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サーカスの全員が領主様の館に呼ばれ、領主様と謁見する。一体どんな話をされるのかとみな緊張している。
僕は領主様と会うのははじめてではないけれども、領主様として紹介された人物を見て驚いた。そう、領主様と会うのははじめてではない。けれども、僕が想定していた人物とは別の人だったのだ。
一体なにを言われるかはわからないけれども、彼なら僕達を悪いようにはしない。その確信だけがあった。
領主様が口を開く。
「話というのは他でもない。
お前達サーカス団はこの街での営業許可を取っているのか?」
その言葉に、僕達は想わずきょとんとしてそれぞれに顔を見合わせる。今までどの街でも、もちろんこの街でも営業許可を得る必要性に迫られたことがないからだ。
「まぁ、許可を下ろさずにお前達を追い出すことに、我々にはなんのメリットもないのだが」
よかった、なにか悪いことを言い渡すつもりではないようだ。僕がほっとしていると、領主様はぐるっとサーカスのみなを見渡して言う。
「お前達がこの街で営業することは許そう。その代わりに訊きたいことがある」
その言葉に、ラビが平静を装う声で訊ねる。
「訊きたいこととは?」
「このサーカス団に、マリリアードという男はいるか?」
それを訊いて心臓が跳ね上がる。僕がどうかしたというのだろうか。
領主様は言葉を続ける。
「私の記憶がたしかなら、マリリアードという男はかつてこの街で暮らしていたはずだ。
私は彼に用事がある。
さて、いるのかな? マリリアード。
いや、マリユス」
その言葉に、僕は思わず顔の上半分を覆っている仮面に触れる。まさか領主様に僕の正体が割れているとは思っていなかったのだ。
隣で跪いている友人がちらりと僕を見る。僕はあくまでも柔らかい声で言葉を返す。
「マリリアードというのは僕です。
ですが、マリユスと言う名前は聞き覚えがありませんね」
すると、領主様は意地悪く笑う。
「私の目は誤魔化せないぞ。数年前にこの街に来たとき、お忍びでおまえの剣技を見せて貰った。
まさか剣技をするとは思っていなかったが、礼をするときの所作がマリユスそのものだったのだが」
まさか見に来ているとは思っていなかったし、そんな些細なことでばれてしまうとは思っていなかった。
僕は溜息をついて仮面を外す。
「……お久しぶりです、メチコバール様。
それで、僕に用事とは一体なんでしょうか?」
僕が領主様の名を呼んでそう言うと、メチコバール様は真剣な顔をしてこう返す。
「お前がいることを確認したくて用があると言ったが、正確にはお前がいるサーカス団そのものに用がある」
「どういうことですか?」
僕の疑問に、メチコバール様はラビの元に歩み寄ってこう告げる。
「このサーカス団を市民の娯楽のために抱えたいと思う。了承してくれるか?」
メチコバール様がサーカス団を抱えたい? 市民の娯楽のためと言っても、直々にそんな事をする必要があるのだろうか。
僕がそう疑問に思っていると、ラビはメチコバール様を仰ぎ見て訊ね返している。
「我々を抱えたいとのことですが、身の安全は保証されるのでしょうか」
「身の安全とは?」
「……よそ者が狩られないかどうかということです」
この街は港があることもあり、住人達はそこまで排他的ではない。けれども、僕達には身の安全を保証してもらわないと困る理由がある。
その理由をメチコバール様は知っているだろうか。知った上で僕達を抱えると言っているのだろうか。
僕の脳内の疑問に答えるように、メチコバール様はこう答える。
「ユダヤ人狩りをしていた修道士は処刑した」
その言葉に、みなが安堵の溜息を漏らす。僕も同様だった。
「お前達がユダヤ人なのは知っている。それをわかった上で、それを隠してお前達を抱えたい」
メチコバール様の言葉に、僕の隣にいる友人が訊ねる。
「この街がオレ達の安住の地となることを約束してくれるんですか?」
その問いには、答えのようなそうでないようなものが返ってくる。
「この街で、治安向上のための手助けをして欲しい」
どういうことだろう。治安のために僕達にできることなんてなにも無いと思うけれど。
僕達がそう思うのをわかっていたようすのメチコバール様は、サーカスと治安向上の関係性を説明してくれる。それを聞いて、みなわかったような納得しかねるような仕草をしたけれども、メチコバール様のこの言葉は効いた。
「了承するならお前達の身の安全は保証しよう」
僕以外の全員は、どこまでメチコバール様のことを信じられるのか測りかねているようだったけれども、危害を加えるつもりがないということはわかったようで、ラビが申し出を受ける旨を伝えた。
その日から、僕達はテントではなく領主様の屋敷に住むことになった。
使用人用の部屋もだいぶ余っているらしく、そこで寝泊まりするようにと伝えられた。食事もこの館で提供するということになり、突然の厚遇に全員が呆然としていた。
サーカス団の団員の中には、こういったきちんとした建物の中で寝るのがはじめての者も少なくない。外で強い風が吹いても壁がびくともしないことに、逆に緊張してしまったようだった。
そうしてメチコバール様の館に住みはじめた翌日、同じ館に住んでいる前領主様に僕だけが呼ばれてこんなことを言われた。
「やあ、久しぶりだねマリユス君」
「お久しぶりです、アモバン様」
「突然だけど、メチコバール君の補佐役になってくれないかな」
「はい?」
前領主のアモバン様の申し出は、あまりにも唐突だった。僕の知る限り、メチコバール様は優秀な方だし、今まで補佐役がいなくてもなんとかなっていたのだから、今更僕が側に仕える必要はないと思った。
「どうして僕が補佐役に?」
思わず疑問を口にすると、アモバン様は溜息をついてこう説明する。
「領主の仕事は私と娘も手伝っているとはいえ、メチコバール君だけでは荷が重いんだよ。
だから、メチコバール君の友人の補佐をしていた経験があって、実績のある君に補佐役を頼みたいんだ」
「なるほど……」
僕が納得していると、アモバン様は困ったような顔をしてこう続ける。
「それに、メチコバール君はすぐに悪い癖が出るんだ。
えっとあの、ラビだっけ? きっと今頃あの人が大変なことになってるから行ってあげて」
「はい?」
どういうことかと思って急いでみなが朝食を食べている食堂に行くと、使用人用の食堂なのにもかかわらず、なぜかメチコバール様がいてラビに絡んでいた。
「頼む、お前達にはお前達なりの医術があるんだろう、その話をどうか私に聞かせてくれ!」
「いやいや、なんで急にそんな話を?」
突然のことにラビが戸惑っている。それはそう。
そういえばメチコバール様は元々医者で、異国から医学書を取り寄せるほどに研究熱心なのだった。そんなメチコバール様が独特に見える僕達の医療に興味を示さないわけがない。
僕はラビからメチコバール様を引き剥がし、これからは僕が補佐役になることをメチコバール様に告げた。
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