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恒星間宇宙は、魔物の現れない洞窟のようだった。
本来、豪華絢爛に宇宙を埋め尽くしているはずの星々は、光の透過をさえぎる暗黒物質で隠され、霧のようにもやがかっている。大きく見れば磁気嵐や宇宙線の洪水がダイナミックに躍動しているが、わたしが計算した航路を精確に選べば、何もアクシデントが起こらない、危険のない空間を航行することが可能だった。
まれにレーダーが浮遊物を感知することがあったが、ほとんどが星の残骸であるガスや隕石のかたまりで、たいていが数万キロ以上はなれた場所にあった。仮に衝突の可能性ががあったとしても、ユグドラシル号は自動的に進路を修正して、障害物を迂回する。
「調査艇を出そう」
その推定二百キログラム以下の小さな浮遊物をシステムが発見し、ワークステーションにいる乗組員に対して「注意警告」のメッセージを表示したとき、シェーンは子供のように瞳を輝かせた。
彼が一年前に冷凍睡眠から目覚めて、宇宙で遭遇するはじめてのイベントといってよかった。
「ただの小隕石である可能性が高く、調査の価値はありませんよ」
エネルギーは推進装置で作り出すことはできるが、備品や船の耐久性は無限ではない。補給や修繕のきかない宇宙では、リスクのある行動は避けたいところだ。
「肉眼でみてみたい」
稚気を帯びた目で、彼はわたしをうかがっていた。
シェーンはこの船の責任者でわたしの上司にあたり、基本的にわたしは彼の指示に逆らうことはできなかった。しかし、航行の進行計画や船の存続に支障がでる事態には、独自の判断を優先できた。
「なるほど」
わたしは彼の表情を観察してから、回答を選択した。
「それは面白そうですね」
「本気で言っているのか」
「いえ、こういう答えが、シェーンが楽しい気分になると、過去のデータから判断したんです。正しいですか?」
「ああ、実にうれしいよ」
彼の指示に従い、わたしは自分と調査艇の回路を接続し、その機能に問題がないか念のためチェックを開始した。一時間後、調査艇は目標物に向けて発進した。
シェーンは、調査艇の進路を示すレーダーの光を、楽しそうに眺めていた。
長い単調な航海で、彼の心に安定をもたらすための選択だった。統計学に基づいた機械学習による人工知能とはいえ、わたしにもそのくらいの臨機応変な対応はできるのだ。
「なんだ、これは?」
赤外線画像のいびつなかたちにシェーンは眉をしかめた。
温度センサーが捉えた浮遊物の図像は、裂け目のある細長い紅葉のように写っていた。中心から温度が人型に赤い輝点を発色し、約三十六度を保っている。それほど厚くない外殻が、内側の熱を外に逃がさないように遮断していた。
「驚いたな。人のかたちをしている」
裂け目のある部分が腕と脚にあたり、腰や太ももにあたる部分はなめらかな流線を描いていた。
「ウォーカス、きみには見えているのか?」
「いえ、まだ目標との距離は十キロ以上離れていますし、もやがかかっているので、目視はできていません」
わたしの機械の体はシェーンの隣にいたが、回路は調査艇とつながれ、受信機能のすべてを感知し、操作をしていた。
浮遊物の五キロ圏内に達すると、調査艇の速度を落として望遠レンズを開き、船内スクリーンに映像を届けた。
ガスの雲海が照明を飲み込んで、画面は深海のように見通しが悪い。
「もっと急げないのか?」
「見えました」
シェーンがしびれを切れらして声を荒げたとき、調査艇の照明が目標物に反射した。
星のない暗い宇宙に、紅いメタリックなボディが浮かび上がった。
近づくにつれ、それは全体に真紅のカラーリングをされた宇宙服だと認識できた。
女性的なデザインで、胸のふくらみや腰のくびれが確認できる。生命維持装置があると思われるランドセルは大きめで、小型のベッドをかついでいるようにみえた。わたしはすばやく世界政府に登録されてあるすべてのデータを検索したが、そのデザインの宇宙服は、少なくともユグドラシル号が地球を出発する以前には存在しなかった。
調査艇の灯を顔に照射した。フルフェイスの前面は透明ガラスで覆われていて、望遠レンズの焦点距離を拡大すると、内側まで確認できた。
「回収しますか?」
シェーンはすぐに答えを返せなかった。楽しそうな表情は消え失せ、呆然と口を開いている。
「もっと、拡大できないか?」
シェーンの要望に応え、わたしはさらにレンズの焦点を絞った。
幼さを残した女性の顔が、画面いっぱいに映し出された。
まぶたを閉じ、死人ような青白い表情をしてはいたが、呼吸はしているようで、その唇はかすかに震えていた。
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