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プロローグ
「脳の活動が活発になり始めました。目覚めます」
長い睫毛をかすかに揺らしたあと、彼女は目を開いた。
ぼんやりとした視界の中で最初に認識したのが、わたしの顔を走る赤やオレンジの光だったのだろう。獣のように鋭い目つきで身を強張らせた。
「大丈夫、心配はいらないよ」
精一杯の温和な表情を浮かべたつもりだったが、わたしに本当の意味での感情は存在しないから、無機質で冷たい印象を与えただけかもしれない。そっと身を引いて、わたしは彼女の視界から離れた。
「自分の名前が言えるかい?」
シェーンが身を乗り出した。
「ここは、宇宙船ユグドラシル号の医務室だよ」
金髪の船医は、青い瞳で回復装置の中を覗き込んだ。
彼の屈託のない笑顔は、たいていの場合は患者を安心させる武器だったが、このときばかりは冷静さを欠いていた。頬は紅潮し、口調も興奮で抑制がとれてない。
「僕はシェーン。この船の船医で、現在の責任者だ。こっちの白いのは宇宙船技師のウォーカス。人工知能を搭載したロボットだ。大丈夫、怖がらなくてもいい」
声は届いているが、彼女が言葉を理解しているようにはみえなかった。触れれば噛み付いてきそうな防衛本能むき出しの表情で、わたしたちを警戒している。栗色の髪が腰まで伸び、回復装置の中で丸まって眠っているときは冬眠中のリスを連想させたが、いまはまるで威嚇する白蛇だった。
彼女は全裸で回復装置の中に入っていた。血液量が少ないので、肌は透き通るように白い。生命維持に問題はなかったが、衰弱ははげしく、骨格筋は痩せ細り、自律神経が司る各機能も低下していた。生命回復装置をフル稼働させても、立ち上がって活動できるようになるには数日を要すると推測された。
外面は十二、三歳の少女に写ったが、装置がモニターしている彼女の身体的特徴は、もう十分に大人であることを示していた。
「名前を思い出せないのか? じゃあ、自分がなぜ船外をさまよっていたのかは覚えているか?」
シェーンが合図を送ってきたので、わたしは彼女が救出されたときに包まれていた真紅の宇宙服を、彼女にもよくみえるように映像用パネルに映し出した。
「きみは、この宇宙服を着て、何もない恒星間宇宙を漂っていたんだ」
シェーンは、熱を帯びた声で彼女に問いかける。
「この恒星間宇宙を航行するのは、人類史上わたしたちがはじめてのはずだ。きみはいったい何者だ? どこからやってきて、いつからこの外宇宙をさまよっていたんだ?」
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