「兄」になった日

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「兄」になった日  もうすぐ「母」に子が生まれる。私の「弟」となる者が誕生するのだ。はたして、私は「兄」になれるだろうか。今から生まれてくる者より多少年長だからといって、容易に「兄」が務まるわけではないだろう。「兄になる」というのは、私にとって責務のひとつであるように感じられる。「兄」として、範となるべき行動、発言が求められ、時に導き、時に正さねばならない。そうして適切な行動をとらなければ、我らのような存在はたちまち死に追いやられる。その日の食べ物にも事欠き、寝床を探して彷徨い、時に戦わねばならない。  今でこそ安全な場所に身を潜めているが、いつ何時放り出されるか、わかったものではない。生き続けるためにも、我らは常に助け合わなければならないのだ。そのためにも、生まれてくる者への教育は手を抜いてはならない。  まずはこの世界の理を教えよう。強い者、弱い者、知恵ある者、狡猾な者……この世界には多種多様な者が存在している。当然、敵となる者もいれば、我らを支援する者もいる。重要なのは、その見極めである。支援するふりをして攻撃してくる者もいるのだから、警戒を怠るのは愚の骨頂といえよう。だが、そういう輩は実に巧みに近づいてくる。我らを油断させるのがとてつもなく上手いのだ。  現に、私の同胞は捕らわれ、どこかへ連れ去らわれてしまった。もう生きてはいないだろう。かく言う私も捕らわれの身となったものの、幸いなことに「母」と「父」にめぐり逢い、生き永らえている。私の「弟」となる者には重々忠告せねばなるまい。  敵は何も地上だけではない。翼を持つ者らが頭上から狙ってくるのだ。体が大きくなれば、彼らを狩ることもできようが、今はまだ敵わない。彼らの目から逃げるよりほかないのだ。  しかし、彼らはなぜかここには入ってこられないようだ。互いの姿を認めても、遠くから見つめるばかりで、襲いもしなければ、食料を奪いにも来ない。だからこそ、ここは安全な場所と言えるのだが。  とはいえ、いつまでもここにいられる保障はないのだ。私が捕らわれていた時に出会った者は、生まれてすぐは「家」――私が今いるここも「家」だ――で暮らしていたものの、ある時突然外に出されてしまったのだという。食事を求めて彷徨っていたところを捕らわれたらしい。その者は気性が荒かったのだが、ある日突然おとなしくなった。何があったのかと尋ねてみると、突然眠らされ、気が付いたらこうなっていたのだと言った。よく見れば、片耳の先が欠け、体の一部も取り払われてしまったようだ。なんと恐ろしい場所なのだろう。私は震えた。いつか私も同じ目に遭わされるのかもしれない。  そのときはまだ同胞もいて、互いに身を寄せ合って過ごしていた。しかし、ついにその時がやってきてしまった。私と同胞は別の場所へ連れていかれ、眠らされ、気が付けば片耳の先が欠けていた。私は体の一部を失っていたが、それがなんだったのか、よく覚えていなかった。同胞も同じようだった。  荒くれ者の話を聞いたときは身の毛がよだつほどの恐ろしさを覚えたものの、いざ終わってみると、何やらすっきりしたような、あるいはすぅすぅと風穴が空いたような心もとなさがあっただけであった。しかしそれも、しだいに慣れてしまった。  そんなことがあってからしばらく、同胞とは別れ別れになり、私は「母」と「父」に出会った。 便宜上、そう呼んでいるものの、私の本当の親ではないことは一目瞭然である。「母」と「父」も、私よりはるかに大きく、二本足で歩く生き物であるが、私は四本足で歩いている。  私は高い場所でも平気で飛び乗ったり、飛び移ったりしているのだが、「母」と「父」はできない。地面ばかりを歩いている。きっとつまらないのだろう。なぜなら、戸棚に飛び乗り、寝そべる私を楽しそうに見上げてくるからだ。私が羨ましいに違いない。  だが、戸棚の上は狭いので、私が独占してしまっているのかもしれず、あえて上ってこないだけなのかもしれない。とても申し訳なく思う。「弟」が生まれた際にはこの場所を譲ってやろう。私は「兄」なのだから、当然だ。  さて、子を産むために、「母」はどこかの施設に行ってしまった。その間、私は「父」と過ごすことになったのだが、「父」という者は「母」と比べていささか不器用であった。  私の食事を用意するために缶詰を開けなければならないのだが、「母」はぱかりと開けて皿に盛りつけるのだが、「父」ときたら勢い余って缶詰の中身を床にぶちまけてしまった。  食いはぐれてしまうわけにはいかないと、一目散に駆け寄り、食べ始めたとたん、「父」は情けない声を上げた。皿に盛りつけてから食べろと言いたいのだろう。だが、私は腹が減っているのだ。この場合、スムーズに食事を用意できなかった「父」に非があるのは明白である。私は構わずに食べた。「父」はため息を吐きながら床を拭いていた。その横で、私は顔を洗っていた。次はちゃんと用意してもらいたいものだ。  そんな「父」だが、私の抱っこに関しては「母」より上手かった。どうやら「父」が幼少期の頃に、私のような者と暮らしていたことがあったらしい。体を拘束されるのは好きではないが、「父」の腕に抱かれると不思議と収まりがよく、思わず喉が鳴るほどだった。  また、「父」は狩りの仕方を教えてくれた。ひも状の玩具を獲物と見立て、私の前で巧みに動かしてみせるのだ。私はらんらんと目を光らせ、飛びついては仕留める練習に明け暮れた。いつか本物の獲物を狩れるように。  ところで、私に「兄」になることを教えてくれたのも、「父」であった。私はいまだ了見が狭く、ものを知らない。だから、「父」と「母」の会話は常に私に驚きと発見を与えてくれる。どうやら同じ場所で暮らす年少者の集団を「兄弟」というらしい。そして、先に生まれてきたもの――つまり、私だ――を「兄」と呼び、次に生まれてくる者たちを「弟」あるいは「妹」と呼ぶそうだ。同じ場所で暮らす同胞は、私にもいた。今にして思えば、「兄弟」と呼べる存在だったのだろう。  捕らわれる前は、屋根のある場所を求めて皆で彷徨い、身を寄せ合って暖を取った。そこに「上下」はなかった。率先して皆を率いていた者がいた気もするが、「父」が教えてくれたような、模範となるべき存在たる「兄」ではなかったように思う。私は「兄」というものを知らないが、知らないなりに務めを果たせるよう精進あるのみである。 ***  数日後。「弟」がやってきた。「弟」は「母」の腕の中ですよすよと眠っていた。「母」がわざわざ膝を折り、私と対面させてくれたというのに、私は驚きのあまり逃げ出してしまった。ソファの下に潜り込む私を、「父」も「母」も心配そうに覗いていたが、「弟」がなにやら声を上げたため、二人の意識はそちらに向いてしまった。  情けなくも、私は安堵した。「兄」になると意気込んでみせたものの、恥ずかしながらパニックに陥ってしまった。理由は至極単純で、私とは似ても似つかない生き物だったからだ。大きさは私と同じくらいから、やや大きいくらいだろう。何より驚いたのは、毛と尻尾がなかった。つまり、「父」と「母」に似ていたのだ。そこでようやく、私の「弟」となる者は「人間」なのだと悟った。  私は今の今まで、私と同じ生き物が「弟」になるものだとばかり思い込んでいた。自らの不明を恥じるばかりである。私のような「猫」と呼ばれる生き物、「父」や「母」のような「人間」と呼ばれる生き物の区別はつくものの、浅学の身であることを強く感じ入った一件であった。  こんな私が「兄」になるのかと甚だ疑問であり、不安でもある。私はしばらく自信を失い、遠くから「弟」を眺めるばかりであった。  しかし、何事にも転機は訪れるものだ。昼寝から起き、水を飲んでいると、不意に視線を感じた。顔を上げると、柵に囲われたベッドで横たわる「弟」と目が合った。「弟」は寝るか鳴くかのどちらかだったので、私と似ているなと思った。ただ、鳴き声が少々やかましく、いつか躾けてやらねばなるまいと感じていた。 「弟」はじっと私を見つめている。まだ自力では動けず、もっぱら「母」に抱かれて移動している。庇護すべき存在なのだ。私はそっと近づき、柵の間に鼻を突っ込んでひくひくと匂いを嗅いだ。「母」とミルクが入り混じった匂いがする。平和で、穏やかな匂いだ。私への敵意は感じられない。  好奇心がむくりと沸き起こり、私はひょいとベッドに飛び乗った。柵が邪魔だったが、「弟」を守るためにあるのだと考えれば致し方あるまい。通り抜けるには狭かったので、軽々と飛び越え、「弟」に近づいた。  顔を寄せ、匂いを嗅ぐ。「母」の匂いが一段と強い。おそらく、「母」に抱かれてミルクを飲んでいたのだろう。そういえば、「父」に抱かれた時、何が気に入らなかったのか、盛大に喚いていたことがあった。私の抱き方は抜群に上手いのに、不思議なものである。  うろうろと「弟」の周りを歩き、ひとしきり匂いを嗅ぐと、さてどうしたものかと考えた。私が「兄」であると名乗るべきか。「弟」は黒々とした丸い目で「私」をじっと見つめるばかりである。そのくせ、私を認識しているのか怪しいものであった。  私もまた、「弟」を見つめ返す。落ち着かず、ぱたぱたと尻尾を動かせば、「弟」は尻尾に興味を持ったようだ。動くものに興味を示すのは良い。獲物を見極める練習にもなろう。これ見よがしに、盛大に尻尾を動かしてやった。  それからというもの、私は折りを見ては「弟」に近づき、匂いを嗅いだり、尻尾を動かしたりした。「弟」はしっかりと私を認識するようになった。私が近づくだけで、うれしそうな声を上げる時もあった。 それを見た「父」と「母」は私が「弟」をあやしているのだと理解し、「弟」は喜んでいるのだと言った。「弟」の面倒を見るのは当然のふるまいである。「兄」としてはまずまずの評価だろう。よりよい「兄」になるべく、さらに精進せねばなるまい。 「弟」は健やかに育ち、やがて自力で移動するようになった。といっても、立ち上がることはまだできず、私のように四つ足で歩いている。「父」と「母」が言うには、「ハイハイしている」らしい。この頃になると、私にも多少は人間の営みが理解できるようになっていた。  私の「弟」は活発であった。私の後を追いかけて回り、たまに私の尻尾を掴んで私を驚かせた。思わず手が出そうになったが、「兄」は諭してやらねばならない。私は鋭く鳴き、ぱっと戸棚の上に飛び乗った。さすがにそこまでは追いかけてこれまい。「弟」はよじ登ろうとしたが、バランスを崩して後ろにひっくり返った。「弟」は目を丸くし、くしゃりと顔を歪めた。どこか痛めたのだろうか。あるいは怪我をしたのではないか。  慌てて近づくと、「弟」はとたんににこにこと笑って手を伸ばした。尻尾を掴まれそうになったので、するりと躱し、前足でぷくぷくとした頬を軽く押した。「兄」をからかってはいけない。だが、怪我がなくてよかった。 「弟」はまた、好奇心旺盛であった。私が窓辺に座って外を眺めていると、ハイハイ歩きでソファに近寄り、よじ登ろうとした。彼も外の様子が気になるのだろう。先ほど散歩中の犬が通りかかったくらいで、特にこれといって目新しいものはない。だが、彼はおのれの目で縄張りを確認したいのだ。安全を保つには、見回りは重要な日課である。この心意気や良し。  だが、今の「弟」では、ソファのへりに捕まって、どうにかこうにか立ち上がるので精一杯だった。足を上げてみせるが届かず、ふらふらと危なっかしく揺れている。私は転ばぬように支えようと、彼の背後に回った。すると彼は何を思ったのか、ソファのへりから手を離し、くるりと後ろを振り向いたではないか。そうして、たどたどしい足取りで前に踏み出し、盛大に転んだ。泣き出すのではないかと心配になり、顔を覗き込む。すると、なぜか手足をじたばたさせ、きゃっきゃと笑い出した。  一連の動作を見守っていた「父」と「母」は「立った!?」「歩いた!?」「スマホどこ!?」などと大騒ぎしていた。まったく理解ができない騒ぎ方である。だが、察するに、「弟」の成長を喜んでいるのだろう。私からするとまだまだ未熟者なのだが、喜ぶべき一歩に違いない。ならば「兄」は褒めてやらねばなるまい。私はヘソを天に向けたまま笑う「弟」の顔をぺろりと舐めた。 ***  さて、人間の成長は目を瞠るものがある。「弟」は「父」の背丈の半分ほどまでに大きくなった。私が昼寝に勤しむ間、「弟」は「学校」に行き、「ともだち」らとともに勉学に励んでいる。家に戻れば、私と遊ぶこともあるが、最近の私ときたら寝てばかりいる。  決して「弟」が嫌いになったとか、世話をするのが面倒になったとか、そういうわけではない。ただなんとなく、自分の終わりというものを感じ始めていた。それが明日なのか、はたまた何年も先のことなのか、はっきりとはわからない。  だが、役目の終わりは感じている。私は「兄」として、「弟」とともに過ごしてきた。窓から落ちそうになれば、服を引っ張って引き留め、「母」に叱られて泣き出せば隣に座って慰めた。 「弟」は健やかに育ち、外の世界を知った。外の世界には、いろんなものがいる。「ともだち」もいれば、「きらいな子」もいる。「だいすきなせんせい」もいれば、「にがてなせんせい」もいる。うれしかったりたのしかったり、きずついたりくるしんだり、「弟」はいろんなことを私に話してくれた。私は微笑ましく聞いていた。同時に、私が「守る」だの「範を示す」だのと気張る必要はないのだと悟った。  さりとて、「弟」がいとしいことに変わりはないので、これからも「弟」をあいし、「弟」にあいされる「兄」でいようと思う。 「弟」が私を呼ぶ。私は体を起こし、ひとつ伸びをして、食事に向かった。 おわり
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