また明日

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また明日

明日が必ずやってくると約束した者は誰も居らないのだ。 和樹、川さ夕日みに行がね」 由紀子は退屈そうに鉄棒にぶら下がったまま言った 「明日でいいべせ」 「おら、今日行きてえなあ」 「明日も天気いいってらで」 「おもしぇぐねえ」 不満そうに由紀子は鉄棒を揺すってみた 空は青く傾きかけた太陽が校舎を照らしその光を反射した窓硝子は痛いほど眩しかった 「おら、今日行きてえ」 由紀子はもう一度言ってみたのだが和樹は覚えたての逆上がりを何度もするばかりであった やがて日が暮れ帰り道 別れ際に和樹が変なことを言った 「へば、元気でな」 由紀子は、はて、と考え込んだが 「うん、また明日、学校でな」 そう由紀子は答えた 「あ、そいがら明日、絶対川さ行ご、約束だや」 振り向き和樹に念を押した 「うん、わがった。へばな」 家に入りかけた和樹は手をふった 由紀子と和樹の家は隣同士 隣といっても田舎の隣はそこそこ距離の離れた隣であるが 由紀子の家からは煮魚のにおいがしていた 「ばんげのまんまさがなだな」 その晩、由紀子が床にはいりうつらうつらとしかけたときであった 村に一台きりの救急車の音が遠くから聞こえてきた それと一緒に巡査のパトロールカーの音も響いた 居間の方から両親の話し声がする 「おや、こっちゃ来たど」 「あや、どごの婆さまだべが」 「わがらね」 「なしたべ」 「おら、ちょっとみでくる」 父親は外に様子を見に行った 救急車とパトロールカーは由紀子の家の前を通り過ぎ和樹の家の辺りで止まったようだ ほぼ同じく黒い電話がジリリリと大きな音をたてた 「あや、なしたど、ほんとにげ」 電話に出た母親の驚嘆した声に由紀子は胸騒ぎを覚えた 「今、父さん外さ見に出だおん、おいも行ってみる」 ガチャと電話をきり母親も家から出ようとしていた 「母さん、なしたの」 襖を開けて由紀子は母親に問いかけた 「なんも、由紀子はまず黙って寝でれな。なんでもねえがら」 大変に慌てた様子の母親に殊更胸騒ぎというか悪い予感のようなものに襲われとてもひとりこの家にはおられない由紀子であった。 なんの恐怖かも分からぬが得体の知れぬ恐怖にかられた。 母親は由紀子を寝かしつけようとしたが眠れるはずもなかった。 やがて父親が帰って来るなり 「あれだば、ひでえ」 「父さん、由紀子起ぎでるがら」 父親は由紀子の頭を撫でた 「なんもしんぺえね、山の方の婆さま、あだって運ばれただけだ」 しかし由紀子の胸騒ぎはおさまることをしなかった。 次の朝早くまた黒い電話がジリリリと鳴った 連絡網で今日は急に学校が休みになったそうだ。 やはり村で何かよくないことがあったのだと由紀子は思った。 由紀子はそっと外に出てみた。 和樹の家の前にはたくさんのパトロールカーや巡査たち、それに新聞社の記者などが押しかけていた 「母さん、母さん、和樹の家さなにがあったなだが」 玄関から大きな声で由紀子は母親を呼んだ。 「父さん、なんとす」 「いい、おら、すかへるために」 父親は由紀子を家の中へ入れ重苦しい表情で語り聞かせた。 普段から酒癖のよくない和樹の父親が、夕べよけいに飲みすぎたらしく泥酔して鉈(なた)を振り回して暴れ、一家全員が亡くなったことを聞かせた。 「和樹もが」 「んだ。みんなすんだ」 恐ろしい胸騒ぎは的中していた。由紀子は泣くでもなく、とにかく恐ろしく、しばらくは父親の腕につかまっていた。 また明日。 二度と来ない明日。
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