一、

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一、

 貫太には、忘れられない男がいる。  その男は、貫太が高校二年生となった年に新入部員としてやって来た。その年は弱小校としては随分と恵まれていて、目を惹くような一年生がふたりも入ってきた。  ひとりは、圧倒的な運動センスの持ち主だった。野球の経験はないと言っていたが、そう時間をかけずにその頭角を現した。  そしてもうひとりは、野球が好きで好きで堪らないといった様子の、努力を惜しまない男だった。その男は、名前を貴島和(きじま・やまと)といった。  センスや才能というものには確かに憧れる。けれど、努力をして得たものというのは、それに勝るものがある、と貫太は思っていた。  いや。正直に言うのならば、前者はどうしたって受け入れ難かったのだ。才能には確かに憧れる。けれど自分にはそれがないし、手に入らないものだということをわかっている。少なくとも、野球に関してはそういうものは持ち合わせていないと、もう自覚している。諦めたと言ってもいい。  そういう、自分にはない輝かしく見えるものは、どうしたって心を黒く塗り潰すのだ。  対して、努力は違う。努力の結果で得た力は、認めざるを得ないものだ。そして、自分の希望にもなる。自分もそうあれるかもしれない、という希望に。  だから、貫太は思っていたのだ。次のエースはきっと和だろう、と。  なのに、である。  貴島和は唐突に、姿を消した。あれ以来、貫太はこの男を忘れることができない。  *  * 「おいおい、水澄。このままだと部長にはさせられないぞ」  本当の意味での部活動引退の日。あの試合からひと月あまりが経って、部室の片づけを済ませ、いよいよ下級生に引き継ぎも行ったその日、そんな言葉が貫太の耳に飛び込んできた。声の方へと振り返れば、顧問の教師が半分笑いながら、けれど半分は本気を滲ませたような表情で水澄紺(みすみ・こん)の肩をどついている。  紺は、部員全員が認める実力の持ち主であり、つい先ほど次期部長にと引き継ぎもなされたばかりの後輩だった。そしてこの後輩こそ、貫太が圧倒的な運動センスがあると認めたその男だった。  と、そんな顧問の言葉を聞いていた他の部員が、どこかからかい交じりのにやにやとした笑みを浮かべながら集まってくる。 「おい、さっそくなにやらかしたんだよ、水澄ー」 「ていうか、さっきの新任挨拶もやる気なさすぎだろ」 「水澄くん、そんなんじゃあ、俺が部長の座を奪っちゃうよ?」  わいわいとそんな言葉がかけられる中、紺はどこか不服そうに顔を歪めた。 「別に、部長になりたかったわけじゃないし」  そして、ぼそりとそんなことを言う。その言葉に貫太は眉を寄せた。舌打ちすら零れそうになる。この男を認めきれない自分が腹の底からむくむくと顔を出す。  正直なところ、この男にやる気がないことは百も承知だ。確かに運動センスはあるし、やるときはやる。けれど基本の姿勢として、紺はあくまでも『怠惰』だった。これが紺の性格であり、性質だ。わかっている。けれど貫太たち三年生の引退の日、最後の最後まで、この男はそんな姿勢なのか、と無性に腹が立ってくる。そんな紺には、一言ものを申さずにはいられなかった。貫太は紺の方へと足を一歩踏み出す。 「おまえ、」  紺の方へと不満に濡れた声を投げた。  が、結局それは最後まで言葉にはならなかった。紺の周りにいた部員たちが「わっ」と笑いを爆発させたことで遮られてしまったのだ。貫太は突然のことに驚いて目を丸くし、口から出そうとしていた言葉を引っ込めてしまう。何事かと笑っている奴らに目を向ければ、そのうちのひとりが紺の背中を勢いよく叩きながら口を開いた。 「でもおまえ、本当は嬉しいくせに」  その言葉を聞いて、貫太は思わず片眉を上げる。そのまま紺へと視線を向ければ、なるほど、先ほどまで不服そうに見えていたその表情は、今はどこか拗ねているようにも見えてきた。
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