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「彼女は、妊娠をしている」
「そうです」
回復器のエコーで確認したところ、カマラの子宮内には胎芽が観察された。
「だれの子か、人の子か、などという野暮なことはとりあえずおいておこう」
「心拍も確認できました。妊娠七週目ですね」
「では、少なくとも彼女が宇宙遊泳をしていたのは、七週間以内ということになるな」
シェーンが紅茶を飲みたいと言ったので、わたしたちはラウンジで向かい合って座った。ラウンジには、クロスや調度品などヴィクトリア朝の年代物がそろえられていた。女性であるメノウ博士が、出発前に飾りつけたものだ。殺風景な船内で唯一、華やかな場所だった。
「彼女は我々の言葉を理解していない」
「主要な国の言語は通じていないと判断できました。しかしまだ試していないマイノリティな言葉も多数あります。次に覚醒したときに確認してみましょう」
「そうだな、頼む」
あまり期待していない口調で言ってから、シェーンは紅茶に口をつけた。それから、テーブルに置いてあった小型のディスプレイを持ち上げて、しげしげとそこにうつっているものを眺めた。
「この宇宙服は、地球のものではないんだな」
「わたしが保管している世界政府のデータには、形状はもちろん、赤にカラーリングされたものでさえ存在しません。フィクションの世界で似たものはありますが、比較検討することは論外でしょう。世界政府以外の宇宙船が太陽系を脱出したことはありませんし、小さな組織が政府に秘密裏に宇宙船の打ち上げを行うことは、まず不可能です」
「つまり、この宇宙服は、地球製ではないということだな」
シェーンは念を押すように言葉に力を込めた。しかし、わたしは首を振って否定した。
「シェーン、地球製以外の宇宙服のデータはありませんよ。地球外文明の存在が確認できていない以上、地球製のものといわざるをえません」
西暦二五世紀の半ばにさしかかった現在、人類は太陽系外に有人宇宙飛行を行うまで進歩していたが、地球外生命体とのコンタクトには成功していなかった。百機を超える無人探査機が太陽系外惑星にたどり着いているが、いまだ多細胞生物の発見すら実現していない。
「ウォーカス、これが我々地球人と、異星文明とのファーストコンタクトということは考えられないのか」
シェーンは興奮を隠しきれない表情で訴えてきたが、わたしは機械なので、いたって冷静に対応した。
「可能性がゼロというわけではありません。しかし、彼女の人体構造は地球人そのものです。外皮の組成物質も内臓の構成、位置関係も地球人、とりわけ北欧女性のそれとまったく同一のものと思われます」
「じゃあ、どんなことが考えられるんだ? 彼女が地球人だとして、なぜ地球から何光年も先の恒星間宇宙に一人で漂っていた?」
「残念ながら、わたしの持っている情報と思考ルーチンで、この状況を説明することはできません。シェーン博士、あなたの、人間の頭脳による発想の飛躍が必要です」
わたしには情報を蓄積し、計算、分析、抽出することはできるが、イメージしたり、組み合わせたり、新しく創り出したりすることはできなかった。それができるシェーンに、新しい情報を与えてもらわなければならない。
シェーンは、誰かと会話をし議論を重ねることで思考を前進させる研究者だった。三人の博士の中では一番饒舌で、わたしに自分の考えを述べたり、質問をして反応を確かめながら、直感を言語化する。
そうだな、と彼はあごに手を置いて視線をテーブルに落とした。
眼球が静止して、虹彩が急激に拡大した。彼が集中するときの特徴だった。
「あえていうならだが、こういうことが考えられるだろう。我々が地球を離れて十五年が経過している。その間に技術革新が進み、ワープ航法が実用化された。ユグドラシル号をはるかにしのぐ超光速宇宙船が製造され、その船はワープ航法で我々より遠くの恒星間宇宙にたどり着き、何らかの理由で彼女を宇宙に放置した」
「たしかにその場合、わたしはあの宇宙服の情報を持たないでしょう」
「現実的ではなさそうか?」
「そうですね。あくまで可能性がゼロではないという程度のことでしょう。地球とはリアルタイムではありませんが、航海記録と技術データの送受信を行っています。もし地球からの新型宇宙船であれば、あちらから早い段階で情報発信があるはずです」
「では、ビフレスト号の生き残りということは考えられないか?」
イプシロン星系に発見された地球型惑星アクアプラに向けて、ビフレスト号が出航したのが、二十年前のことだ。
太陽系の外へ向けての、人類史上初めての有人宇宙船だった。しかし、出発から二ヶ月後、光速エンジンの不具合から船は炎上し、船員たちは太陽系を出る前に死滅してしまった。
わたしはビフレスト号の出航記録をシェーンに示した。彼自身、同じく太陽系外に向かうユグドラシル号に乗船するために、何度も目を通したことのある資料だ。
「爆発こそ小規模のものでしたが、居住区域の被害は大きく、その後の調査で周辺に生命反応はありませんでした。仮に宇宙服を着て脱出できたとして、二十年間も生きられるわけがありません」
「絶対零度の宇宙空間で、一種の冷凍保存状態になったのかもしれない」
「ビフレスト号には訓練にされた兵士のような人員で構成されていました。カマラのような年齢の女性は乗船していません」
「身ごもっている船員がいて、航行中に出産した。子供だけは助かるように脱出させたというのは?」
「船内の状況はすべて地球にもモニターされていました。あなたもその記録はすべて把握していますよ。そのような事実はなかったことはご存知でしょう」
「まあね」
シェーンは笑いながら、わたしを指差した。
「ウォーカス、きみが発想を飛躍させろといったんじゃないか。人間は過去の事実を無視して、ものごとを考えることができるんだぜ」
シェーンのその言葉は、いままでに十七回聞かされていたので、わたしは予測していた。そしてそういうときは、何もなかったかのように聞き流すのがベストの対応だった。
「そもそも太陽系の端からカマラを発見した地点まで光の速さで約三年かかります。仮に第三宇宙速度で漂っていたとして、三万八千年以上の歳月を必要とします。ビフレスト号の生存者ではありえません」
「宇宙服に使われている製造技術から、なにかわからないのか?」
「分析した結果、わたしの持つデータでは解析できませんでした。既知ではないテクノロジーが利用されています」
「ではやはり、異星人のかかわりについて検討してみなければなるまい」
シェーンは自分のカップに紅茶を注ぎながら、ひとりうなづいた。
「アブダクト事件というのを知っているか?」
「宇宙人による地球人の誘拐事件のことですか? 二十世紀末にフィクションの世界でまことしやかに流れた都市伝説ですね」
データベースに接続して、関連する記事について参照した。そのほとんどが、まがいものであるとわたしには判断できた。しかし、わずかながら完全に排除できない記事も数件みうけられた。が、あくまで可能性をゼロにはできないというだけで、信憑性には乏しいものばかりだ。
わたしはシェーンの思考を推測した。
彼はにやにやして、わたしの機械の顔を見つめている。
「あなたは、かつてカマラが子供の頃に異星人にさらわれた地球人で、かれらに育てられたと考えたのですね」
彼女を見たときから、彼はこのことを直感していたのだろう。
「それで、狼に育てられた少女を連想して、カマラと名づけた」
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