を食べるようになり、一週間も経てば威嚇をすることはなくなった。
二週間経った頃にはかなり慣れてきて触れるようにもなっていた。だから、お尻や体を拭いたりも出来るようになったので、動物病院につれていくことにした。雄だということは分かっていたから去勢をしたかったのだ。
それに、病気とかダニとかノミも確認する必要があったから。
動物病院ではそれなりに費用はかかったけど、状態は悪くなかった。耳にダニがいてその駆除はあったくらい。野良猫なのに、かなりの健康優良児であった。
慣れてきた頃に、ムーちゃん(猫の名前)をお店につれていくことにした。お店と言っても、自宅兼雑貨屋の雑貨屋部分にだ。
私の家は私の両親から引き継いだ店舗付きの家だ。相続時の約束が雑貨屋をやること。となっていたから私は毎日お店を開けることにしている。勿論、土日は休み。時々、母もお店に顔を見せる。けれども、売上は殆どない。間違いなく母の趣味でしか無い。主に母が作った雑貨を売るだけの。
そんな開店休業中のお店にお客が入るようになった。
沢山ではない。今まで通り過ぎるだけだったはずの高校生がちょくちょく店に入ってくるようになった。
その理由を私は知っていた。ううん。違う。理由というよりタイミングを知っていた。というのが正しい。
ムーちゃんが入口近くに置かれた椅子にチョコンと座っているとお客さんが来るのだ。特に、高校生の帰宅時間に座っていると、間違いなく何人か入ってくる。
招き猫効果。というより、その高校生が猫が好きだったんだろう。と思う。旦那が連れて帰ってきた時には、あれほど人間に敵対していた彼はいつの間にか大人しくなっていて、撫でられそうになるとササッと逃げてしまうものの威嚇したり猫パンチをすることはない。
それだけではない。まだ子猫なのに落ち着きがあった。店の中のものに悪戯をすることもカーテンを引っ掻くことも壁で爪研ぎをすることも――これは時々あったけど――兎に角、人間のような猫だった。
私と旦那がこたつで食事をしていても遠くから見ているだけで近づいてこない。こたつに上って用意したご飯を食べたりすることなど当然無いし、お魚を咥えて逃げていくことなどは想像することすら出来ないほどだった。
そんなムーちゃんの人気を見て取った母はムーちゃんブローチを作った。売るためだったのか、ムーちゃんの魅力に取りつかれたのか、母の本心は今となっては知ることは不可能だけど、ムーちゃんをイメージしたブローチの出来は悪くはなかった。
勿論、爆発的に売れるなんてことはない。所詮は商店街の外れの雑貨屋。時々、女子高生や馴染みのお客さんが買っていくだけのこと。でも、その事自体が私には驚異的なことに思えていた。私が小さい頃から母が作った雑貨が真っ当に売れているのなんか見たことはなかったから。
雑貨屋は閉店間際の駆け込み需要が一番で、明日どうしても必要なノートや筆記用具の売上で半数を占めていたからだ。
母は味を占めたようで、ムーちゃんグッズを他にもいくつか作るようになっていた。儲かるってほどの売れ行きでも生産量でもなかったけど、赤字にならない程度には売れていたと思う。今では閉めてしまった雑貨屋の整理をすればきっと出てくると思う。残ったアイテムが。
***
そんなムーちゃんが死んだのは旦那がムーちゃんを連れ帰ってから十三年後のことだった。季節は春だった。風が強い日だった。白い梅の花が満開だった。
死の予兆は、三ヶ月前くらいにあった。足腰が弱くなっていった時に感じさせられたのだ。フローリングを颯爽と歩いていははずのムーちゃんは踏ん張れなくなったのか、後ろ足を滑らせるようになっていた。四本脚で立てなくて、前足だけで移動するようになっていた。
礼節をわきまえていて、決してこたつに上るようなことは無かった彼が、時折、こたつの上で寝るようになったのは惚けたからなのかもしれない。
だからと言って私達夫婦はムーちゃんを怒るようなことはしなかった。逆にこたつに上ろうとジャンプをして失敗することを恐れた。
あまり抱っこが好きではなかったムーちゃんだけども、この頃には抵抗をしなくなっていた。力がなくなっていたからなのか、全てを受け入れる気持ちになっていたのかはわからない。どちらにせよ雑貨屋の招き猫をしていた頃の力は失われたようだった。
動物病院で一週間に一回、最後の頃には二回も点滴をしていた。このときもムーちゃんは大人しく、あるがままを受け入れるように診察台の上でジイっと固まっていた。
先生に、「賢い猫ちゃんですね」と言われて少しだけ誇らしくなった。一度だけ、「ニャ」と叫んで診察台から飛び降りようとしたときは先生と一緒に押さえた――この状態で飛び降りたら怪我をするのは間違いない。
最後の日は絶望的に感じられた。もう、いつ死んでも不思議ではない。ムーちゃんの死を受け入れていたにもかかわらず、私は涙が止まらなかった。彼はもう立つことすら出来なくなっていた。敷かれたタオルの上で横たわりながら自分の運命を全て天に任せているようだった。それでいて、命の輝きをできるだけ灯していようとしているようにも見えた。
もし、私が一人だけで彼の死に立ち会っていたのなら、絶望に苛まれていたことだろう。けれども、彼は旦那が帰ってくるまで耐えてくれていた。少しずつ呼吸が弱くなっていても頑張ってくれていた。
旦那が帰ってきた後、これで心置きなく旅立てる。とばかりに息を引き取った。目は開いたままだったけれども、旦那が何度も何度も優しく撫でているうちに閉じられた。
その表情は少しだけ苦痛の痕もあったが、安らぎに満ちているように感じられた。
これは私達夫婦のエゴや傲慢かもしれないが、ムーちゃんは幸せな人生を歩めたと思う。母親と引き離してしまったのは可愛そうだったかもしれないが、その分、満足の出来る人生だったと信じている。
***
ムーちゃんが亡くなった後、私達夫婦はある一つの変化を感じるようになっていた。それが、招き猫効果だ。
私達の行く先々で人が増えるような気がした。勿論、明らかに自分がサービスを受けたくないような店に行くことはない。十分満足できるようなお店に行くことが多いことは確かだ。つまり、お客さんが来る要素は沢山ある。
だから、私達はきっかけを作っているんだと思う。この知られていないお店は、良いお店ですよ。と私達が客になることで他の人の心の中にアピールしているんだと思う。
どうして、こんな能力がムーちゃんにあってそれが私達に引き継がれたのか、旦那と話してみたことがある。
旦那は、ムーちゃんがその力を持っていたのは生まれつきの性質じゃないかと言っていた。私に言わせれば、生まれ変わりで転生前の力を引き継いでいることになるのだけれども、旦那にはそれはちょっと不自然だと否定された。
旦那曰く、テレビのアイドルやタレントが人を引きつける魅力があるように、ムーちゃんは生まれながらにして人間を魅了させる力があったのだと。もし、その力があったとしても、普通の猫であれば猫らしい気まぐれさがあって、招き猫としてお客さんを引き入れるほど入口で待つなどという落ち着きさは無いかもしれないが、彼は魅力だけでなく落ち着きや気品さがあった。
見知らぬ人に容易に触らせたりはしなかったが、常連さんには撫でることは許していた。時々、私や旦那には甘えることもあったが、雑貨屋ではそんな様子を見せることはなかった。
旦那は、そんな中の人を引きつける力か何かを私達は手に入れたのだという。いつもいつも彼のことを観察していることで、彼の影響を受けて招き猫的力を会得するに至ったと。
正直、私には旦那の言っていることはよく判らない。本当のようにも聞こえるしデタラメにも思える。ただ、そもそも話として気分的に納得できない。
そんなことより、私達夫婦はムーちゃんの力を受け継いだ。と考える方が十分に説得力があると思う。亡くなる寸前に、自分のことを忘れられないように、自分の生きた証を残すために私達に力を預けたんだって思いたい。
だから、私達夫婦は私達の後ろに列ができる度に言う。
「ムーちゃんの力だね」
って。
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