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「戦乱の王 悲願の天獣」
第1話「シャンルメの初陣」
風を感じる。
風をこの肌に感じる。
姿の見えない風の力を、色を、尊さを感じる。
契約を結ぶならば、風が良い。
シャンルメはそのように思っていた。
風のお社が閉じ込められている城の、ほど近くにあって、警護の者を連れてならば、時々、そのお社に行けたから……と言うのもある。
だがほとんど、城から動けなかった身として、窓から感じられるものはその風しか無かったから。風はとても身近な、愛おしいものになっていた。
わたしが愛おしく思うのだから、風の神もわたしの事を愛おしく思ってくれるのでは無いか。そのように思ってもらえたなら、どんなに嬉しいだろう。と、シャンルメは思っていた。
この世界での戦は、召喚により行う。
吾が舞えば、神天下りて。
それが、現実に起こりうる世界である。
舞を舞う事により、神の力が天より降りて来る。
契約を交わした神の力を、召喚して戦う。
その術を使える者にこそ、立身出世が叶う。
下剋上。それを起こせる者とは、神の力の召喚が出来る者なのである。
神の姿は誰にも見えぬ。
契約を交わした者は、声だけは聞こえる。
お社に通えば気に入られる事もあるし、舞がうまく舞える者が気に入られる事もあるのだが、神の声が聞こえるかどうかは、全ては神任せ。
神が声をかけてくれるまで、人は待っていなければならなかった。
そして……神の声を聞けし者には、天獣と呼ばれたその存在をも、召喚させる可能性がある。
そのように言われていた。
人々は飢えに苦しみ、飢餓の中で生きていたが、それ以上に人々を苦しめていたのは、この戦乱の世。乱世であった。
飢餓に苦しみ、飢えに苦しみ生きようとも、戦乱に巻き込まれる事よりは、それはずっとましだった。戦乱に巻き込まれる事は、この世界に生きる人々にとって、何よりも恐ろしい事だった。
奴隷を持つ事。すなわち人間の売買は、かつてこの世界では、固く厳しく禁止されていたのだが、戦乱の中人々があまりにも貧しく、そして、飢えに苦しむ者が多いために
「飢えに苦しんでいる者に食事を与えて、世話をした者は、その者を奴隷としても良い」
と言う法律が、かつて特別に作られた。
この法律を作ったのは、本当に民の暮らしを心から思っていた、名君と名高い方だったと言う。
人々を救うための法律の中に、この「奴隷」に対する、法律が生まれた。
戦乱と飢餓に苦しむ者を、1人でも救いたい。
まさにその思いから、この世界には、奴隷と呼ばれる存在が誕生してしまったのである。
だが、この法律が作られて、240年。
戦乱の世は少しも終わらず、むしろ戦乱はどんどん広がって行き、村々への略奪や人々の売買が、当たり前となっていた。
作物を育てる余裕などない。
売れるものが、何もないのだ。
略奪した物と、人を売る事で、人が生きる。
それが、当たり前になってしまっている。
240年も続いた戦乱の果てに、人々は思う。
誰か、天獣を召喚してくれ、と。
「天獣」とは……新たな王朝、この世界で言うところの、新たな幕府の王。すなわち将軍を決める存在。
この天獣の選んだ王が、戦乱の世を終わらせる存在。「聖王」であると言われていた。
だが、そんな存在が本当にいるのか。
伝説の存在となっていた。
シャンルメは、父に言われて育った。
お前は、天獣を召喚する聖王になる。
今はもう亡くなってしまった、国の未来を定めし、予知の神の声の聞けし能力者が、かつて、赤ん坊の自分をそのように言ったのだと言う。
その言葉を聞き、父は自分を城に閉じ込めた。
ナコの城は父にとって、何とか落とせたばかりの城であった。その城を何としても守るために、そして、己の城だと誇示するために、父のイザシュウは、生まれたばかりの嫡男を、城に閉じ込める事で、その城の権威を守ったのである。
だから、赤ん坊の自分は生まれた途端、小さな城の城主となり、城に閉じ込められて育ったのである。
生まれた時、自分は双子であった。
双子が生まれたら、片割れは捨てられるのが常。
自分と共にこの世に生を受けた大切な弟は、生まれた途端、里へ捨てられてしまった。
母は双子を産んでしまった事に、心を痛めて、本当に泣いたと聞く。そして、母は未だに、双子を産んだ事を悔やみ、自分に詫びる。
詫びてなど欲しくない。
つらい思いがするだけだ。
何故、母はそれを分からぬのだろう。
シャンルメはそう思っていた。
予知の神の声を聞くその能力者に、幼きシャンルメは尋ねた。わたしの分身、その片割れは、どうしたのだろう。どう生きたのだろう、と。
能力者は言った。
貧しい村に拾われて育ったが、戦乱に巻き込まれ、乱取りに遭い亡くなった、と。
乱取りと言う言葉の意味は、幼きシャンルメには分からなかったが、やがて、戦争における、略奪を意味するのだと言う事を知った。
ならば、わたしの命も、そのように消えていても、不思議では無かったのだ。
この世界にいる、沢山の者達。
乱取りに遭い、死んで行く者達。
乱取りに遭い、売られて行く者達。
それはわたしだ。わたし自身だ。
本当にわたしに、天獣が召喚出来るのか、それは分からない。だが、もし天獣を召喚せし者がいるのならば、その者は絶対に、乱取りなど行わない筈だ。
乱取りを行わぬ城主となろう。
父の跡を継いだ後も、乱取りを行わぬ領主となる。
シャンルメは、そう固く決意をした。
その決意をしたのは10の時だったか、11の時だったか……その決意をしたほんの数日後に、シャンルメは、風の神の声を聞いた。
華やかな着物に身を包み、それで舞え。
さすればいつも、そなたに風と、風の力を届けよう、と。
自分の決意は、間違いでは無かったのだ。
シャンルメは、そう、強く思ったのであった。
そんなシャンルメも、つい先日、14になった。
そう遠くない近い将来に、戦場に赴くであろう。そんな歳になっていた。
そして14のシャンルメは、運命の出会いをする事となる。14の時に、シャンルメの運命は、大きく動くのであった。
荒れ果てた野を歩き、不自由な足を引きずりながら、トーキャネは何とか、前へ前へと進んだ。
乱取りをしない。
そんな戦場で戦いたかった。
自分の村は乱取りに遭い、女達は襲われ売り飛ばされ、子供達も袋に入れられ、多くの者が攫われた。
そして、村のほんのわずかな穀物も、全て奪われ、攫われずに生き延びた者達も、戦が去った後に、生きるのにとても苦労をした。
乱取りに遭った村は、まさに地獄を見る。
人々は村と自分達を守るために戦い、戦乱の中で命を落とす。命を落とさずにいられた者達は捕虜となり連行され、奴隷となる。連行されずに残された人々は、全てを奪われた村で、飢餓により命を落とす。
村が戦場になる。それは、世の常だ。
村を巻き込み、村を戦場にした方が、戦う者にとって都合が良いのである。
戦場は命がけで戦っても、それに対する保証や恩赦を、大名が全ての者に与えるのは、困難である。
ならば戦う時、村々から略奪をし食料や物を奪い、女子供を攫い売り飛ばせと言うのだ。
それを恩赦と言う事にせよ、と。
城下町が戦場になった時には、下人や足軽や夜盗共が、その城下町に溢れ返り、町の者達は皆売り飛ばされて、荒らされた町はもう、町とは言えない有様だったと聞く。
10年戦争と言われた首都で起こった戦いは特に無残で、その戦が終わって時がたってもこの世界の首都は、痛い傷跡を、ずっと残したままなのだ。
小さな村も戦に備えなければ、いつ被害に遭うか分からない。逃げ延びる先の山を確保しておかなければ、戦が起こった時の、致命傷は免れない。
だから百姓達は、逃げ延びる先の村を巡り、村同士で戦をする事すらあった。
戦と言えば、村が被害に遭うものであると決まっていたのである。
トーキャネの村も、戦乱に巻き込まれた。
村が戦場にされてしまう。それが分かった時、トーキャネは母親に抱きかかえられ、山に逃げ込んだ。
村々で争い、その争いの末に、何とか逃げる先にと確保した、とてもとても大切な山だった。
その、大切な山に、トーキャネは母親に抱えられて、入って行く事が出来た。
そんな足の不自由なガキ、捨てておけ。おいていけ。邪魔になるだけだ。と、父親は言った。
母は、この子は軽いから、邪魔になんかなるもんか。と、珍しく父に口答えをして、赤ん坊の弟と、足の不自由な自分を抱えて、山まで走ったのだ。男にしては小さすぎる自分を、母は抱えて懸命に走った。
その日々から8年の時が過ぎたが、自分はやはり、未だに、男にしては小さすぎるままだった。
生まれつき、片足を引きずっていた。
背も低く、子供の頃から禿げ上がり、その禿げも育つたび進行し、ぬれねずみのような外見をしていた。
年の頃は今や15になったが、背が低いためにいつも子供と間違えられていた。
小さな頃から何故か顔にはしわがあり、それが、猿のようでもあった。
醜い子供よ、と言われていた。
幾つになっても、そう言われた。
トーキャネは思っていた。
この世は戦乱の世だ。
だから、出世の機会もある筈だ。
自分を守り、助けてくれた、母に授けられた命。
母のおかげで、助かった命。
いつか必ず、恩返しをしよう。
きっと名のある武将になろう。
小さかろうが、足が不自由だろうが、外見がまるでねずみや猿のようだろうが。
自分は、名のある武将になる。
そう、決意していた。
けれども、乱取りだけは絶対に嫌だ。
自分のような貧しい兵士は、下人や足軽は、皆、乱取りをして生き延びる。
ただただ、恩赦の代わりと言う訳では無い。
戦乱が長引けば乱取りをしなければ、食料などを確保出来ぬのだ。
そんな戦場で戦うのはごめんだ。
乱取りなど、絶対にさせぬ。
それでも兵士を飢えさせぬ。
そんな棟梁の元で戦おうと、そんな棟梁の元で名を上げようと。
そう思って、旅を続けた。
貧しい、貧しい旅だった。
何処にいる人々も飢え、村々は荒れ果てていて、町に出れば、幾度も大袋を見かけた。
そう、人を入れて、売り買いをする。
それを、大袋と言う。
特に子供のような小さき者は、袋に入れられて売買をされるのである。
母親がもしも、自分を抱えて走って逃げてくれなければ、自分は多分、大袋に入れられていた。
足の不自由な自分にはろくな奴隷も務まらず、ただただ傷めつけられるような、毎日が待っていたかもしれない。
もしくは袋にも入れられずに、醜い邪魔な小僧よと殺されていたのだと思う。
この世は、本当におかしな状況だ。
そう、トーキャネは思っていた。
乱取りに遭い、村々が略奪される。
そして、しかし、略奪をするその者達は、貧しさに苦しみ、生きるために略奪をするのだ。
生きるためにする行為に、人が殺されていく。
乱取りに遭い攫われた娘達が、逃げられぬように、縄で足を縛られる。
別に、何処に縛り付けている訳ではない。
全員の足を、ただ縛るのだ。
それだけで娘達は、もう逃げ出せぬ。
1人逃げようとすれば、たちまち皆転ぶ。
この世全体が、そのような状況では無いか。
全員が足を縛られ、もがき苦しんでいる。
そこから脱しようと、国を救おうと思う棟梁は、絶対に兵士達に乱取りなどさせぬ筈だ。
そのようなお方の元で戦う。
そう、決意していた。
シズルガーのヤツカミモトは乱取りをしない。
あの方は、生まれがとても高貴なために、そう言った行為を嫌がるようだ。
乱取りと言う行いは野盗のようなもの。そのような卑しき行為は、自分の軍隊には絶対にさせぬ。
そう言っている、誇りの高い方なのだと。
その噂を聞き、その城下町に赴いた。
とても大きい町ではあったが、立派で豊かな町ではあったが……あの町には、居るのが嫌になった。
正直、あの町には凝りてまった。
そんな時に、噂を聞いた。
イナオーバリの一角の城を守っている、ナコと言う城の城主である若君は、乱取りを嫌う方らしい。
自分が出陣する折には、村々への略奪をさせぬと言っているらしい。
そのような、人々を苦しめる行為は許さぬ。
しかし、兵士達は絶対に飢えて死なせぬ、と。
本当か。本当にそんな、そんな言葉を持って真心を持って、乱取りをさせぬとおっしゃるような、そのような若君がいらっしゃるのか。
絶対に、その方の元に向かわなければ。
トーキャネはそう思った。
どうにか金を用意して、死に物狂いで用意して、通行手形を手に入れた。イナオーバリに行ける手形だ。
これを持ち、国を越えよう。
そうやって旅をした。
しかしこの3日、自分は道に生えた草と花しか食べていない。本当に苦しい旅だ。何も無い。
略奪はしない。そう誓っている自分は、人々からのお情けをもらうしか無いのだが、人にすら会わん。
まあ、こんな枯れ果てた土地で、どうお情けをもらうのかと言う話だが、本当に何もない。
水たまりの水を飲み、そのままその水たまりに顔を埋め、どう歩いて良いのか分からなくなった。
そこで、トーキャネは、意識を失った。
トーキャネは、ぼんやりと目を覚ました。
目の前に少女がいて、顔を覗き込んできた。
幻かと思った。何故ならその少女は、にわかに信じがたい程に、美しい少女だったからだ。
「大丈夫か!」
良く通る声で、少女は聞いてきた。
その声に驚き、トーキャネは少女を見つめた。
キラキラと輝く、美しい瞳。
その瞳に、吸い込まれるような心地がする。
絶対に、貧しい生まれの方では無い。
ぼんやりとそう思った。
何故なら、その瞳は美しく輝いていて。
貧しさに苦しむ娘にはそのような瞳である事は、不可能なように思えたからだ。
「目を覚ましたようだな!」
少女は、嬉し気に微笑んだ。
こんなにも美しい微笑みを、初めて見た。
予想していたように、生まれの良い方だ。
着ている物も、白と藤色の華やかな物だった。
「……お、お、おれは確か、道端で気を失い……」
「うむ。わたしが見つけて、あの者を連れて行こうと言ったのだ」
「そ、それは……ありがとうございます……!」
こんな処で死んでしまうのかと思った。
ここで飢え死にをするのが、おれの死なのかと。
そこを、この女性に助けられたのか。
母に次ぐ、命の大恩人だ。
「あ……貴方様は……」
「そなたに聞きたい!」
「は、はい。何でしょうか」
「そなたは何故、イナオーバリへの通行手形を、あんなにも大切に持っていたのだ?水も食料も持っていない。そなたが飢えているのは見れば分かる。そんな通行手形でも、誰かに売れば足しになる。それでもそなたは、その手形を手放そうとしなかった。とても大切そうに、握りしめたまま倒れていた」
「そ……それは………」
何をどう話したら良いのか。
しかし、この方には自分に素直な思いを、語った方が良い気がする。
「おれの村は乱取りに遭い、大変な目に遭いました。本当に本当に死に物狂いで逃げ出し、戦が終わってからも、生きるのにとても苦労した。村のほとんどの者が死んでしまいました。だから、おれは、乱取りをしない棟梁の元で働き、戦いたいと思っていたんです。ですが……そんな方、なかなかいらっしゃいません。兵士が乱取りをやって村を荒らした方が、食料を軍で確保するよりも、楽だからです」
「うむ……乱取りの問題は、もはや、この世に生きるすべての者の問題だ」
「はい。そんな時に、ヤツカミモト様は、乱取りをさせない方だと聞いて、まず、シズルガーに向かったんです。そうしたら……そうしたら、もう……」
「うむ。どうしたのだ」
「ヤツカミモト様は、なんと、衆道家だったのです!つ、つまり、男が好きな訳ですよ!だから、金も無い武勲も無い、召喚も出来ぬ……おれのような、生まれの卑しい者がお目通りが叶うためには、一番大切なのは……まずは、顔だと言うのですよ!」
大きな口を開けて、目の前の少女が笑った。
こんなに大きく気持ちよく笑う女性を、トーキャネは初めて見た。
「おれのような禿げ上がった醜い外見の男が、この国で出世が望める訳が無いと。何処に行っても、醜い、醜い、お前は醜い、本当に醜い、と……もう、本当に、とんと嫌になりました!!」
「それは、嫌になるのは良く分かるな。わたしも何度も醜い醜いなどと言われたら、そんなところには居たくなくなる」
いや、こんなに美しい女性に、醜いなどと言う者はいないだろう。
そう思うトーキャネに、少女は微笑み
「乱取りをせぬ主の元で働きたい。その望み、引き受けよう!良くイナオーバリに来たな!」
と言った。
「ええっ!こ、ここはもう、イナオーバリなのでございますか!?」
「ああ。わたしの部下の馬に乗せて連れて来たのだ。お前が、その通行手形を握りしめていたからな」
「そ……それは……貴方様のおかげで、生きてイナオーバリの地を踏めました。本当に、本当に感謝します」
ぐっと手を握りしめた時、ぽつんとトーキャネの手に雫が落ちた。ああ、泣くほどの事だ、とトーキャネは思った。本当にこの長い旅がここまで来れたのだ。これからの苦労は、今までとは違ったものになろう。ここで自分は、名のある武将を目指すのだ。
ずん、と、いかつい男が自分の目の前に来た。
良く見ると、周りにも武装した者達がいる。
目の前の美しい少女以外、何も見ていなかった自分に驚いた。
良く見ればなかなか、物々しいところでは無いか。
「そこまでだ!お館様がお前などに、じきじきのお目通りを許した事、感謝するがいい!」
「は……?お館様……お館様はどこに……」
「今、お前の目の前にいて、話をしていたでは無いか!」
トーキャネは頭が混乱した。
女性のお館様など、聞いた事が無い。
女性がお館様になったなどと、噂にならない筈が無い。お館様は男の筈だ。
だが、目の前の少女は、どう見ても少女だ。
つい先日前まで、衆道家の国にいたから、余計に分かる。
顔が優れているから、この国での出世はたやすい等と言う、いけすかん男を見て来た。
心から、いけすかん男だと思った。
男の顔立ちが女のように優れている者など、ただただ、いけすかんだけだった。
そんな者達とは、絶対に違う。
この少女は、絶対に少女だ。美しい少女だ。
分かる。自分は男だから、分かるのだ。
「どうした。呆けた顔をして。お館様がお美しいために、頭が混乱したのか?」
「いや、あ、あの……その……」
何をどう言えば失礼にならず、自分の思いを伝えられるのかが分からぬ。
トーキャネは、どうしたら良いのか分からくなった。
「よい。その者は気に入った。わたしの世話係の1人にしよう」
「このような卑しい者を、そんな……」
いかつい顔の男は、眉をひそめた。
「乱取りをせぬ国で働きたい。その思い、わたしも嬉しく思う。この世から乱取りを無くせたなら。ずっと、そう思っていたからな」
ジッと少女は、トーキャネを見つめた。
「お前、名は?」
「と、トーキャネと申します!」
「うむ。トーキャネ。わたしはシャンルメだ」
確かイナオーバリの若君は、ナコの城の城主は、カズサヌテラスと言う名だった筈。
やはり目の前のお方は、若君では無いのか?
「そのような、幼子のような名を名乗らずとも……」
ため息に近い声色で、いかつい男が言った。
「人には、真実の名と言うものがある。わたしはそう思っている。わたしの名はシャンルメだ。わたしはそう思っている。親しき者にはそう呼ばせるつもりだ。そう、世間ではね、わたしはカズサヌテラス・ノム・オーマと言われている」
では、やはり、この方はイナオーバリの若君なのか。
とてもとても、そうは見えぬのに。
しかし……であるとするならば、なんと自分はこの、見た事も無いような美しい方の元で、立身出世を目指せると言うのか!
信じられない。そんな幸福があるのか……
信じがたい事態だ。
こんな幸福が叶うだなんて、自分は明日、死んでしまうのでは無いか。
トーキャネはそう思った。
シャンルメは、懐から小さな木の実を2つ取りだし
「腹が空いているだろう。こんな物しか持っていないが、食して行け」
と手渡してくれた。
「も、もったいない!良いのですか?」
と、トーキャネは微かに涙ぐむ。
そして、シャンルメは顔を上げて
「トスィーチヲ。このトーキャネと言う者、そなたの屋敷で世話をしてはもらえぬか?そなたと同じくシズルガーに懲りて、この地に来た者だ。仲良くしてやってくれ。屋敷に着いたら、何か食事を与えてやって欲しい」
と言った。
「はっ」
シャンルメに深く頭を下げてから、1人の若者がトーキャネの元に来た。
「よろしくな。小猿」
「こ、小猿……」
「ねずみの方が良かったか?」
若者は見目の良い、顔立ちの整った男だった。
そうだ。男の顔立ちの整った者とは、こう言う者だよな、とトーキャネは思った。
やはり、イナオーバリの若君シャンルメ様は、絶対に女性である筈だ。
シャンルメがくれた木の実は、本当にうまかった。
飢えているからもあるのだろうが、あの方が与えてくれた物だからだろう、とトーキャネは思った。
口の中でよーく味わい、そして食した。
口の中で転がすように食しながら、トーキャネはトスィーチヲと歩き出した。
「腹が空いているんだったな。飯は大したもんは無いが、多分、お前には充分だろう。着いたらやる。それと、しばらく俺の屋敷に住まわせるがな、俺の屋敷もそんなに金がある訳じゃない。早く活躍をして、自分の屋敷を用意してもらい、そちらに移れるように、俺のためにも頑張ってくれ」
そう言いながら、若者はトーキャネを見た。
「お前、何も持たないで、イナオーバリに来たのか?」
「持ち物は、全て売ってしまったので……」
「なら、これを持ってくれ。少し重いぞ」
荷物と槍を、トスィーチヲはトーキャネに渡した。
見目が良いだけでは無く、足の長い若者だ。
自分とは歩幅が違う。おまけに自分は生まれつき、片足が不自由だ。足を引きずっている。
荷物を持って何とか追いついて歩くだけで、トーキャネには大変だった。
出来るだけ速い速度で、転びそうになりながら歩いていると、若者は足を止めて
「お前、足を引きずっているな。怪我か?」
と言った。必死に歩きながらトーキャネは
「う、生まれつきです」
と答えた。それからようやく若者は、歩く速度を少しだけ緩めてくれた。
大きな荷物を背負い、小走りで懸命に歩き……疲れはしたものの、トーキャネの胸には、とても熱い熱い希望が湧いていた。
あのお美しい、乱取りを嫌う方の元で俺は働けるのか。そう思うだけで、胸に熱いものがこみ上げた。
「と、トスィーチヲ様!」
「えっ、あ、俺の名を、良く覚えていたな」
「お館様がそう呼んでいたので……」
「うん。俺はトスィーチヲだ。しかしな、お前と同じ、お館様の世話係だぞ。様は無しだ。殿でいい」
「トスィーチヲ殿。俺は厩かなんかで寝かせてもらえれば、充分です。雨風が防げるならそれでいい。お屋敷でお世話になるなどと、申し訳ない」
トスィーチヲは笑った。
「俺の屋敷も金がないと言ったのを、気にしていたのか?俺はそこまでケチでは無いよ。しかしお前、俺の名をもう覚えているし、厩でいいと言うし、見かけによらず、なかなか良い奴だな。見かけは、ねずみに猿の顔が張り付いたような奴なのにな」
こんなに見目のいい若者に、醜い自分の悩みなど、到底分からぬだろうなあ。と、トーキャネは思った。
「しかし、そうだな。離れにおんぼろの小屋がある。そこに泊まってもらえるか?」
「もちろんです。そこに泊めてもらえるだけで、おれには充分です」
「うん。明日も朝から早いぞ。共に頑張ろう」
トスィーチヲは歯を見せて笑った。
この若者も見かけによらず、いい奴なんだろう。見かけは、シズルガーの城下町で会った、いけ好かない男に近いのになあ。と、トーキャネは思った。
トスィーチヲに、使用人と同じ飯をもらった。
それだけで充分です。ありがたい。と言い、屋敷の掃除を礼としてさせてもらった。
「やっぱり、お前はなかなか良い奴だな」
とトスィーチヲは言った。
そして夜になり、おんぼろの小屋の中に入った。
翌朝、早くからお館様の城に行く。
そう聞いていたトーキャネは、とても眠れなかった。早くあのお美しいお館様の元に行きたい。そう思うと、居ても立ってもいられない。まして、眠れる訳がない。まだ暗い中そわそわと、トスィーチヲの屋敷の前で、トスィーチヲが出てくるのを待った。
トーキャネを起こしに行こうと思っていたトスィーチヲは、トーキャネの姿に驚いた。
「緊張と興奮で、眠れなかったもので……」
と言うトーキャネの言葉に、少し笑った。
鶏も鳴かぬような……薄暗いを通り越して、相当に暗い中、2人は城へと向かい、話をしながら歩いて行った。
「そう言えばトスィーチヲ殿は、おれと同じく、シズルガーの城下町に、懲りた者だと聞きましたが……」
「うん。そうだ。だが、お前とは逆だな」
「逆?」
「衆道家の国にいるのだ。衆道をたしなめと言われたのだ。冗談だろう。言い寄って来た男を、ボコボコにしてやった!」
「は……なるほど……」
「その時に思った。俺より弱い奴だったから良いが、俺よりも強い男に、理不尽に言い寄られたら大変だ。こんな国にいるのはよそう。やはり、衆道家の国は、俺にはごめんだ。そう思ったのだ」
「あの国は、見目の良い者も悪い者も、苦労をする国だったんですなあ」
「しかしだな。シズルガーのヤツカミモトは、間違っても、顔で部下を選ぶような男では無いぞ!」
「そ……そうなのですか……」
「ああ!そんな愚かな男に、中部東一の武将が務まるか!城下町を見ただろう。どう思った?」
「豊かな国、豊かな町だと思いました。そして……何より、大袋が無いのに驚いた」
「ああ。だろう!まあ、路地裏に入れば、実はこっそりと大袋が取引されている。そこは我らが若君、シャンルメ様とは違う。シャンルメ様はこっそりと人々の売買を行うのも、嫌がるからな。だが、人々の売買を大っぴらにはさせぬ国が、あれだけ豊かな事に、お前は驚かぬか?」
「ああ……驚きました!豊かだし、美しいし、とても整備された町でした!」
「あの町にはな、大袋の代わりに目安箱がある」
「目安箱?」
「民がヤツカミモトに対し、暮らし向きを豊かにするために意見をするんだ」
「ああ。そこかしこに箱が置かれていて、何だろうと思いました。おれには字は読めぬので、意味が分からなかった」
「そうか。お前のような、字の読めない奴には不可能だがな……だが、匿名で誰もが、ヤツカミモトに意見が出来る。ヤツカミモトはそのような、公正な男だよ。衆道家なのは、まあ、個人の趣味趣向とは言え、民にまで影響があって迷惑な話だがな。実は衆道家であるために、我らが若君シャンルメ様に気があるのでは無いか、なんて噂があってな」
「なんと!!」
「隣国サンガイチに攻め入り、あわよくばイナオーバリも落とそうと、そのように動いているのは、シャンルメ様が目当てなのでは無いか、と。全く、冗談では無いわ。そんな事を目当てに動く、諸大名がいるか」
「お、おれには、何と言っていいやら……」
トーキャネは言葉を探して黙った。
お館様は……イナオーバリの若君シャンルメ様は、女性だと思う。
その思いを、目の前にいる仲間である若者にも、うまく伝える事が出来なかったのある。
かつてギンミノウと言う国は、そこまでの大国では無かった。その国を、大国と言うべき国にのし上げ、そうして奪い、己の国にした男がいる。
戦乱の中での、目を見張る活躍は勿論の事、知略の限りを尽くし、悪行に手を染め、それでもなお、多くの人々を魅了する。
下剋上と言う言葉は、この男のためにある言葉である。そのように言われた男であった。
ギンミノウの毒蛇、ショーコーハバリ。
生まれは誠に卑しい生まれであると言うが、あらゆる手を使い、信じられぬ程の活躍をし、ギンミノウを大国へとのし上げ、そうして国主にまでなってしまったのである。
その男とシャンルメの父イザシュウは、いつも、つまらぬ小競り合いをしていた。
中部東の地域の中で、イナオーバリとギンミノウは隣国だったのである。
つい先日も、交通の便も良く、土地としても作物の良く採れる小さき領地と城を、ショーコーハバリに奪われたばかりである。イザシュウは、とても苦々しく思っていた。
その小さき領地の城に、ショーコーハバリが赴くと言う情報を、イザシュウは手に入れた。
連れて行く兵力も入念に調べさせた。
その、5倍の兵力を率いて、イザシュウはギンミノウへと攻め込んだ。
ギンミノウの中央に聳えるその、ナヤーマ城は鉄壁の守りの城。その城を、攻め落とす事は不可能だろうが、小さき城に少ない兵力でいる処を落とす事ならば、たやすかろう。
ショーコーハバリのその首を、そこで、必ずや獲ってやる。
イザシュウはそう思っていた。
奇襲に近い攻撃である。下調べも入念にした。
相手の、城を守る兵力の、5倍の兵力を集めて突撃するのだ。
必ずや、これで勝負を決めてやろう。
つまらぬ小競り合いは終わりだ。悪しき毒蛇よ。
シャンルメの父イザシュウは、そう強く思い、兵を進めた。
「城は落としたも同然よ。あと油断してはならぬのは、奴の闇の力!だが……敵は、目を瞑らねば力を出せぬ。まずは廻りの兵達を皆、石化し、無防備な状態にしてから、ショーコーハバリの首を獲る!」
兵力はこちらが上とは言えど、ショーコーハバリと言う男の、闇の力は侮るなかれ。
イザシュウは、その男を遠目に見た。
高台の梁の上に、長身の男がいる。
なんと、その圧倒されるほど長身の男、ショーコーハバリはすでに、目を瞑り舞っていた。
奇襲と言える、こちらの攻撃に気付いたのか!
いや、気付いたから何だと言う。
舞の終わらぬうちに、息の根を止めてやる!
舞ううちに、ショーコーハバリの頭上に黒い渦のような存在が浮かんで来た。奇妙に空間を歪めて作られたような、黒い存在だ。
「なんだ、あれは」
警戒はしたが、その存在は、おそらくは奴が闇の神と契約を結びし者だからなのだろう。
そうだ、使うべき手は変わらぬ。舞を舞いきらぬうちに、倒してしまえばいい。
舞を舞う。その間に攻撃が無いよう、イザシュウは自らはすでに、舞を舞い終え、ここにいた。敵陣に見つからぬよう、程近くで舞を舞い終えていたのだ。油断をさせるためでもある。
吾が舞えば、神天下りて。
舞を舞う事で、その神の力を召喚する。
どこでいつ、その舞を舞うのかと言うのも、また、この世界の戦では重要な事であった。
敵の目の前で舞を舞う方が、強力な力を召喚できる。しかし、危険である。
敵の目に見つからぬ場所で舞を舞い、その神の力を天下りさせて、敵には言霊だけを叫ぶ。
イザシュウもまた、多くの武将達と同じように、その手を使うつもりであった。
そして……これも重要な事であるが、連れている兵士達に「護符」を渡さず、彼らにも舞を舞わせていた。
護符とは、神の力を半減させるものである。
神の力、舞による力を、半減させるもので、それを兵士達に持たせている将もいる。
すなわち、相手の舞による攻撃も受けず、自らも舞による攻撃が出来なくなるのである。
イザシュウはそれを兵士達に渡さずにいた。
神をしっかりと召喚せし者で無くとも、その舞は力となり、攻撃となる。
「我が兵に命じる。我が唱えれば、その後で声をそろえて唱えよ」
ザっと片足を前に出し、手を掲げ、風を切るようにイザシュウは叫んだ。
「巌の神!石化の舞いよ!いざ、石となれ!」
そして兵達も、一斉に叫ぶ。
「石となれ!」
イザシュウから灰色の波動が、ショーコーハバリの兵達に向かって行く。
すると、その波動はショーコーハバリの頭上の黒い渦に、見る間に吸い込まれて行った。
ショーコーハバリが、その目を見開く。
何と言う威圧的な男だ。
目が見開いただけで、その目で射抜かれた思いがする。目が見開かれた途端、頭上の黒い渦から、灰色の波動が、イザシュウと兵達を襲った。
「お、俺の力を跳ね返しただと!?」
多くの兵士達が足を石化され、動けなくなって悲鳴をあげている。悲鳴すらあげられず、完全な石と化した者達もいた。
イザシュウは一目散に逃げた。
逃げながらも、足が微かに石化している。
まさか、自分自身の神の力にやられるとは。
この石化の術は、次の日には溶ける。
完全に石化をしたら、心臓や脳が石化をしてしまったら、それは死ぬしかないが、足などを石化しても、その術は1日で溶ける。イザシュウは自らの力をそのように調整していた。
良かった……そのように調整をしていて。
自らの技で死したり、体を不自由にするなどと、洒落にもならん。
石と化した重い足を引きずり、イザシュウは逃げた。
「次は、奴は恐らく、奴自身の力、闇の波動の舞を舞ってくる筈だ!そのとどめを受けたら、ひとたまりも無い!皆の者、逃げよ!!」
肩に矢傷を受け多くの兵達を失い、イザシュウは何とか、その戦場を後にした。
奇襲に近い攻撃、5倍の兵力を持って。
それでも、かのギンミノウの毒蛇ショーコーハバリを、その手で倒す事は叶わなかったのである。
「ギンミノウのショーコーハバリとは、誠に恐ろしき男よ。この男の脅威を、何とかせねばならん。我々は今、サンガイチに攻め入らんとするシズルガーに備えなければならんのだ。ギンミノウと、戦っている時では無い」
先の戦で傷を負った姿で、シャンルメの父イザシュウは、シャンルメとシャンルメの母ドータナミと向かいあっていた。
いわば、家族会議と言う事である。
ドータナミはシャンルメを産んだ後は、子には恵まれなかった。つまり一度双子を産んだ後、新たな子は産めなかったのである。イザシュウには幾人も側室が居たが、その側室達も子を産まなかった。
シャンルメこそが我が跡目。と、イザシュウが強く決意をし、天獣を呼ぶ者だと期待をかけるようになったのも、シャンルメ以外の子供を、持つ事が出来なかったからと言える。
その子シャンルメがわずか11の時に、風の神と契約をし、その時のイザシュウの喜びようは、大変なものであった。
「ギンミノウの毒蛇。あの男……俺は同盟を結びたい。同盟を結ぶより他に、手は無いと思える」
「同盟……どのようにしてですか。その男、とてつもない恐ろしい、悪逆の徒だと聞いています。そもそもは、生まれの卑しき者なのだとも」
ドータナミはイザシュウを見つめながら、眉をひそめた。
「産まれの卑しき者……そうか。ならば、わたしと同じなのだな」
小さな声でつぶやいた、シャンルメの言葉をイザシュウは聞き逃さなかった。
「何が同じか。シャンルメ。そなたは生まれながらの城主。そして、我が跡目だぞ」
「ああ。父上、お気になさらずに。父上、わたしは思うのだが……どう考えても、そのギンミノウのショーコーハバリから娘を娶るのが、一番良いと思う」
「まあ!」
ドータナミは声をあげた。
「ショーコーハバリは恐ろしき男。その娘を娶った者達は、次々に亡くなっていると聞きます。それに……それに……貴方が、貴方が妻を娶るなどと……」
「母上、ご安心を。わたしはすでに1人妻がいる」
「ああ!そなたの妻、トヨウキツのおかげで、我が軍は誠に恩恵を受けておるぞ。そのような妻を自ら娶るとは、そなたは本当に、大した跡目ぞ!」
「イザシュウ様……」
母ドータナミは悲し気に夫を見、それからシャンルメに向き合った。
「貴方が妻を娶るなどと……しかも、そんな恐ろしい相手を……わたしは……心配で心配で……」
「大丈夫です。母上。ただ……」
目線をあげ遠くを見つめ、シャンルメは言う。
「その、ギンミノウのショーコーハバリ。娘をいただく前に、会っておかねばならぬでしょう。わたしは、ギンミノウに向かいたく存じます」
シャンルメの世話係の1人となったトーキャネは、シャンルメのために、細々と世話をしていた。
世話係は戦に強ければ、戦場でも身の回りの世話が出来る。戦場でシャンルメの身を守れたなら、どれだけ幸福だろうかと思った。
そう思いながらトーキャネは、シャンルメの身の回りの世話をした。
だが、自分は文字が読めないから、出来る仕事は限られる。そうして、シャンルメは1人になるのが好きなのだと言う。
四六時中、共にいられる訳では無い事を、少し寂しく思うが……それでも、自分のような者を世話係の1人にしてくれた事に、本当に心から感謝していた。
シャンルメが呼べば、誰よりも早く駆け付け、その役に立とうと奮闘していた。
その日、シャンルメはトーキャネとトスィーチヲと、数人の世話係を呼んで言った。
「ギンミノウのショーコーハバリに会いに行く。だが、その前に……わたしはトヨウキツに、話をしに行かなければならない」
「トヨウキツ様とは……」
「わたしの妻だよ」
「つ、妻!?お、お館様には、奥方様がいらっしゃるのですか!?」
その言葉に、隣に立つトスィーチヲは笑った。
「確かにお館様は、まだ14だから、妻を娶るには、少し早いかもしれんが……お前の驚きようはなんだ」
トスィーチヲにそう言われて、トーキャネは何と言ったら良いのかが、分からなかった。
お館様は絶対に女性だ。
お館様は絶対に少女だ。
そんな、当たり前の事が分からない者達。
その者達に、何と言ったらいいのか……
いや、おかしいのは、おれなのか?
お館様は、本当に、女性では無いのか?
いやいやいや、そんな筈は無い。絶対に無い。
おれの本能が叫んでいる。お館様は女性であると。
山道を思いを巡らしながら、片足を引きずり歩いていたら、誠に立派な城の前に連れて来られた。
シャンルメが住んでいるトーキャネが仕えている立派な城よりも、さらに、立派な城に見えた。
絢爛豪華と言う訳では無いが、落ち着いた色合いの門構えに、逆に壮大な上品さを感じる。その城の広さと圧倒的な門構えに、トーキャネは息を呑んだ。
一体、どなたの城なのか。
こんな山奥に……
この地に、城主がいるなどと、聞いていない。
どなたの城なのかは分からぬが、世の中にはこんなに立派な城があるのだな。世界とは広いものだ。と、トーキャネは思った。
その城の中に、馬に乗ったシャンルメを先頭にして入って行った。
山道の片足を引きずる旅は、少し長く感じられたが、その道中、お館様は白い馬に乗っていて、良かったな。とトーキャネは思った。そうして、足を引きずる者など連れてはいけぬと言われ、置いて行かれなくて本当に良かったと。出来る事ならばシャンルメとは、片時も離れず、いつも行動を共にしていたい。そう改めて、トーキャネは思っていた。
白い馬を、屋敷の入り口近くの厩に置き、シャンルメも歩き出した。
改めて、屋敷の中に入って行く。
屋敷の中が、また、驚くほど広い。
屋敷に召し抱えられた者達は、皆ひざまずいて、シャンルメが通るのを、微動だにせず待っていた。
ますます、とんと分からぬ。どなたの城なのか。
まるで、お館様が城主のようだ。
だが、こんな城をお持ちとは、聞いていない。
長い長い廊下を歩き、広間に通されると、そこに微笑みながら座る、女性の姿があった。
ふっくらとした、育ちのよさそうな、そして、優しそうな女性だった。目の細い、その目が下がっている様子が、とても優し気に感じられた。
こんな立派な広間の中央にいると言う事は、この城の主なのだろうか。
しかし、女性が主とは。
お館様……シャンルメと言い、実は、女性の城主や武将は、この国には多くいるのかも知れない。
トーキャネはそう思った。
「シャンルメ様」
女性は細い目をより細め、微笑んだ。
「いかがいたしましたの?いつも、こちらにいらっしゃるのは、週末でしょう?」
「ああ。緊急の用が出来た。トヨウキツ。貴方に直接、言わなければならない事だ」
シャンルメは言葉を探し、しばし視線を落とした。
「実は、わたしは……隣国のギンミノウから、妻を娶る事となった。まだ分からぬ。妻を娶れるかが、まだ分からぬが、わたしはこのギンミノウの姫君を、何としても、我が妻にしたいと思っている」
「まあ。そうでしたの」
「トヨウキツ。貴方はわたしにとって、何よりも大切な、尊い女性だ。だが……隣国ギンミノウの姫は、我が妻にして、絶対に味方にせねばならぬ、大切な存在だ。どちらが欠けてもわたしは、生きる事が叶わぬ。そう、夢に生きるために、そなたも、ギンミノウの姫君も、欠かせてはならぬ存在なのだ」
シャンルメを見つめ、トヨウキツは微笑んだ。
「後からのご報告も出来たでしょう。まだ、奥方様になって居ないのだから。でも、わざわざわたしに、先に、ご報告に来てくださったのね。シャンルメ様」
「ああ。もちろんだ」
「分かっている。貴方は本当に素晴らしい人。もちろん、その奥方様とは、仲良くさせていただきましょう。その奥方様が、本当に貴方にとって、必要な人だと言うならば、ね」
美しいとは思わぬ。だが、育ちが良いと言うのは、こう言う方を言うのだろうな。
そんな風にトーキャネは思った。
お館様の奥方様。
そうか、この方がそうなのか。
女性が奥方様を持ち、そして、新たな妻も持つと言っている。
全く意味の分からぬ。頭が混乱する話ではあるが、いつかは、何故、女性のお館様が、この国の跡目であるのかを、知れる時が来るのだろうか。
トーキャネは、そう思った。
「なんだか、ふっくらとした……優しげではあるが、あまりお美しくない、随分と年上の奥方様だと……」
トヨウキツをシャンルメの妻として、どう思ったか。戻って来てからトスィーチヲに聞かれ、トーキャネはそう答えた。
「ああ。そう思ったのか」
トスィーチヲは笑った。
正直、あの奥方様よりも、お館様の方が、ずっと美しい女性だと、トーキャネは思っていた。
そして、トスィーチヲも恐らく、そう感じているのでは無いだろうか。
「お前は、乱取りをさせぬ城主の元で働きたい。そう言っていただろう?」
その言葉に、トーキャネは深くうなずいた。
「お館様は、足軽や下人達には、絶対に乱取りをさせぬと仰せになっている。それを可能にしているのが、トヨウキツ様なのだ」
その言葉に、トーキャネは驚いた。
「物凄い富豪の、この辺りの地で最も富を持つ、商人のお嬢様だ。亡くなった前の旦那も、凄い富豪でな。そのお嬢様の富を、お館様は必要とされたのだ。それもな、普通ならばな、女性としてこんこんと口説かれるところだろうにな。お館様は、貴方の富が欲しい。自分は、絶対に乱取りなどをせぬ軍隊を持ちたい。そのためには貴方を妻にせねばならぬ。どうか、その、乱取りをせぬ軍隊を持つ夢を、叶えさせてくれ。と頭を下げられたのだ」
「そ、そうだったのか……」
「俺から見ると、それがご結婚された理由ではあろうが、お館様とトヨウキツ様は、深く愛し合っておられるな。トヨウキツ様は、お館様が可愛くて仕方がないと見える。12も年下の、あのように見目も麗しい方だからな。御性格も明るくあられるしな。お館様は、ギンミノウの妻を娶った後も、トヨウキツ様を第一の妻として、大切にしていくだろう」
使いの者をやり、ショーコーハバリに謁見したいとシャンルメは……いや、カズサヌテラス・ノム・オーマは言った。その言葉は聞き入れられ、白い馬に乗り武装した兵士達を連れて、シャンルメはギンミノウへと向かった。武装した集団は、ギンミノウとイナオーバリの国境近くにやって来た。
相手はギンミノウの毒蛇だ。どのような手を使うかは分からない。いざとなれば出撃する事になる。そう、兵士達は聞かされていた。その中に、トスィーチヲはいたが、トーキャネはいなかった。
トーキャネは、自分が連れて行く兵士達に選ばれなかった事を、チビで足が不自由だからだろうと、とても悔しがった。仕方がないだろう。謁見がうまく行けばそれで良いんだ。きっとうまく行くさ。そんなに気にするな。それにまだ、戦場で活躍出来るかどうかは、これからのお前にかかってるんだ。と、トーキャネはトスィーチヲに言われた。
兵士達の長い列を、国境近くに置き、そして、それからは武装をしない……白い馬に乗った、正装とも呼ぶべき白と黄色の着物姿で、シャンルメはギンミノウの土を踏む事が出来た。
つい先日、イザシュウが落とそうとして失敗した、その、国境近くの外れの城の中で、シャンルメはギンミノウの毒蛇と呼ばれたショーコーハバリと、初めて向かい合った。
向かい合ったショーコーハバリは、とてつもない悪逆の徒であるとか、力も知略も凄まじい武将であるとか、とにかく恐ろしい存在であるとか……その噂が真実であると言う事を、まさしく感じられる男であった。何よりも、その逞しい巨体が凄い。その整った顔立ちからも、勇ましいものを感じた。
「そなたの父とは先日も戦い、退散させたばかりよ。どうした、この俺の首でも獲りに来たのか?」
ショーコーハバリは不敵に笑う。
ショーコーハバリの背後に、ショーコーハバリを守るために、幾人かの男達が立っていた。
「ショーコーハバリ殿。わたしは自分を守る臣下を、この城には入れておりません」
「ああ。そうだな。入れても良いぞ」
そう言うショーコーハバリにシャンルメは
「いえ……」
と言い、護符を見せた。
護符とは、召喚の力を封じるものである。
敵による召喚の力を浴びた時に、その力を半減させ、攻撃をそこまで受けないようにする。
そのように使えるのだが、実はそれ以上に、持っている者の神の力を封じるものでもある。
「これを持っているのですから、わたしには貴方に、舞を舞い、攻撃をする事は出来ません」
そう言いシャンルメは、ショーコーハバリの目を、強く強く見つめた。
「信じていただきたい。貴方に対して攻撃するような気持ちは微塵も無いと。どうか、臣下達を退出させて欲しい。2人きりで、大切な話がしたい」
そう言われ、ショーコーハバリは
「ほう」
と言い、しばらく考えるように顎の髭を触った。
「よかろう。面白い。そなたの事は、こうして会ったばかりだが、すでに気に入っている」
ショーコーハバリは臣下達を部屋から出した。
そうして、2人はしばらく、無言で向かい合った。
やがて、シャンルメは口を開いた。
「貴方の娘を娶った者は、必ず死ぬと聞いた。そして、16の末の娘が、その噂のために、嫁の貰い手が無いと聞いている」
そのシャンルメの言葉に、ショーコーハバリは笑いながら答えた。
「うむ。その噂は、全て外れているとは、言えぬな」
本当に大きな男だ。こんなに長身な男は、シャンルメは見た事が無かった。しかし、この男が大きいのは、その体だけでは無いだろう。
見る者を圧倒する何かが、その男には感じられた。
この男は大きいが、何もかもが大きいと感じられる。この男は恐らくは、とてつもない大悪党であり、同時に、偉大な存在でもあるのだろう。
この男に圧倒されてはならぬ。
この男に魅了されてはならぬ。
その思いで、シャンルメは口を開いた。
「貴方はおそらく自分の娘を、自分が領土を拡大するための道具としか思っていないのだろうな。それが、おなごだと思っているのだろう。命じられるまま相手を殺し、その娘がどのように胸を痛めるのかなど、何の関心も無いのだ」
「面白い……!娘に殺された男ではなく、娘のために、そのように俺を責める者は、初めてだ!」
ショーコーハバリはその大きな体に良く似合う、大きな笑い声をあげた。
「貴方は、天獣を召喚すると言っている。そのためにならば、いかなる手も使う、と」
「ああ。俺はそのために生きている」
「残念だが、天獣を召喚するのはこのシャンルメだ。そう、父は言うだろう」
「父は?」
「天獣を召喚する者になる。生まれた時に、そう言われた赤子。それがわたしなのだ。だから、おなごなのにも関わらず、男として、国の主となるために生きて来た」
「なにっ!そなた、おなごなのか!!」
ショーコーハバリはその目を、大きく見開いた。
「美しい娘に見える。何とも美しい。俺の幼き頃の、美少年ぶりとも引けを取らん。そのように思っていたのだが……おなごなら、納得だ!!」
嬉し気に叫んだ男の目、シャンルメはその目を覗き込むようにジッと見つめる。
目を逸らしてはならぬ。
この男に負けてはならぬ。
その思いの中で、シャンルメは口を開く。
「だが……1つ問題がある。わたしは妻を娶らねばならぬ。そう、ショーコーハバリ殿、貴方との同盟が欲しいのだ。だが、その妻である娘の口から、自分の夫は、実はおなごなどと、世に知られては、困る訳だ。誰も娶ろうとは思わない貴方のその恐ろしい娘……貰い手のない娘を、わたしにくれまいか」
「そのために俺に会いに来たのか。面白い。この俺の娘を娶る事が、どれだけ恐ろしいか、分かっていないと見える」
「……1つ聞きたい。貴方は何故、天獣を信じているのだ。わたしは父に、天獣を召喚する者になる。天獣を召喚する者になれ、と言われて来た。わたしも叶うものならば、自分が天獣を召喚し聖王となろうと、そのように誓い、生きている。そのために生きると誓っている。だが、母は天獣を信じていない。そんな戯言のために、何故、女のわたしが城主なのかと。自分がそもそも、双子を産んだためなのかと、そう言うのだ。双子に産んだのが間違いなのだと、この母が悪いと、そんな風に言われてどんな思いがするか、少しも考えてくれない。弱く、憎い母だ……」
「そうか。憎い母でも、母を持つ者は、少し羨ましく感じる」
ショーコーハバリにそう言われ、シャンルメは少し驚いた。
憎い、憎い、しかし憎み切れぬ。
その母に、ずっと憤りを感じて来たからだ。
「ショーコーハバリ殿。失礼を承知で言うが、貴方はそもそも、卑しき生まれの者と聞く。卑しき生まれの者で、あらゆる手を使って、城主にまでなった方だと聞いている」
「ああ、そうだ。貧しき生まれよ。ずっと腹を空かせ、野や山の草を食み、生きてきた。そして、戦乱の中、村が戦に巻き込まれた。村は戦に巻き込まれたら、己達で戦わなければ生き残れぬ。それが世の常だ。俺は戦った。俺の父も戦った。そうして、俺の母も戦った。皆、槍をふるい、下人や足軽どもと戦った。俺はその時まだ、8つであった。
俺は覚えている。母と槍で戦った足軽どもが、母の腹に傷をつけた。見目の良い女、売り飛ばそうと思っていたのに、傷などつけたら高値で売れぬ。ならば、首を切り落とせばいい。胴体から離れたら、女などとは分からぬ。この長い髪で、身分ある兵の首だと偽装してやれ。奴らはそう言った。俺は絶対に母の首を切り落とされてなるものかと懸命に戦い、そうして、奴らのうちの3人を、この手で殺した。だが……母は殺されてしまった。俺は、せめてその首を奴らに奪われまいと、死した母の遺体を懸命に守った。
そう、俺はまだ、8つだった。だが、8つの子供が、村を守るために懸命に戦い、3人も殺したのだ。その事に驚かれ、村長と父は、この子供を売るならば、高値を払うぞと言われて、俺を売った。
俺を売る時、8つの俺に父は言った。
お前は売られる。高値で売られる。到底世が平穏になろうとも……いや、平穏な世など訪れる事は無いだろうが、それでも訪れても……もう、俺にはお前を、買い戻す事は出来ん。お前は奴隷になるのだ。だが、けっしてただの奴隷にはなるな。奴隷であっても、学問の出来る者は、高値で取引をされ、それなりの暮らしを出来る者もいると聞く。奴隷から脱却出来る者も多いと聞く。いいか、好機と思え。貧しい村にいたら絶対に出来ない勉学を、買われた先に頼み込み、させてもらえ。ただの奴隷には、けっしてならぬとそう誓え。まずは、勉学をと頼み込むんだ。
俺は言われた通りに頼み込み、勉学をさせてもらえる事になった。まあ、元々俺の買い主は、俺に武術を叩き込むつもりだったのだろう。学問以上に武術を習う、本当に厳しい脱落者を多く出す寺院に、放り込まれるように入った。
この国の寺院は、男だけを集めるものだ。まれに、女だけを集めるものもある。俺の売られた寺院は、当然、男しかいない。それ以来、男しかいない世界で、ひたすらに武術や舞いを磨き、勉学をさせられ、己の力を極めるためだけに、生きた。その力を信心に変え、この世界を良きよう導けと言われた。正直、意味が分からぬ。分からぬまま、勉学を積み武芸を磨くうちに、俺の成すべき事とは、村が、戦乱に巻き込まれる事など無い、高値で買うぞと言われ、売られる子供のいない、そんな世界を作る事なのでは無いか。そう、思ったのだ」
一息にそう言い、ショーコーハバリは見据えるようにまた、その目を大きく見開いた。
「13の時に、俺の買い主が俺の成長を見に寺院にやって来た。そうして言われた。武術の覚えも早い。文字や学問も、それなりに頭に入った。お前は14になったら、偵察や戦略も行う下人となる。下人になり、買い主のために戦い、買い主を守れと言われた。今ならば分かる。例え、村にいても、その買い主に売られていなくとも、俺にはその道しか無かった。村から出て戦場で名を上げる。その人生が、俺の人生だっただろう。だが、それを聞いた時、俺はたまらなく苦しく苦く思った。下人から足軽へ、足軽から足軽大将へ、そのように出世する事は出来る。そうだ、俺はけっしてただの奴隷では終わらぬだろう。父の言葉に答えるだろう。だが、戦場の下人になると言う事は、乱取りをして生きると言う事だ。母の命を奪ったあいつらと、同じように生きて、出世を目指すと言う事だ。そんな存在にはなりたくない、絶対になりたくないと、俺は思った。
俺の家族が生きているかは分からぬ。死んでいないかも知れぬ。だが、ただ脱走したら、もしも生きていたら、父親達が、俺が脱走した責務を負わされ、多額の借金を抱え路頭に迷い、死んでしまうだろう。そう思った俺は、自分が死んだと見せかけ、脱走するしか無いと思った。俺は、自分を売った家族を……生きているか分からない家族を守るために、寝食を共にした仲間達を殺した。俺の仕業とは分からぬよう、寺院に火をつけ、逃げ出したのだ。
逃げ出した先の山で、運良く盗賊に会った。盗賊を叩きのめして倒してやったら、仲間に入れと頼み込まれた。盗賊なんて者は、戦場では無く、山で乱取りをするような奴らだ。ごめんだと断ったが、どう生きる気だと聞かれ、確かに、このままでは俺は死ぬしかないと、その時初めて気が付いた。俺は盗みはせんと言いながら、盗賊の一員になった。
盗賊とは不思議なものでな、人を容赦なく殺し、人からあらゆる物を奪う、悪逆の存在でありながら……その存在同士では助け合いがあるし、義理人情のようなものがある。俺は盗みをしない代わりに、盗賊の子供達に文字を教えてやったり、盗賊の下っ端どもに武芸を教えてやったりした。そして、しばらく奴らと寝食を共にした後に、礼をしっかりと貰い、その山を下りた。
盗賊に貰った金で、俺は医者の元に弟子入りをした。とりあえず、薬を教えてくれと言った。薬売りで生計を立てようと思ったのだ。薬草の知識さえあれば、そして、上手く知識を話せれば、薬を売ったら生きていけるだろう。とりあえず、薬を売りながら、世の中を見てみよう。俺はそう思っていたのだ。
医学の世界、薬の世界は奥深かったが、その道を極めるつもりは無い。最低限必要な薬の知識を頭に叩き込んで、俺は旅に出る事にした。
寺院も盗賊達も医者の弟子達も、ほとんど男しかいなかった。その、男しかいない世界を飛び出し、世を知ろうと思い、薬を売りながら、広く長い旅をした。旅をして、滅びかけた都や多くの村々や町々を見て回り、どれだけこの世界が……広く続くこの大地と、そこに生きる人々が……貧しさと乱世に苦しめられているのかを、知識では無く改めて知ったのだ。
俺は思った。8つなのにも関わらず、村を守ろうとした、その時と同じ事をしてやろう。この、愚かで罪深く、何も持たぬ貧しい男が……にも関わらず、この世を、ああ、この世界を、俺が救ってやろうと。
そう、そなたが父に言われた、天獣を召喚する者になる、と。そう、決意したのだ。
そのためには、何をすべきか。とにかく、金が必要だと思い、裕福な、商人の女に近づいた。この女はなんと、驚くほど可愛い女で、見目も良く、素直な愛らしい女で、俺にぞっこん惚れてしまった。俺はやはり、自分は神に祝福されていると思った。金のために近づいた女が、このようないい女などと、ありえるのかと。始めて、そのおなごを抱いた時、おなごとはこんなにも素晴らしいのかと、世界にはこのような素晴らしいものがあるのかと、心底思った」
愛おし気に、目の前にその妻がいるかのように、ショーコーハバリは笑った。
「俺には、妻が3人いる。1人目は、もちろん、その妻だ。俺もこうして髭に白いものがある。同じようにその女も、今じゃ、本当に老いてしまった。だが、やはり可愛らしい女だ。心の底から愛し合うのならば……心底信頼し、愛せる者を持つのならば、女は人生に、3人がせいぜいだ。それ以上の妻や妾は持たん。俺はそう決めている。この手で抱く女は、心の底から愛され、愛せる者でなければならん」
城主に妻が3人とは、随分と少ないとシャンルメは思った。その3人の妻達が、沢山の子を産んだのであろう。
そして、最初に近づいた商人の女。
自分にとっての、トヨウキツのような女性。
その女性を愛おしく思うのは、当然の事のように感じられた。
そうして、自分と同じく……いや、自分の片割れと同じく、乱取りに遭い、乱世の中に生きて来たショーコーハバリの人生を、とてもとても面白く、興味深いものだと思っていた。
「とりあえず……事情を話し、シオジョウと会わせよう。あの娘は実は、俺の事を嫌っている。そうだ、お前の言うように、ただ、自分の野心のために、殺したい相手に娘を、次々に嫁がせる。そんな俺を心底嫌っているのだ」
「わたしが貴方の娘でも、貴方を嫌うだろう」
「まあ、そう言うな」
ショーコーハバリは笑った。
「シオジョウは何故、嫁に行かぬのかと言えば、俺の事が嫌いだからよ。俺などに利用されるくらいならば、嫁になど行かぬ。いっそ、この男のために父上を殺そう。そう思える男にしか嫁がぬ。などと、恐ろしい事を言う娘でな。正直、俺も、手を焼いている」
「その話を聞いたなら、ますますその娘をわたしの妻に欲しい。お父上を殺さずとも、貴方の成すべき事は成せると、そうお伝えしたい」
「ああ、うむ……そうだな。面白い……お前と言う娘……俺の手で、育てられんかな」
ショーコーハバリのその瞳が、ジッと目の前のシャンルメを見つめた。
「俺はこの通り、天獣を呼べぬまま、随分と歳を取ってしまった。この歳になってしまったら、この世を泰平に導くなど、悲しいかな。不可能だろう。誰かに俺のこの野心を継がせたいと思っていた。だが、俺の息子など、ギンミノウの平凡な城主がせいぜいだろう」
そう言い、ショーコーハバリは再び笑った。
「お前と言う娘がどれほどの者かは知らぬが、お前が娶りたいと言うシオジョウ。この娘はな、俺を嫌うところは困ったものだが、俺の野心を継がせるに、相応しい者やも知れぬと、実は思っていた。恐ろしく頭の切れる、賢い女だ。果たしてお前にあの娘が、使いこなせるものかな。お前があの娘を使いこなせた時に……俺は俺のこの野心を、お前とあの娘に授けても、良いかも知れぬと思っている」
「シオジョウ、イナオーバリをどう思う」
父の言葉に、シオジョウは顔を上げた。
「今度は、イナオーバリに嫁に行かぬか、と言うおつもりですか?」
声をあげて、ショーコーハバリは笑った。
「やはり分かるか。そうだ。イナオーバリが同盟を結びたいと申しておる」
「お父上に利用されるような人生は、ごめんだと申した筈です」
「イナオーバリは、真に良き地よ。作物の良く取れる豊かな土地だ。そして、何よりも海がある。海があるから港もある。そうして、市がある。真に大きな活気に溢れた市よ。だが、それだけでは無い。海のある国と言うのは、海のない国よりも、ずっと有利な点がある。そなたにも分かるな」
「塩、ですね」
「そうだ。そりゃあ、海があれば魚が取れる。港も市も作れる。だが、それだけでは無いのだ。何より、海があれば、塩が取れる。塩とは、この世で最も美味なもので、そして、この世で最も不味いものよ。料理の味と言うのは、この塩が決めるのだ。そして……それだけでは無い。この塩を一切口にしないと、人は死してしまう。どんなに山から山菜を取り、獣を殺し、田畑を耕し、食料を得ても……それだけでは、人は死してしまうのだ」
「ええ。そうです。その塩の取れる地、イナオーバリと同盟を結び、それからどうすると言うのです。お父上の事だから、同盟では飽き足らん。イナオーバリの地をこの俺が治めると、言い出すのに決まっている。どうせ嫁ぐその同盟相手を、殺せとおっしゃるのでしょう」
「シオジョウ。お前の嫁ぐ相手を俺は殺しはせぬ。この者には俺は、期待を寄せている。この俺の意志を継ぐ者になろうと思っている」
その言葉に、シオジョウはいぶかし気な顔をした。
「信じられぬと言う顔だな。仕方がない。俺は人を殺しすぎた。だがな、シオジョウ、俺の成すべき事とは、けっして人を殺す事であったり、戦をする事では無いのだ。国を救い、民を救う。この地に天獣を呼び寄せ、この世界を豊かにする。それこそが俺の成すべき事よ。そなたが信じられぬでも無理はないが、俺はそのために生きておる。シオジョウ、イナオーバリをその目で見よ。イナオーバリとこのギンミノウの境目の地でな、祭りがあると言うのだ。その祭りを、見に行ってみてはどうだ?」
この国の者達は……
もとい、この国々も者達は……
広い広いこの大地に、この世界に住まう者達は、皆、祭りと踊りをとても愛していた。
貧しき者も富める者も、踊りへの愛にはすさまじいものがあった。
乱世が続くうちに、踊りながら口々に歌われるその歌は、「どうせ死ぬのだ。踊りながら死のう」と言う内容であった程だ。
イナオーバリでも、秋の、収穫を祝う祭りが行われると言う。
そうして、イナオーバリのナコの城の若君は、その祭りに、天女に扮装をして現れるそうだ。
男の天女の扮装など、笑いを誘うためなのか。
そう思いながらも「一度その男をこの目で見てみよ」と言う、父の言葉に従う事にした。
2人の従者に連れられ、シオジョウはイナオーバリの地に着き、そして、祭りに参加した。
曲を奏でる者達が、太鼓や笛ではやし、人々が思い思いに舞を舞っていた。
シオジョウは踊りを人前で踊る事が、さほど好きでは無かった。踊りは好きだったのだが、こんな大勢の者達の前で踊るなどと、恥ずかしいと言う思いがあった。だから、彼女は自身は踊らずに、人々が踊る様を見ていた。
そこに1人、風を切って、美しき女性が現れた。
赤と桜色の美しき着物……
そうか、あれが天女の姿なのか!
多くの者達が踊りをやめ、その姿を見入る。
若君だ、若君だ、お館様だ、と人々は口にしていた。
華やかな美しき着物を纏い、優雅に舞う。
その姿を、シオジョウはジッと見入った。
こんなに美しい男性が、いる訳が無い。
この方は本当に男性なのだろうか。そう思いながら見つめていると、天女の姿のその人は
「シオジョウ殿!前に!」
と、大きな声を張り上げた。
2人の従者は、シオジョウの手を2人で両側から掴んで、その天女の前に連れて来た。
なるほど。危険が無いようになどと言っていたが、こうしてわたしをこの方の元に連れて来るために、この従者達はいたのだな。とシオジョウは思う。
シオジョウも、そして実は、父のショーコーハバリも、平民に変装し、従者など連れずに里や町を歩く事を、いつも平然としていた。
従者を連れさせた時、少し不思議に思ったが、まだ同盟国では無いからと言う父の言葉をすんなりと呑んでしまった。
しかし、連れられて来た事に、嫌だと言う思いは無かった。シオジョウの手をギュッと掴み、その天女の姿の人物はひらひらと飛ぶように舞い、そして
「行こう!」
と微笑みながら自分を連れ、駆けだしてしまった。
「お、お館様!!」
必死に2人について来ようとしている、その天女の姿の人物の従者の男が、それが敵わずに転ぶのをシオジョウは見た。その男の姿を見ながら天女は
「すまん!」
と言い、笑いながら2人は駆けていった。
「ここは貴方の父上が、イナオーバリの地を訪れる時には、いつも使っている寺だそうだ」
そう言いながら、シャンルメは微笑んだ。
「突然連れ出して申し訳ない。けれど、何としても貴方にはお会いしたかったのだ」
声も、やはり女性の声だ。
この方は何者なのだろう。とシオジョウは思った。
そして、ふっとシャンルメの足に目をやった。
「少し、お怪我をされていますね」
「ああ。気にしなくていい。小さな傷だ」
そう笑うシャンルメの足にシオジョウは手を触れ、やがて、その手で空中に絵を描いた。
これもいわば、小さき舞と言う事である。
「癒しの神よ……」
シオジョウがフッと息を足に吹きかけると、その傷は癒えていた。
「貴方は神と契約しているのか。しかも、癒しの神とは。戦場に連れて行く事も出来るな」
その言葉に、シオジョウは首をかしげた。
「わたしはおなごです。おなごの兵士も、確かに中にはおります。しかし、わたしは一介の兵士になるような身分の女ではありません。ご存知の筈」
「うむ。そうだな。一介の兵士とは違う。だが、戦場に連れて行く事は出来るだろう。しかし……貴方が癒しの力を使えると言う事は、ショーコーハバリ殿には聞いていなかったな」
「父が知っている訳はありません。父に知られたら、利用されたら嫌なのです。あの父は、あらゆるものを利用する男です」
「うむ……分からなくもない。わたしも、父も母も、愛しく思う反面、憎く思う時がある」
「貴方は……何者なのです……」
ジッとシオジョウはシャンルメを見つめた。
「イナオーバリの若君なのでしょう?」
「ああ」
と答えたのち、シャンルメはシオジョウの手を取り、ジッとシオジョウを見つめる。
「シオジョウ殿。思わないか?何故、世を作るのは、必ずや男なのか。この世を救うと信じられているのは、必ずや男なのか。女の身で、世を救ってはみないか。この国を、この世界を、救ってはみないか」
「それが叶うのならば、そうですね……父などよりも、ずうっとわたしの方が、人を殺さずに世を平らかにしたいのに。そう思っておりました」
「やはりそうだな。貴方の目には、慈愛と野心がある。一目見て気に入った。妻に欲しい」
「貴方は……おなごなのでは無いですか?」
「そうだ。おなごだ」
ジッとシャンルメはシオジョウを見つめた。
「イナオーバリのナコの城主カズサヌテラス・ノム・オーマ。それがわたしだ。男として育っては来たが、実はおなごだ」
トーキャネは興奮冷めやらなかった。
赤と桜色の着物に身を包み、天女の扮装で舞うシャンルメが、あまりにも美しかったからだ。
こんなに美しい方は、他にはいない。
この方はこの世で、最も美しい方だ。
いや、天上におわす神々ですらも、これほど美しい方はいらっしゃらぬのでは無いか。
こんなに美しい方とおれは出会い、そしてお仕えが出来るのだ。
その幸せに思わず体が震え、トーキャネは、気が付けば泣いていた。
泣いてしまったら、お美しいお姿を、この目に焼き付けられぬでは無いか!
ええい、泣きやめ!!と、涙をひっこめようとする。だがその涙は、うまく止まってはくれぬ。
霞む視界の中、舞っているシャンルメは、それでも、とても美しかった。
しかし、突然シャンルメは1人の女性を連れて、駆けだして行ってしまった。
ああ、何処に行かれるのか!と慌てて追ったが、足の不自由な自分はうまく走れず、転ぶだけであった。
頭から転んで額をぶつけたトーキャネに
「大丈夫だよ、小猿」
と、トスィーチヲは笑った。
「お館様の今日のお目当ては、あのお嬢様だったみたいだな」
いくら涙で目が霞んでいたのは言え、そのお嬢様がどんな姿をしていたのか、全く分からない、少しも見ていない自分に、トーキャネは驚いた。
本当にシャンルメ以外の存在は、何も目に入らなかったのである。
それから1時間ほど後に、晴れ晴れとした顔でシャンルメは戻って来た。
「約束は取り付けて来たよ。もう大丈夫だ」
どのような約束なのか、何が大丈夫なのか分からなかったが、トーキャネはシャンルメが戻って来た事がただただ嬉しかった。
白い馬に乗り、
「ナコの城に戻るぞ!」
と、その美しい天女の仮装の姿のまま、シャンルメは駆けだして行った。
やはり、この不自由な足は憎い。と、改めてトーキャネは思った。
馬に乗り、駆けだしたシャンルメを追うのが大変すぎて、何度も転び、何度も根をあげ、気が付けばシャンルメは、遠く見えなくなってしまった。
「お館様は俺達が遅くに着いても、気にするような方じゃ無いよ」
とトスィーチヲは笑うが、トーキャネはただ歯がゆかった。
ふと、気が付くと雪が舞っていた。
「ああ。祭りの最中で無くて良かったな。今年は随分、初雪が早いなあ。まだ11月初旬だぞ。イナオーバリはそもそも、雪が降る事が珍しき土地なのにな」
トスィーチヲはそう言うが、このヒラヒラと舞う雪の中で、舞うシャンルメの姿は、どれだけ美しかっただろうと思うと、祭りの最中に降って欲しかったと、トーキャネは思った。
トーキャネとトスィーチヲがナコの城についた時、シャンルメは湯あみをしていた。
踊って汗をかかれたのだろう、とトーキャネは思う。浴場を見張っていた兵士に声をかけると、実は、カツンロク殿に呼ばれている。代わりに見張っていてくれないか、とトーキャネとトスィーチヲは言われた。
カツンロク殿とはどのような方だとトスィーチヲに聞くと、お前がお館様に初めてお会いした時に、その場にいた、いかつい顔の男だよ。ここでは古株で、活躍をしている。気に入ってもらえると何かといい相手だろうな、とトスィーチヲは言っていた。
浴場を2人で見張っていると、何と、隣で見張るトスィーチオが居眠りを始めた。
小声で「なんて奴だ。目を覚ませ。万が一、湯あみをなさっているお館様を狙う者が来たら、どうするつもりだ」と言うのだが、目を覚まさぬ。
どうしたら良いのか、途方にくれた途端……
トーキャネは気づいてしまった。
お美しいお館様が本当は女性では無いかと言う事。それを確認できる、絶好の機会なのでは無いか?
それに気付き、気付きながらも、ええい、ええい、とトーキャネは自分を叱った。
お館様のお裸をこの目で見ようなんて、なんて奴だ。なんて奴だ。いかん!絶対にいかん!
あんなにお美しい方のお裸を見たら、俺はきっと、死んでしまう!
そう言い聞かせ、ギュッと目を閉じた時……
そう、声がした。
頭に直接、話しかけるような声だ。
母以外の者を始めて愛したな
その愛情が、力と熱を持ったのだ
熱の神だ。わたしと契約を結べ
その声に、トーキャネは呆然とした。
まさか……まさか……
これが、これが神の声なのか?
おれなんかに、神が、お声を授けてくれる事があると言うのか?
呆然とするトーキャネは思う。
そうだ、今日は初雪が降った日。
浴場から城の寝室に戻るまでに、お館様が湯冷めをされたら大変だ。
「ね、熱の神様……頼みがあります。お館様のお着物を、その熱で心地よい温かさに、温めたいと思います」
湯から出て、シャンルメは着物に袖を通し、正直、とても驚いた。
ほんのりと温かく心地良いのだ。
どういう事か尋ねるとトスィーチヲは寝ぼけた顔をしている。トーキャネが
「じ、実は……」
と、恐る恐る口を開いた。
「熱の神様と、おれは、契約が出来たみたいです」
「まことか!!」
シャンルメは、目を輝かせて喜んだ。
「お前の事は気に入っていた!神の力が使えるのなら、戦場での活躍する事も出来る!その力を使い、わたしの着物を温めてくれたのだな?」
「そ、そうです。お、お館様……」
恐る恐るトーキャネはシャンルメを見つめ
「実は、大切な話があるのです。いつでも構いません。おれと2人、話をしていただけませんか。出来れば、他の者はいないところで」
「お前、凄い奴だな!神と契約が出来るなんて!」
帰り道、トスィーチヲは笑いながらそう言った。
「いや。それよりも途中で寝るから、おれはどうすれば良いかと思ったぞ」
「なあになあに。ナコの城は安全な城よ。それよりもお前は、自分の神との契約を喜ぶべきだ!」
能天気な笑顔で、トスィーチヲは笑う。
「お前みたいな、不細工で足も不自由な奴が、神様に気に入られたりもするんだな」
なんて事を言うんだ、こいつ。と思いながらも……口は悪いが、それでも、自分の活躍をこうして喜んでくれる、トスィーチヲはいい奴なのだな、と、トーキャネは改めて思った。
しかし、何故、トスィーチヲ達は、お館様を女性だと気づかぬのか。
トーキャネには不思議でならない。
トーキャネはその事を、勇気を出してお館様に聞いてみよう、と決意していた。
「実は……その……その……」
もじもじと下を見つめた後、意を決したようにトーキャネは言った。
「おれは、お館様は、女性だと思うのです」
そう聞かれたシャンルメはトーキャネを見つめ
「どうして、わたしが女だと分かるのだ。まさか、わたしの裸を見たのか?」
と、怒った様子で聞いた。
「ま、まさか!まさか……!そ、そりゃあ、湯あみするお館様がすぐそこにいれば、覗いてみたくなるのが男心です。しかし、おれは、絶対に覗いたりしません!お館様のようなお美しいお裸をこの目で見たら、おれはきっと、目が潰れてしまいます!!」
「ふむ……ああ、そうか。あの浴場は、覗いてもどうせ湯煙で何も見えんな」
「おお、なんだ。そうだったのですか」
何故か、少しガッカリした様子でトーキャネは言った。それを見てシャンルメは、少し笑った。
「裸を見た訳では無い。それなのに何故、男か女かが分かるのだ?」
「おれはむしろ、周りの皆が、何故分からないのか、不思議で仕方がありません」
「うむ。そうか……」
シャンルメはしばし考え込む。
「お前は……凄い奴かも知れん。さすが、足が不自由ながら、熱の神と契約出来た者だけはある。お前には、真実を見抜く目があるのだろう。凄い力を持っているのかも知れぬ」
「お、おれに凄い力などございません。そもそも神と契約できたのも……すべて、お館様のおかげ。お館様が、お美しいからなんです」
シャンルメはいぶかしげな顔をした。
「母以外の者を、始めて愛したな。その愛が熱を持ち、神を呼んだのだ。そう、神に言われました」
「そうか。神の声は、お前に、そう言ったのか」
「貴方様のおそばにいられるだけで、おれにはこの上ない幸せでございます!こんな、チビでみすぼらしい、足も不自由な男ではありますが、貴方様のために戦い、貴方様のために尽くします!どうぞ、おそばに置いてください!!」
「もとよりだ。お前は気に入っている」
「ま、誠でございますか……!この上なき、幸せにございます!」
「ああ……お前は可愛いな」
「まさか、まさか、おれのような顔も醜く、頭も禿げ上がり、禿げた猿かぬれねずみのような男が、可愛いなどと、ありえませぬ!!」
「禿げ猿にぬれねずみ。確かに似ているな」
シャンルメは微笑み、トーキャネを見つめた。
「お前は、不自由な足に生まれた。そして体も小さく、不利なものを持っている。だが、誰もがお前を可愛く思い、愛される存在になれ。お前にならば、きっとなれる」
「お……おれのような男が……そんな……」
「なれるよ。きっとなれる。お前は体は小さくとも、大きな存在の男になるだろう」
薬の知識が豊富な、驚く程大きな旅の僧侶として、マシロカはその名を知られていた。
実は、ギンミノウの統治者・ショーコーハバリの別名である。
そう、娘のシオジョウは勿論、城主であり統治者であるショーコーハバリもまた、堂々と変装した姿で、里や町を行き来していた。
その旅の僧侶の姿で、ショーコーハバリはイナオーバリの、外れの里に来ていた。
その姿を見つめ、やはり旅の娘の姿で、シャンルメは微笑み、近付いて行った。
「なんと呼べばいい。仮の名はなんだ」
そう、小さな声で尋ねたマシロカに
「仮では無くって、真実の名はシャンルメだ。わたしの事は、シャンルメと呼んで欲しい」
と、シャンルメは微笑んで言った。
「うむ。そうか。ならば、俺の事はショークで良い。殿もいらぬ。まあ、一応はこの姿の時には、マシロカと名乗ってはいるがな」
ショークことショーコーハバリは、その、イナオーバリの外れにある寺を住居とする、マシロカと言う僧侶なのだと、自身を言うために、出家したのである。
こんなに巨体な男が目立たぬ訳は無いが、ならば、有名になってしまえばいい。
怪僧マシロカ。そう名が知られれば、まさか誰も、それをギンミノウのショーコーハバリとは思うまい。
だが、さすがにギンミノウの領地に、その仮の住居の寺を持つ事は危なかろうと、ショーコーハバリはその寺をイナオーバリのはずれに立てていた。
ここに立てていて、良かったものだ。とショーコーハバリは笑った。
シオジョウとも入った、その小さな寺の中に入り、シャンルメとショークは向かい合った。
今まで小声で話していた2人だったが、寺の中ではショークは、大きな声をあげた。
「そなたは凄いな!なんと、あのシオジョウが、嫁に行くと言うのだぞ!そなたほど素晴らしい結婚相手はいないと、イナオーバリのカズサヌテラスと必ず結婚すると、あの娘が言うのだぞ!いやあ、一体全体、どう口説いたのだ!」
「それは内緒だよ。まあ、簡単に言うと……わたしがおなごである事を、素直に言ったのだ」
「ふうむ。良くは分からぬが、そなたは本当に、なかなか凄い奴かも知れぬ!」
徳利を出し、ショークは酒を注ぐ。
「そなたも呑むか」
と言われたシャンルメは
「わたしは、酒はあまり得意じゃないんだ」
と笑った。
それから2人は何気ない話をした。
「そなたの召喚する神は、風なのか?」
「ああ。風の社を好きで、良く行っていた。ほとんど城から出る事が許されぬ身だったが、風の社にだけは、良く行った。この頬に、風を受けるのも好きだった。この風に乗り、空を飛びたいと思っていた。そんな時、神の声を聞いたのだ。風の使い手となれと」
「ほう」
「齢11の時だったから、周りの誰よりも、神と契約するのが早かった。父は喜んでいたな。さすがは天獣を呼ぶと言われた者よ、と」
「ほう。風も悪くない……だが、俺の召喚する神は、闇だ」
「ああ。舞う時に目を閉じると聞いた。それが、貴方の弱点だと。そのために、矢傷が絶えぬと。だが闇の神は、とても強いとも聞いている」
「おお。闇ほど偉大なものは無い。人が関われる中で、闇は、最も偉大なものだ」
その言葉にシャンルメは少し驚き、語るショークをジッと見入った。
「尊き神々の頂点には、この世界を……いや、偉大なる大宇宙を、お作りになった方がいるだろう」
そう、ショークは言った。シャンルメは
「ああ。人が気安くその名を付ける事など許されぬから、そのお名前が神話にも記されていない、ご存在しか語られないお方だな」
と、うなずく。
「ああ、そうだ。そのお方をどう思う」
「どう……どう思う事も出来ないな。あまりにも偉大で遠大なご存在すぎて……」
「うむ」
そう言い、どこか満足げにショークは笑った。
「シャンルメ、知っているか。この宇宙はほとんどが闇なのだ。あの偉大な太陽ですらも、宇宙の前では小さき石だ。この大宇宙をお作りになった、人は名をつけてはならぬ、気安く呼んではならぬ、偉大なる大御神ですらもお会いする事は大変難しく、ましてや人にはそのご存在に、触れる事も知る事も出来ぬと言われている……そのご存在とは、おそらく、宇宙の闇の中にいらっしゃるのだ。闇の神と契約をすれば、俺はいつか、そのご存在に辿り着けるだろう。そう思い、俺は、闇の神と契約をしたのだ」
「貴方は……神の業をみだりに語るべからず。と言う言葉を知らぬのか?その尊きご存在の事を、そのように語り、ましてや、辿り着こうなどと、不遜だとは思わぬのか?」
ショークは、声をあげて笑った。
「俺は、もとより地獄に、煉獄に堕ちる男よ!偉大なる神への不遜くらいなんだ!!俺ほど汚い男は、そういない!この世界を救ってやろう。そのために、あらゆる手を使い、命を奪って来た!許されざる男よ!俺は死したのち、煉獄に堕ちその炎に焼かれ、針のむしろを浴び幾たびも死を味わい、そして、その罪が罰せられた後に……誰よりも高い、天上へと向かうのだ!!」
晴れ晴れしい顔で、ショークは笑う。
そうか、この男はそれを信じているのだな。
自分が罰せられる程の悪人である事を、それを分かっているのだ。それを分かっている上で、いかなる手を使ってでも、この世を救おうとしているのか。
「善人なおもって往生を遂ぐ。いわんや悪人をや。悪人とは、神の手を焼かせるものぞ。わざわざその者を罰した後に、天へ召していただくのだからな」
そう言い、ショークは、いっきに酒を飲み干す。
「俺は悪人だ!大悪党だ!だが、必ずやこの世を救い、天獣を呼びよせ、この世を、人々の住める、偉大な土地へとしてみせる!!この歳になっても、それを、諦めてはいない!だが……志を継ぐ者は、探さねばならぬ歳だ。シャンルメ。そなたに俺の志が継げるのか。とても……楽しみにしておるぞ!」
「ああ……もちろんだ。わたしに出来るのならば、必ず、貴方の想いを受けつぎたい」
そう微笑んだシャンルメは、思い切ってショークに1つの質問をした。
「ショーク、1つ聞きたい。乱取りをする者に絶対になりたくなかった。だから、貴方は寺院に火をつけた。そこまで乱取りを憎む貴方の軍隊は、果たして、乱取りをしているのだろうか」
「ああ……」
苦い顔をしてショークは頭をかく。
「しているな。何しろ、俺の率いる軍だからな。俺のような、国盗りをした毒蛇が、兵士どもに乱取りをするなと言って、誰が聞くか。俺の兵士どもは乱取りをしている。そりゃあ、本音ではそんな事はさせたくは無いが……広き広き目を持て。目の前のたった一度の乱取りを止める事よりも、この世から乱取りを無くす事を、成さねばならん。そう思っている」
「そうか……わたしは実は、絶対に、乱取りをさせたくないんだ」
ジッとシャンルメとショークは見つめあった。
「貴方が初めに近づいた富豪の娘、その方と近い存在の妻を持っている。この妻により、その、乱取りの無い戦場を実現させたいと思っている。兵士達には存分に食料や武器や金を持たせるのは勿論、戦場に商いをする存在を、積極的に入れるつもりだ。戦場を、恐ろしい非日常にはしたくない。兵士達が、生きられる場所にしたいのだ」
そこまで言い、シャンルメはまた再び、ジッとショークの、その目を見つめた。少し驚いたような顔を、ショークはしていた。
「愚かなのかも知れない。貴方の言うように、目の前の一度の乱取りを無くせたから何なのかと。この世から乱取りを無くす事が大切であろうと、それも分かる。略奪を許してしまえば戦がたやすく運べるのに、何と愚かなと思われるかも知れぬ。それでもわたしは……乱取りをしない戦場を、実現したいのだ」
そう言うシャンルメにショークは笑った。
「そなたは俺の、死んだ母に良く似ている。女だてらに希望を持ち、女だてらに理想を持ち、懸命に戦っている。そなたの事を愚かなと言う者はいよう。だが、この俺が認める。この俺がそなたを認める。胸を張れ、シャンルメ。そなたの理想は尊い」
その言葉にシャンルメは驚き、気が付けば泣いてしまっていた。はらはらと涙が零れ落ち、少しも止まらない。
「なんだなんだ、そなた、泣き上戸か!」
酒を一滴も飲んでいないのだから、泣き上戸も何も無いだろうが、ショークはそう言い、シャンルメの肩を抱いた。
大きな手を肩に感じ、シャンルメは泣いた。
胸が熱くなる。この感情は何だろうか。まるで、生まれて初めて、満たされたような心地がする。
これ程の幸福を感じた事は、今までの人生に無い。嬉し涙を流したのも、初めてだった。
この男はわたしにとって、とてつもなく大きな存在になるのかも知れない。
何よりも大切な存在に、なるのかも知れない。
天獣を呼びし夢を、授けてくれる男。
この想いを、何と言うのかは分からない。
でも、これは本当に、初めての感情だ。
初めての喜びだ。
そう強く、シャンルメは感じていた。
何気ない話をして、シャンルメが泣き出し、そして、その涙が納まった後に、少しだけ大切な話を、シャンルメはショークとした。
中部東一の大国シズルガーが、イナオーバリの隣国サンガイチを狙っている。
サンガイチが落とされれば、イナオーバリも危ない。
ショークの元には、正直、イナオーバリとの同盟は結ばぬべきだと言う臣下もいたらしい。
それはイナオーバリと同盟を結ぶと、シズルガーを敵に回す恐れがある、と言う事だった。
それに対してショークは、シズルガーはいずれ敵になる相手。戦うべき相手だ。イナオーバリとの共闘でこれに立ち向かう、と答えた。
そして……シズルガーを敵に回す事が恐ろしいからこそ、シャンルメの父イザシュウは、ギンミノウとショーコーハバリを、何としても味方に付けたかったのである。
ギンミノウを敵に回したまま、シズルガーと戦う事は不可能であると考えたのだ。
そなたと、そなたの父がシズルガーとどう戦うか。それを、しかと見させてもらう。
そして、いつでも、そなたを助けに向かう。
この俺がそなたを守る。それを覚えておけ。
分かっている。そして……わたしは、必ずや貴方の期待に応えよう。
その言葉を交わし、シャンルメとショークは別れた。
双子が産まれた時に、予知の声を聞く能力者は言った。1人は何も成せぬような存在。1人は天獣を召喚すると言う、星の元に生まれた者。
男と女の双子。
天獣を召喚する者は、男に決まっている。
片割れの女は、捨ててくればいい。
そして、すぐにその、天獣を召喚する星の元に生まれた者を、ナコの城に閉じ込めよ。
片方の子供を捨て、片方の子供を城に閉じ込める時……双子を産んだ母は、産んだ子を捨てられる事を、本当に泣いたと聞く。
ナコの城に閉じ込められた赤ん坊のシャンルメが、おなごであると言う事は、数日後、父親のイザシュウの元に、早馬を走らせた者が知らせて来た。
イザシュウは怒りに震え、予知の能力者を問い詰めた。捨てた赤子を探しもしたが、見つからなかった。
予知の能力者は言った。
間違いない。城に閉じ込めたその、おなごの赤ん坊こそが、天獣を呼びし者だ、と。
戯言を抜かすな、とイザシュウは怒り、その者を斬って捨てようとした。
斬られまいと、その者は言った。
貴方様は今後、子に恵まれまい。
覚悟を決めて、その赤ん坊を、嫡男として育てるしか無いのだ、と。
その話を聞いた時、シャンルメは思った。
本当は父は、わたしを捨てようと思っていたのだ。
わたしが捨てられ、死ねば良かったと思っている。
いつしか、我が跡目よと、大切に接してくれるようになった父ではあるが、その父に対しシャンルメは、わだかまりのような思いを抱えていた。
そして母は……自分に向き合う時に、何故かいつも謝罪してばかりいる。
双子では無く貴方を産めていたなら、赤ん坊の時に城に閉じ込められる事も無く、女の身でありながら城主になる事も無く、生きられたのに……と。
本当に申し訳ないと母は言うが、母の気持ちは父の気持ち以上に、計り知れなかった。
母も、女の自分が捨てられ、死ねば良かったと思っているのだろうか。
いや、そんな事は無いだろう。
双子の片割れが捨てられ、泣いていた時、母は恐らく女のわたしが捨てられたのだと思い、わたしのために、涙を流していた筈なのだ。
計り知れぬ。そう思う一方で、母の気持ちは少し、分かる気がする。
多分、母はわたしを見ると、亡くなってしまった、わたしの弟を、もう1人の子を思い出すのだろう。
自分が双子に産まなければ、その子は死なずにすんだのだと、そう思い、ご自分を責めてしまうのだろう。
わたしも時折、胸が締め付けられる。
本当に申し訳なくなり、胸が苦しくなり、息をするのもつらくなる。
そう、自分の代わりに、自分のために、亡くなった双子の弟を思うと、本当につらく苦しい心地になる。
救いたかった。弟を救いたかった。
戦乱の中で、乱取りに遭い、死んだ弟を。
代わりに、死ねば良かったとは思わぬ。
けれども、弟にも、生きていて欲しかった。
その事を思うと、今も涙が出る。
そして……思う。弟の代わりに、わたしはこの国のこの世界の、乱取りに遭い苦しむ人達を、1人でも多く救うのだと。
ずっとずっと、シャンルメはそのように思っていた。
隣国ギンミノウから姫君が嫁いで来た。
長い行列の中に、姫君を運んでいる輿がある。その輿が降ろされ、そこから姫君が現れた。その姫君の元に、シャンルメがやって来た。2人はその手を携えて、ゆっくりと歩き出した。周りの者達は歓声を上げて、白い雪のような花びらを散らした。
その国を挙げての結婚の儀を、何とかトーキャネは、高台から見つめていた。
自分は身長が低いから、群衆に交じって見る事は出来ない。それが分かっているから、少し遠目にはなるが見やすい場所を、トスィーチヲに教えてもらい、そこに籠って、儀式を眺める事にしたのだ。
白い着物に身を包んだ、花嫁が見える。
隣には、黒い着物に身を包むシャンルメがいる。
一緒に高台の上にいるトスィーチヲは、
「ああ。美人な花嫁だな」
と言った。そうだろうか、とトーキャネは思う。
美しいが……何と言うか、顔立ちがキリっとしすぎていて、気が強そうな印象がある。
あの白い着物は、絶対に、お館様の方が似合う。
お館様が、白い着物に身を包めばいいのに。
そう思った時に、いや……と言う事は誰か、どこかの男が、お館様と結ばれると言う事か?
そんな事はあってはならん!と、トーキャネはぶんぶんと顔をふった。
高台の上のトスィーチヲは
「わあ。なんだ、小猿!」
と声をあげ、やがて、ああ!と言った。
「どこかで見覚えがあると思っていた。祭りの時に、お館様が連れ出して行ったお嬢様が……あの、花嫁様だな!」
その言葉にトーキャネは、そうなのか。と思う。
詳しい事は分からぬが、おそらくあの花嫁は、お館様が女性であると言う事を、ご存知の筈だ。
その上で、嫁がれて来たのに違いない。
女性であると聞かされても、嫁ぎたいと思う。
シャンルメは、そのような女性なのだろう。
「政略結婚で結ばれる相手でも、先にお会いしてお話をしたかったんだな。さすがはお館様だ。なんだか、その気持ちも分かるなあ」
そう言いながら、トスィーチヲは高台で身を乗り出した。同じくトーキャネもジッと見入る。
やがて、花嫁と花婿を先頭にした列は、ゆるりゆるりと進み、屋敷の中に入って行く。
これからは恐らく、シャンルメの父と母、そして、新たな花嫁と花婿。ほとんど身内だけの儀式が続いて行く筈だ。自分のような、単なる世話係に見る事は出来ない。
高台から降りたトーキャネに
「よーし、帰るか」
とトスィーチヲは言った。
花嫁姿のシオジョウと花婿姿のシャンルメが部屋の中に入ると、そこには、やはり着飾ったイザシュウとドータナミが居た。
シオジョウの、そのハッキリとした顔立ちを見た時、イザシュウはつい先日、戦場で対峙した、両目を見開いた時の、ショーコーハバリの顔を思い出した。
少しキツい印象を与える、顔立ちのハッキリとした親子なのだな、と思い
「美しい花嫁だな。父上の面影を感じる」
と言った。
すると、あからさまにシオジョウは嫌そうな顔をした。不機嫌な、嫌そうな顔になって、礼も言わずに頭を下げて、用意された席に座った。
なんだ、俺は何かまずい事でも言ったのか。と、イザシュウは思いながら、シャンルメを見た。
イザシュウに見つめられたシャンルメは、少し困った顔をして笑っていた。
式の儀式が滞り無く進められた後で、ドータナミがシオジョウを呼んで、2人きりで何やら話し出した。2人が話をしている最中に、イザシュウはシャンルメの元へと行き、小声で尋ねた。
気の強そうな花嫁だ。大丈夫か。と聞いた。
気は確かに強いけれど、芯の通った素敵な女性です。もちろん大丈夫です。とシャンルメは答えた。
それと、1つ気になるのだが……
「父親に似ていると言われる事は、娘にとってはそんなに嫌な事なのか?」
と尋ねたイザシュウに
「まさか。わたしは父上に似ていると言われたら嬉しいです」
と笑顔のまま、小声でシャンルメは答えた。
そうか。こいつは娘なのだ。
そう、改めてイザシュウは思った。
若武者ぶりが、かつては近隣諸国一の美丈夫と言われた、イザシュウにも似ている。その美貌により、絶世の美女が嫁いで来たと有名になった、ドータナミにも似ている。
シャンルメの顔立ちは、しいて言うならば、いいとこどり。と言う顔立ちだった。
それも、娘としての、いいとこどりをした。
2人の両親より、愛らしく可愛らしい印象の顔立ちに育った。
本来ならばこの娘は、今日来た花嫁と同じように、同盟者の元に嫁いだ筈なのだ。
その美貌から、おそらくは、同盟者にも愛されたに違いない。そんな風にイザシュウは思った。
シャンルメとシオジョウは、長い儀式を終えた後、部屋に導かれた。花嫁の白い着物のまま、花婿の黒い着物のまま、儀式が終わった後に、褥のある部屋に連れられて来られたのである。2人で部屋に入った時、どちらからとも無く、思わず笑った。
その夜は、満月に近い月夜で
「綺麗だよ。一緒に見よう」
とシャンルメは声をかけた。
「はい。綺麗ですね」
とシオジョウは微笑み
「着物が重いです。少し脱いでもいいですか?」
と言った。シャンルメは
「もちろん」
と言って、そして
「シオジョウ、さっき父上の言った言葉に、少し怒ったでしょう」
と尋ねた。一瞬いぶかし気な顔をした後で
「ああ……」
と、つぶやいてから
「わたしは父に似ていると言われるのが、一番嫌いなんです」
とシオジョウは言った。
嫌っているとは聞いていたけれど、あんなに素敵な父親に似ていると言われるのが、何故嫌なのだろうと、シャンルメにはとても不思議だった。
「何が嫌なのかって言うのは、人それぞれだから仕方がない。でも、父上を嫌わないであげて欲しい」
そう言ったシャンルメに
「お父上の事は嫌いではありません。でも、こんな事を言ったら失礼かも知れませんが……わたしは、貴方のお母上の、ドータナミ様の事は嫌いです」
その言葉にシャンルメは、驚いて目を丸くした。
「シャンルメ様は実はおなごだと、おなごに嫁いだ貴方がお可哀相だと、何より、おなごの身で城主になって、オーマ家を継がねばならぬシャンルメ様が、お可哀相だなどと言うのですよ?」
本当に心底不愉快そうに、シオジョウは言う。
「何がお可哀相なのですか。シャンルメ様にはちゃんと、世を救い、天獣を呼び寄せる御覚悟があるのに。わたしはその方の元に嫁げた事を幸せに思っているのに。あの方は、自身はおなごなのに、シャンルメ様がおっしゃっていた、おなごが世を救うと言う事を、全く信じておられぬのです。そのようなおなごは、わたしは嫌いです」
その言葉に、シャンルメは思わず笑った。
そして、ジッとシオジョウを見つめ、
「ありがとう」
と言った。
「わたしもそう思うよ。母上の気持ちは分からぬ。何故、少しでもわたしを信じてくれないのかと、悲しく思う。それを誤魔化さず、母上が嫌いだなどと、わたしに言ってくれて、ありがとう、シオジョウ。これからも貴方が思った事は、包み隠さずわたしに伝えてくれ。それが仲良くして行く、秘訣だと思う」
褥を共にしても、何をするでも無い。
布団の中で、2人は互いの過去や、この国……いや、広く広く続く大地であるこの世界の……未来について、語り合った。
「わたしには実は、もう1人妻がいる。そう、絶対に天獣を呼びし者は、乱取りなど行わぬ筈だと、乱取りを行わずとも、軍を守れるようにと、とても豊かな、多くの財産を持つ女性を妻にしたのだ。その妻が……本当に良い人でね。貴方とも引き合わせるよ。仲良くして欲しいと思っている」
その言葉にシオジョウは
「その方もおなごの可能性を信じてくれる方ならば、きっと、仲良くいたしましょう」
と言った。その言葉にシャンルメは
「もちろん」
と言って、微笑んだ。
シオジョウの父ショーコーハバリは、ギンミノウと言う国を、大国にのし上げた男である。この国を、いかにして大国にしたのか。
領地を広げた、他国に対する、軍事力による制圧が、凄まじかったと言うのは勿論の事、さすがに元薬売りであり、3人の妻の1人に商人の妻を持つだけあり、そのやり方は、商人が一役買っていた。
武力による制圧をしたその地に、商人達を送り込み、その地を豊かにするのである。むろん、そもそもギンミノウの領土であった土地も、商人達により、真に富める土地へとなっていた。
義父であるショーコーハバリのそのやり方を、シャンルメは存分に参考にさせてもらった。
シオジョウに詳しく、そのやり方を聞いた訳なのであるが、シャンルメにとっては大切な1人目の妻であり、偉大な商人でもあるトヨウキツも、勿論、その話し合いに、積極的に参加をした。
2人の妻は、驚く程仲良くなり、2人で経済の話などで大いに盛り上がった。
いつ戦があるか分からぬ。
だから、戦への備えは必要だ。
だが、戦以外の事にも、気を配らねばならぬ。
イナオーバリを、豊かな国にせねばならぬ。
海がある事が、イナオーバリの財政には大きかった。市場、そして港がある事によって、通常の農民からの年貢の他に、港を利用する者達から、港を使用する許可を与える代わりに、市での売り上げの2割を、税として納めてもらうのである。その事はイナオーバリの財政を、大いに潤した。元々作物の良く取れる土地である上に、海産物の良く取れる海がある。恵まれた国であると、シャンルメも思っていた。
そして、民の暮らし向きを良くし、その市場や港をより活気に満ちた、大きな物にするべく、シャンルメは奮闘した。
実は、シャンルメのオーマ家を、イナオーバリと言う国を支配する程の存在にしたのは、誰よりも、父であるイザシュウだった。戦にも強く、領主としての手腕もあった。オーマ家はイザシュウがイナオーバリを平定するまでは、そこまでの大きな存在では、実は無かったのである。
義父であるショーコーハバリのそのやり方は勿論だが、それ以上にシャンルメは、父イザシュウから学ぶ事が大きかった。
イザシュウから政治の事も戦の事も、継承し学び、そのやり方を教わり、シャンルメは父の偉大さを改めて感じ、尊敬の念を抱いた。
実は、結婚式が終わってしばらくたった頃、その父のイザシュウは病になり、領主としての公務を休み、その多くを、嫡男であるシャンルメに、任せがちになっていったのである。
最初は古傷が痛む。矢傷が痛むと言っていたのだが、だんだん体力が落ち、弓をふるったり剣を使ったりが、困難になって来た。
そこでシャンルメに、今までの自身の政治のやり方を、しっかりと継承させるようになった。
政治は良い。自分のやり方を継承すれば、幼き娘にもこの地を治められよう。
だが……今、シズルガーとの戦があったら、どうすればいいのか。あの幼きシャンルメに、全てを委ねろと言うのか。
イザシュウはそう思い、深く思い悩んだ。
思い悩めば思い悩む程に、具合は悪くなった。
やがて、起き上がる事すらも、困難になっていったのだ。
父の思い悩みをよそに、未だ幼いとも言える14のシャンルメは、その公務を務めて行った。
臣下達の助けは勿論の事、シャンルメの公務はいつも、2人の妻に支えられていた。
シャンルメは思っていた。
2人の妻は、妻以上の存在であると。
その存在に支えられ、その務めを果たしていた。
そして……戦があった時には、わたしが父以上に、弓を引き、剣を握り、舞を舞う。
父の病が癒えた後には、父を支え、父を守り、父の右腕となり活躍するのだと。
そう強く思い、日々奮闘していたのである。
そんな時、シャンルメの元に、そのイザシュウから手紙が届いた。
手紙でのやり取りは、良くある事だったので、今度は父は、何を手紙に記したのだろう、と思い開いた。すると、実は、新たにイザシュウに仕えている、予知の声を聞く能力者に、自分はこたびの病で息絶える。その命はあと1月だと言われた。
そなたも分かっているように、ドータナミは予知の能力者の言葉を信じない。だから、そなたにも伝えるように言ったのだが、伝えていないだろう。
自分が生きているうちに、話さなければならない事もあるだろう。会いに来てくれ。と書いてあった。
シャンルメは、馬を走らせて、スエヒ城に急いだ。
その日も、イナオーバリにしては珍しく、雪が降っていた。降りしきる雪の中、城を目指し走った。
息を切らし尋ねて来たシャンルメに、イザシュウは横になりながら
「シャンルメか……」
と小さくつぶやいた。やがて
「そなたには、一度も謝っていない」
とイザシュウは言った。
何をですか、と尋ねたら
「そなたを捨てた事をだ」
とイザシュウは力なく言った。
その言葉にシャンルメは、胸を撃たれたような心地がした。
言葉がうまく紡げない。
何をどう言ったらいいのか分からない。
そんな中、シャンルメは何とか、その想いのたけを、言葉にして紡いだ。
「わたしではありません。捨てられたのはわたしの弟です。でも、父上は本当は、おなごのわたしを捨てたかった筈です。弟はわたしの身代わりに捨てられて、そうして命を奪われたのです。謝るべきは、父上も、母上も、弟に対してです。何故、わたしに謝るのか、わたしには分かりません」
気が付けば、シャンルメは涙があふれて来た。
あふれる涙をぬぐわずに
「わたしも思います。自分の身代わりになって死んだ者がいるだなんて、本当に……本当に……どう詫びたらいいか分からない。代わりに死ねば良かったなどと思いません。でも、助けたかった。生かしたかった。それを思うと、胸が潰れる思いです。わたしのために、わたしのために、弟は死んだのです」
「違う……」
と、力なくイザシュウは言った。
「悪しき者はそなたでは無い。双子の片割れを捨てると言う悪しき習わし。そして、その習わしに従った、この俺だ。ドータナミが泣いて止めるのも聞かずに、俺は、価値の無い片割れを捨てよと、予知の能力者に命じたのだ。後から思った。双子と言う事を、隠せば良かったのだ。男の子供はドータナミが、そなたは傍女が産んだとでも言って、うまく世間の目を誤魔化せば良かっただけだ。それをしなかったこの父が、まさに悪しき者だ」
その言葉に驚いて、シャンルメはイザシュウを見つめた。
「いつか謝りたかった。そなたに対して。そうだ、捨てた子にはもう謝れん。嫌でも、この思いを、そなたが受け取ってくれ。ドータナミはそなたに謝りすぎだ。俺は謝らなすぎた。どちらの親も、そなたを傷つけただろう。駄目な親だ」
力なく笑ったイザシュウに
「父上の病が治るように、力を尽くします」
とシャンルメは言った。
「俺は、予知の者を信じている。そう、俺が死なぬと言うのならば、そなたが天獣を呼びし者だと言う事も、嘘だと言う事になってしまうでは無いか。信じさせてくれ。俺は死ぬのだ。そう思っている」
そう返したイザシュウに
「未来は変える事が出来るものです。今のままの医者にかかり、今のままの治療を受けていたら、父上の命は、あと1月なのかも知れません。でも、必ずや名医を見つけ、治療を探り、父上をお救いします」
そう言い、シャンルメは父の元に行き、父をギュッと抱きしめた。
「わたしは父上の子です。父上はわたしを捨てたかった筈だ。ずっとそう思い、どこか父上を恨みに思っていました。でも……父上はその事を悔やみ、恥じておられるのだと分かった。わたしが必ず、父上をお救いします。そして、何度でも何度でもこの城に来ます。父上が良くなるまで。何度でも」
そう言い、しばし見つめ合い、力無くイザシュウは
「分かった……」
と言った。
ナコの城に戻ってから、シャンルメはショークに手紙を出した。
貴方は元薬売りで、そうして、都も拠点にしていると聞いている。きっと、医学の世界にも精通しているだろうし、名医の知り合いもいるのでは無いか。
父が病で長くないと言われた。父を助けたい。父を救いたい。どうか、お力を貸して欲しい、と。
返事はすぐに来た。そなたに会う。医者も引き合わせる。と言う返事だった。
シャンルメの方から、ギンミノウを訪ねた。
その国境の外れで、ショークの連れて来た医者に会った。質素な服を着て、わずかに髪に白い物が混じる、背の低い、朗らかな様子の医者だった。
「この男は名医だが、賭け事などを好む悪い癖があり、都の医師会ではならず者で通っている。そんな癖が無ければ、今頃は名医として名をとどろかせていた筈だ。だから、呆れた男だが、その腕は確かだ。様々な医者を当たったのだが、今すぐに駆け付けられる名医が、こいつしかいなかった」
と、ショークは紹介してくれた。
その言葉にシャンルメは涙ぐみ
「ありがとう……」
と言った。
医者がもう長くないと言ったのか?と聞いたショークに、いや、長くないと言ったのは、予知の神の声を聞く能力者だ、とシャンルメは答えた。
ああ……とショークは言い、どの大名にもそんな奴が仕えているな。俺は、先々の事を他の者に決めつけられるのは好かん。そんな者を仕えさせた事は一度もない。と、ショークが言ったので、シャンルメは驚き、それはとてもショークらしいと思った。
そしてショークは
「医者の言葉では無いのなら、そんなに気にする事は無いし、医者の言葉でも、藪医者と言うやつもいる。気にする事では無い」
と言って、
「そなたの父の容態を、出来るだけ詳しく教えてくれ。俺がそなたに、薬の調合の仕方を教える。シオジョウの母のオオミが病に倒れた時は、戦で傍にいれぬ時以外、俺がこの手で薬の調合をした。すると、すぐに治ったぞ。家族が薬を調合すると言う事は、意外な効き目があるのやも知れぬ。俺が教えてやるから、そなたが薬の調合をしろ。忙しくとも多く調合をしておいて、渡す事ならば、たやすかろう」
そう言ってショークは、シャンルメをある場所へと連れて行った。
薬屋だと言っていた。
揃わぬ薬草は、無いのだと言う。
父の容態を詳しく話すと、ショークはその薬屋に、いくつかの薬草を頼んだ。容態に合わせ、彼自身が、薬草を選んで行く。
薬草を選ぶショークに、薬屋の者達は
「マシロカ殿、珍しいなあ。女性の連れとは」
「おおっ、美しい娘だなあ」
「そんな、うら若い娘を連れてるとは、生臭坊主だな」
などと、声をかけて来た。
「ええい、うるさいぞ」
と言いながらも、ショークは笑っていた。
そして、シャンルメに薬草をいかしにて薬にして、それを調合するのかを詳しく説明してくれた。
「マシロカ殿。やはり腕が良いなあ。生臭な坊主など辞めて、薬屋に戻ればいいのに」
そう声をかけた薬屋の男に
「そう言うな。俺もこう見えて忙しいのだ」
などと、笑って返していた。
シャンルメは紙を借りて細かくメモを取り、詳しい調合の仕方を習った。
「わたしにもやらせて欲しい。もし、間違っていたら注意して欲しい」
と言って、ショークの見本を真似、調合をした。
調合の仕方は少し難しく、力もいるし、細かく気を配らなければならないものだった。薬を調合していると、苦い匂いが部屋の中に充満する。ショークはその薬を調合する様を、名医だと言う男にも見せた。
「お前が今から診る患者が、この薬で良いのかと言う事を、この娘に教えてやってくれ。もし足りぬ物などがあれば、伝えてやって欲しい」
ショークはそう言っていた。そして
「その、ならず者の医者も、この薬屋には縁がある。その医者を通し、この薬屋に頼み、薬草を必要なだけ城に運んでもらえ」
とも言った。
そこまで気にかけてもらえた事が、シャンルメには本当にありがたかった。
ギンミノウの国境外れで、ショークに幾度も幾度も礼を言い、医者を連れて、シャンルメはイナオーバリへと戻った。
急ぎ、調合した薬を持ち、名医を連れて、スエヒ城へと行くへと、その朗らかな名医は父の容態を診て、少し深刻な顔をし、
「確かに、これは重病です」
と言った。嘘をつかぬ男なのだな、とシャンルメは思う。その方が信頼できる。とも思った。
改めて、父の病にこの薬は相応しいのかと、足りない物は無いか、入れない方が良い物は無いかを聞いた。その薬で大丈夫です。良く効くでしょう。と男が言ってくれたので、医者がお墨付きをくれるような、薬の作り方を教えてくれるだなんて、さすがはショークだとシャンルメは思った。
調合したその薬を、自分が調合したのだと伝え父に渡すと、そんな薬の調合の仕方など、一体どこで覚えたのだ、と尋ねて来た。
「ショークが……いえ、ショーコーハバリ殿が教えてくれました。奥方様が……シオジョウの母上が病気の時に、自分で薬を調合したのだそうです。とても羨ましく思いました。シオジョウの母上はきっと、とても、愛されているのでしょう」
そう微笑んで言ったシャンルメに、イザシュウは何やら、気持ちが引っかかる思いがした。
そう言えばこの娘は、最近美しくなった。
まさかとは思うが、嫌な予感がする。
そう思いながら、その調合された苦い薬を飲んだ。
こんな苦い薬、娘が頑張って調合したのだと聞かぬ限り、自分は飲まぬだろう、とイザシュウは思った。
それからもシャンルメは、調合した薬を持ち、頻繁にスエヒ城を訪ねた。
行ける時は、毎日でも行こうと思った。
職務に忙しく、毎日は無理だった。
それでも、何とか時間を作り、頻繁に行くように心がけた。見舞いをした方が、きっと父も良くなるだろうと思ったのだ。
頻繁に会いに来たシャンルメに、母も喜んだ。
時々、シオジョウや、トヨウキツも同行した。
トヨウキツはいつも、物珍しい品を持参した。
一度、シオジョウとトヨウキツと3人で尋ねた時に、その2人の妻の仲睦まじい様子に、イザシュウはとても驚いた。そうか、おなごにおなごが嫁ぐと、このように仲睦まじくなるのか。俺の妻同士が仲良くなどと、する訳がないな。と、その様子を見て笑った。
予知の者が持たぬと言った、1月を過ぎ、2カ月も過ぎた。
父はきっと助かるのだ。
まだ安心は出来ない。でも、2カ月を過ぎた。
きっと助かる。助かるのだと……
シャンルメはそう思い、安堵し、涙を流した。
そんな時、イザシュウのスエヒ城に、シャンルメとシオジョウが、急ぎ呼ばれた。ナコの城から、緊急に来いと言われたのだ。
わたしは馬に乗って行く。貴方は輿で。と言ったシャンルメに、わたしも馬に乗ります。とシオジョウは答えた。
「ただ、シャンルメ様ほど早くは走れません。シャンルメ様は先を急いで馬をお飛ばしください。わたしには誰か道案内を出来る者を、共に馬を飛ばす者を、付けていただけたらと思います」
シャンルメは分かったと答え、それぞれに馬を飛ばして、スエヒ城へと急いだ。
シャンルメが城に着いた時、母は泣いていた。
お父上が先程、突然、意識を失った。
しばらく昏睡状態が続いたが、今は目を覚ました。
父上がお亡くなりになる事も本当に悲しいが、これから先、貴方が、一国の主にならなければならないのだと、それを思うと、胸が潰れる思いだ。
そう言って母は泣いていた。
そこまでは遅れずに、シオジョウが到着した。
寝ているイザシュウを取り囲むように、シャンルメが座り、両隣に母のドータナミと、シオジョウが居た。少し離れたところを家臣達がまた取り囲んでいる。力の無い声でイザシュウは
「女と臣下は外に出よ」
と言った。家臣達は部屋から退出し、そうして、母のドータナミとシオジョウも出て行った。
シャンルメだけが残った。
「ああ……」
と、再び力無く、イザシュウは言った。
「お前は残ってくれる。そう、信じていた。お前は、男として生きる覚悟があろうと」
「はい。父上」
背を正し、シャンルメは父と向かい合う。
「そなたは賢い。賢い者だ。だがな、自分1人の知恵と言うものには限りがある。臣下の言葉に耳を傾け、何よりも参謀を持て。知恵を授けてくれる存在を持たねばならぬ。そのような者は、いるか?」
「そのような者になってくれるのでは無いか。そう、期待している者がいます」
シオジョウを想いながら、シャンルメはそう言った。
その参謀が女性であると知らせたら、イザシュウはきっと、心細く思うだろう。女である自分を跡目にと考えてくれているイザシュウだが、やはり、おなごは男に劣ると、そのように思っている筈だ。
「必ずや、臣下の言葉に耳を傾け、そして、賢き者の知恵を借りましょう。ご安心を。父上」
「うむ。そなたには兄弟がいない。本来であれば、このスエヒ城はそなたが守り、そなたの城ナコの城は、そなたの兄弟が守るべきところ。だが、それが出来ぬ。2つの城を、行き来する領主にならねばならぬ。忙しく飛び回る身になる。その身を大切にせよ。けっして、俺のように、病に倒れたりなどしてはならぬ」
「はい、父上。そのお役目、立派に果たさせていただきます。わたしは、体は丈夫に生まれました。母上のおかげです。忙しく飛び回ろうとも、無事にイナオーバリの領主を、務めて参ります」
そう答えたシャンルメに、イザシュウは
「1つ聞く……そなた、まさかとは思うが、ギンミノウのショーコーハバリに惹かれてはおらぬか?」
と言った。
その問いにシャンルメは戸惑った。
「そ……それは………」
と言葉を濁してから
「はい。惹かれております」
と素直に言った。
「やはりか……」
イザシュウは、頭を抱えるしぐさをした。
「ギンミノウの毒蛇。卑しき生まれからたった1代で国の主にまでなった男。人をたらしこむ力も相当のものなのだろう。そなたは我が跡目としては、頭の良い有望な跡目ではあるが、おなごとしては、世間知らずの箱入り娘だ」
声は力無く、しかし鋭い目で、イザシュウはシャンルメの目を、まるで射抜くように見た。
「いいか。絶対にショーコーハバリに、心を許すな。気を許すな。体を許すな。同盟者であるなどと、心からの信頼を寄せたりしてはならぬ。あの毒蛇の毒牙が、いつ自分の喉元を狙って来るか分からぬと思え。そなたはこの国の主。そして、いずれはこの世界を救うべき者だ。それを、ゆめゆめ忘れてはならぬ」
「父上……」
ショークを信頼しない事は、自分にはとても出来そうも無いと思った。そう思いながらも、父を安心させなければならない。その思いで口を開いた。
「分かりました。肝に銘じます。わたしにとって何よりも大切なものは、このイナオーバリの地。そして、天獣を呼び寄せる使命でございます」
その言葉に安心したようにイザシュウは笑い、やがて、眠りについた。
シャンルメは、父が息を引き取ったのでは無いかと思い、そっと手を口元に近づけると、父は小さく息をしていた。ホッと息を付き、そして、父に亡くなって欲しくないと、心から思った。
シャンルメは思う。父は、自分が子供を産んで、跡目を作ると言う事を、期待してはいない。
女に跡目を譲ったこのオーマ家が、娘の代で恐らく滅びる。それを、覚悟しているのだと思う。
この戦乱の世の中で、絶える家は多いとは言えど、それを覚悟する事は、きっとお辛かったろう。
父はこの地でのし上がり、イナオーバリと言う国の領主にまでなった。その一族にその家に、続いて欲しいと、本心では思っている筈だ。
だが、それを、諦めていらっしゃる。
そして……だからこそ、天獣を呼びしその夢だけは、何としても叶えて欲しいと、そう強く思っているのでは無いか。
父のその望み、その夢を、わたしは授かり、絶対に叶えなくてはならない。
シャンルメは、そう固く誓った。
部屋から出て行くと、そこには母と妻がいた。
父を心配し、泣く母を抱きしめ、
「父上の事を、悲しむあまりに、心配するあまりに、母上まで、具合が悪くなったりしないようにしてください。わたしは父上と、母上の子です。いつでもここに、馳せ参じます」
と言った。
その数日後、ナコの城に早馬で文が届いた。
父が亡くなったと言う知らせだった。
イザシュウが死んでしまった。
わだかまりのような思いを、持っていた事もある父だったが、それでもいつしか、娘であるシャンルメが天獣を呼びし夢を叶える事を、信じてくれるようになった。その父が、死んでしまったのである。
見せたかった。と心の底から思った。
活躍をし、この国を豊かにする様を。
天獣を、呼び寄せるその姿を。
風の神と契約をした時、トヨウキツを妻にした時、そしてシオジョウを妻に迎えた時、確かに喜んではくれたが……
男と変わらぬ……男に負けぬ、活躍をする様は、全く見せられぬままに、父は死んでしまったのだ。
その事が、悲しくてたまらない。
悲しみに、胸が張り裂けそうだった。
ショークに会いたい。
シャンルメは、そう思ってしまった。
心を許すな、気を許すな、体を許すな。
そう固く、父に言われた相手なのに。
今、誰よりも会いたいのは、ショークだった。
この肩を、その大きな手で抱いて欲しい。
そう思ってしまう。
だが……彼はいない。
そう、ショークは言っていた。
シズルガーとの父と自分の戦いを、見させてもらうと。だが……父は死んだのだ。
悲しみに暮れる時間も無かった。
国主であった父の葬儀の準備に、シャンルメは追われた。父の死を悲しみ、シャンルメの身を心配して、泣いているの母を慰め、シャンルメは喪主として、その葬儀の準備を進めていった。
そして、その準備を進めていた時……その悲しみの中で、シャンルメは知る事となる。
いつ、シズルガーに落とされるかと言われていた、隣国のサンガイチ。
サンガイチは落とされず、シズルガーに屈した。
シズルガーに滅ぼされるのでは無く、同盟国となる道を選んだのである。
その立場は対等の同盟などとは、到底言えぬものであった。なんと未だ幼い、13歳の嫡男である若君が、その身を、サンガイチからシズルガーへと移したのである。
サンガイチと言う国は、先日その若君の父が亡くなったばかりで、その13歳の子供が治めなければならぬ状態にあった。それを、代わりに、シズルガーが治めてやる。その代わりにその、嫡男を人質として寄こせ、と言われたのである。
結婚による、同盟以上の事態である。
属国となる事も仕方のない事。
国と民を守るため、やむを得ない。
幕僚達も、そのように思ったようだ。
そうして、シズルガーのヤツカミモトはやすやすと、サンガイチの領土を通り、イナオーバリを攻め落とさんと出兵したと言う。
シズルガーが父が亡くなった、まさにこの時期に、兵を挙げたのには訳があった。
サンガイチと言う隣国が、同盟国……いや、属国とする事が出来たからと言うのは、勿論ある。だが両者の交渉は、シャンメルの知らない、水面下で行われていて、イナオーバリに攻め入ろうと思えば、今までもシズルガーは攻め入る事が出来たのだ。
嫡男を人質にする前から、それは可能であったし、嫡男を人質とした事は、最後の仕上げのようなものであり、今までも、命じれば成せた事である。
シズルガーのヤツカミモトは、シャンルメに気があるなどと噂をされていたが、実はシャンルメでは無く、さらにその隣国である、ギンミノウを見ていた。乱取りなどと言う行為は、夜盗と変わらぬ下賤な振る舞い。そう言い、乱取りを兵士達に絶対にさせなかった男である。人々を苦しめる行為は許さぬと言うシャンルメの正義感とはまた違う、高貴な正義感で、ヤツカミモトは生きていた。
中部東一の大国。中部東一の武将。
その誇りこそが、ヤツカミモトにとっては、何よりも大切なものであった。
しかし、同じ中部東にある、さして気にも留める事の無い小国であったギンミノウが、突如、その領土を広げ、国を豊かにしたのだ。しかも、それは、まさに夜盗と変わらぬような下賤な、卑しい男の手によってなのである。シズルガーに迫る大国。シズルガーを超えるのでは無いか。ヤツカミモトより遥かに強い。と言う者が現れた。これは、真に許せぬ事であった。
この男を自らの手で撃つ。自らの手で殺す。
そう、ヤツカミモトは、心に誓っていた。
イナオーバリはギンミノウと同盟を結んだ。
しかし、同盟を結んだと言えども、まだ分からぬ。
自分ならばそのような卑しい男、信じたりはしない。イナオーバリを攻め入ろうとも、ギンミノウの毒蛇を連れ出して来る事は、そうして撃つ事は、難しいかも知れぬ。そう思っていた。
そこに届いた、イナオーバリのイザシュウの死の知らせである。
息子のカズサヌテラスは、大変な美少年であるくらいしか噂を聞かぬ、14の子供だ。
絶対に、舅に泣きつくに決まっている。
今イナオーバリを攻め入れば、下賤な、夜盗にも劣る外道の賊を、撃ち倒せるであろう。
ヤツカミモトはそう思ったのだ。
勿論そんな事は、シャンルメは知る由もない。
父が死んだその時に、悲しむ時間も無い程に、急にシズルガーが攻めて来た訳が、まさか父が死んだからなどとは、思いもよらなかった。
だが、涙をぬぐい、もうこれ以上は泣かぬと決めて、臣下達を集めシャンメルは言った。
「父の葬儀は父の国葬は、シズルガーを倒した凱旋式の中で執り行う。今は父の死も忘れ皆で団結し、シズルガーのヤツカミモトを迎え討つ時だ!」
そう、シャンメルは宣言した。
「わたしは会議の際には隅にいて、何も発言をいたしません。棟梁の妻とは言えど、女が何故いる、女が何を言うと、思う者はいるでしょう。会議の後でシャンルメ様に直に、意見を述べさせていただきます」
そう言ったシオジョウにシャンルメは微笑み
「やはり、貴方は賢い」
と言った。
そして、多くの者が一堂に集められ、ヤツカミモトと、どう戦うかと言う話し合いが組まれた。
「ヤツカミモトと言う男、戦場で奴の居所を確認するのは、非常にたやすいと聞いております」
「うむ。それは何故だ」
「豪華絢爛な輿に乗り、戦場にいるのです」
シャンルメは、しばし考えた。
「なるほど。では、その輿を目印に、攻撃を仕掛けるべき部隊が分かると言う訳だな。だが……中部東一の武将と言われた、己を誇示したいのかも知れぬが……豪華絢爛な輿に乗る武将など、聞いた事が無いな」
「あのう」
おずおずとトーキャネは手を挙げた。
「おれは、ヤツカミモトに仕えようとした男なんで、なんで、ヤツカミモトが輿に乗るのか、知ってます」
「ああ、何故だ」
「おれが馬に乗れない理由と同じなんです。ヤツカミモトは足が短すぎて、馬に乗れないのです」
その言葉に、その場にいた幾人かが笑った。シャンルメは笑わず、トーキャネを見つめた。
「そこだけは殿と同じだ。なんて、言われたもんで」
「なるほど。しかし、奴のその短い脚は、とてつもなく恐ろしい存在だと聞いている」
その言葉に、カツンロクは膝を叩いた。
「ああ。奴は蹴鞠の名手です。その腕は……いや、その脚は、真に見事なものだ。その蹴鞠に、鉄の神の力を込めて、蹴り上げるのです。鉄の球を」
「神の力を珠に込めるなどと、面白い事をする。神の力とはそのように使う事も出来るのかと、心底感服したものだ。兵力差も大きく、奴の使う技も恐ろしい。正面から向かって行き、勝てる相手ではない」
「そうですな。奴は何しろ、中部東一の武将と言われている男です」
そこに、重臣の1人が膝を叩いた。
「おお。奴が中部東一の武将なら、お館様は中部東一の美少年です!」
「うむ。それがどうしたのだ」
カツンロクはいぶかし気な顔をする。
「奴は美少年が好きな、衆道家だと聞いています。お館様に気があるなどと、噂をする民もいるほどです。ならば、お館様の魅力で奴を……」
「ならぬ!ならぬ!なりません!!」
大きな声をトーキャネが張り上げた。
「お館様をそのような……お館様をそのような、侮辱するような事を……なりませぬ!なりませぬ!!」
「トーキャネ、落ち着け。今のはただの案だよ」
シャンルメは微笑み、トーキャネを見る。
なんと涙を流しながら、トーキャネはシャンルメを見つめていた。
「そんな屈辱的な手を、お館様が使うなんて、絶対に……絶対に……」
「安心していいよ。トーキャネ。そのような手は使わないから。謀略は尽くそう。だが正々堂々と、その中部東一の武将を、中部東一の脚を、この手で破ってみせようぞ」
「お館様……」
トーキャネは涙をぬぐい、シャンルメを見つめた。
「は、はい……」
ぐいぐいと涙をぬぐいながら、トーキャネは背を正した。
カツンロクも、ずんとシャンルメを見つめ、その背を正す。
「必ず、この戦局を突破いたしましょう!我らは、何としても、お館様をお守りいたします!」
シャンルメは、幕僚達を見つめて言った。
「お前達を信じている。だから言う。わたしは奇襲をかける。奴の隙をつき、これを倒す。天が必ず我々に味方をし、討つべき時を導いてくださると信じている。必ずや、中部東一の武将を、中部東一の脚を、我々の手で討ち破るぞ!!」
シャンルメのその声に、幕僚達は歓声をあげた。
会議の後、シャンルメとシオジョウは2人で話し合いをした。
「シャンルメ様、父はシャンルメ様を守るため、相当の数の軍を出してくれる筈。シャンルメ様のためならば、恐らく、父自らが軍を率いて参りましょう。その、助けを借りますか?」
「いや……」
少し考えるように、シャンルメは言った。
「援軍が動けば、ヤツカミモトの軍と、戦う気である事が相手に知られてしまう。わたしは何とか、こちらに戦う気は無いのだと、そう思わせたい。先程も言ったように、あの中部東一の武将を破るのは、奇襲しかあるまいと思っている。それを成功させるためにも、降伏する気であるのだと思い込ませたい」
「はい。そうおっしゃるのでは無いかと思っておりました。シャンルメ様」
「そう、どんな大軍でも、いついかなる時にも、全ての軍が総動員出来る訳では無く、少数になる時がある筈だ。ヤツカミモトのいる少数の軍勢が、立ち止まる時があるだろう。そこを狙う。うまく丘から駆け付けられる、谷のような処にとどまってくれたら、それが一番だが……そう、うまく行くかは分からぬ。だが、神の声を聞ける能力者達の偵察隊を、戦地各地に置く事にする。今こそ奇襲が出来る時、そこを見定めたい。そして……間者を、ヤツカミモトの元に送る。幾人かの間者を送る。降伏を願い出たいと、わたしが言っているのだと、間者達に伝えてもらう。その言葉で油断を誘いたい。少数の軍隊を、しかも、戦闘態勢では無い状況に追い込みたいのだ」
「はい、分かりました。シャンルメ様、偵察隊を何処に配置すべきか、共に見定めましょう」
そう、シオジョウは地図を広げた。
そう、神の声を聞こえし者達は、神に声を授けて、念話のように会話をする事が出来る。
ただし、会話が出来る者は、そのような儀式を互いにしている者同士に限られた。
神の声を聞こえし全ての者が、その能力によって、戦闘で活躍を出来ると言う事は実は無く、ただただ、神の声を通して、偵察のような事しか出来ぬような者も、多くいた。
そのような者達を使い、偵察隊を作る。
どの大名も、行っている事である。
特に、今回の戦いには、その偵察隊を総動員する必要があった。
シオジョウと話し合い、どのように間者をヤツカミモトの元に飛ばすか、どこに偵察隊を配備するのか、それを決めた。その時……シャンルメの頭には、突然、声が降った。
シャンルメ。無事か。どうしている。
その声に、泣きそうになった。
ショークの声だった。
そう、父の病で手紙を出した後、何かあった時に、互いに声でやり取りが出来るようにと、2人は儀式をすましていた。
すましてはいたが……
父にショーコーハバリに心を許すなと言われ、そして、父が亡くなった途端、戦に巻き込まれてしまい、ショークに対して、声を飛ばす余裕が無かった。
突然、涙ぐんだシャンルメに、シオジョウは驚いた。
そのシオジョウに
「貴方のお父上がわたしを心配し、声を届けてくれた」
と伝えたシャンルメは、しばし、ショークと、神の声を通して会話をした。
父が亡くなった途端、戦になり、心細く思っていたところに、貴方の声が届いて、とても嬉しかった。
けれども、こたびの戦では貴方の助けを借りるのでは無く、降伏すると見せかけて、奇襲をかける作戦に出る。そう伝えた。
俺が必要であれば、いつでも助けに行く。
そう言われ、シャンルメの瞳から涙が零れた。
ありがとう。貴方の存在は、わたしの、心の支えになっている。
そう、シャンルメは伝えた。
父は、心を許すなと言うが、この人を信頼しないでいる事は、自分には出来ない。
そう改めて思った。
絢爛豪華な輿を運んでいる、まさにその部隊が、どのように戦場を進んで来ているのか、シャンルメは偵察部隊から詳しく聞いていた。
そうして、幕僚達に言った。
「ヤツカミモトはシズルガーからサンガイチを通り、そうして、このイナオーバリへと来る。長い長い道のりを進まねばならぬ。その従軍に、彼らは疲労するであろう。そして、兵士達の兵糧を運ぶ事にも苦労をしている筈だ。シズルガーは、昨今飢饉にあったと聞く。ヤツカミモトはわたしと同じく、乱取りを嫌う者だ。サンガイチの協力があろうとも、兵糧を運んで行く事に、手間取る筈である。そこをつく。そして……完全に奴を連れた部隊を孤立させる。そのために、水の能力者を雇った」
その、雇われた能力者は、水の能力が似合うような、青白い顔をしていた。
能力者達は全ての者が、各地の大名に仕えるのかと言えば、そのような事は無く、金で雇われ各地を転々とする者もいた。
この男も、そのような男であるようだ。
トーキャネは思う。
おれは熱の能力者。
水の能力者はもし敵対すれば、手強き敵になるかも知れぬ。
「戦力が圧倒的に劣る我々にとって、必ず行わなければならない事は、ヤツカミモトの軍を、彼らの充分な戦力発揮が、困難な状況に追い込む事である。つまり彼らを、わたしの定めし戦場へと導く必要がある。大軍とは引き離した、少数で戦わなければならぬ状況に、ヤツカミモトを追い込む。そこで、わたしは……一騎打ちをかける」
「一騎打ちを……」
その言葉に幕僚達は心配をした。
トーキャネも不安に思い、シャンルメを見つめる。
シャンルメの風の力を侮る訳では無いが、相手は中部東一と言われた武将なのである。
「わたしを信じてくれ。必ず勝利に導く」
シャンルメはそう、微笑んで言った。
シズルガーが軍を挙げた事に対して、なんと人質としてシズルガーに入った、未だ13歳の若君が、自分も戦うと言い出したらしい。それに対して、貴方はまだ子供だ。城に残っていろ。と言われ、イナオーバリのカズサヌテラスもまだ子供だ。わたしと1つしか違わない。などと言い、ヤツカミモトに苦笑いをさせたらしい。結局、当たり前の事ではあるが、若君はシズルガーの城に残る事になった。
サンガイチの若君が、戦場に参加しなかった事。
それに、シャンルメはホッと息をついた。
カツンロクの叔父がサンガイチにいる。
重要な位置にいる幕僚である。
それを知ったシャンルメは、自分からその、部下の叔父に対し、文をしたためた。
領主を失い、若君はまだ幼い。
その幼い若君は、シズルガーに人質に入った。
サンガイチと言う国の立場は理解している。
けれども、こたびの戦いで……イナオーバリにつけとは、けっして言わぬ。兵を挙げないで欲しい。
若君が参戦しなかった事には、正直安堵した。
あなた方と、まだ、交渉の余地が残されたと思ったからだ。
シズルガーと戦うだけでも、我が国にとっては大変な事だ。サンガイチまでも相手取る事は出来ない。
もしも、サンガイチが兵を挙げぬと言う、この望みを聞き入れてくれたなら、シズルガーとの戦に勝った暁にはサンガイチを同盟国として残し、大切にする。シズルガーのように、属国として扱うような事はけっしてしない。
そのような内容だった。
返事は期待していない。
目を通してもらうだけで良い。
勿論この文だけで、思惑通りに事が進む筈は無い。だが、何もしないよりは良い。
そう思っていた。
偵察隊が、次々に情報を伝えて来る。
そう、狙った通りの状況だ。最良と言える。
そこは、谷の底と言えるような道だった。
山々に囲まれた、谷の底のような道を、ヤツカミモトの軍は行軍しているのだ。
山を登ったり降りたりしながら、イナオーバリを目指すよりは、当然、通るべき道だと言えるだろう。
そして、その谷の底のような道は、沼地とまで言わずとも足場が悪い。先へ先へと進むのは、困難な道のりなのである。
その沼地に近い、足場の悪いところを……超えたところに、その草原がある。
今までの道のりとは違い、草などが生え土が乾き、腰を下ろせぬ事は無い。
シャンルメはその草原を、戦場と定めた。
ヤツカミモトがその草原に着いたその時に、軍の後方に水の能力者を遣わした。
まだ、その草原に到達していない、ヤツカミモトに続く長い長い大軍を、その、足場の悪い沼地のような場所へ閉じ込めたのだ。
深い深い霧の中、彼らはその足踏みさえも辞めた。
彼らを置いて、草原を進んでいる事に、ヤツカミモトは気付いてすらいなかった。
そして、草原を少し進んだところに、今度は付近の寺の者達を遣わした。
この地を治める事になったならば、何卒よしなに。そのように言い、食料と酒を届けさせたのだ。
この長い行軍。乱取りを憎む棟梁。
絶対に、兵糧を運ぶ事に、苦労をしている筈だ。
喜んでその食料と、酒を受け取るだろう。
そうして、沼地を抜け草原に腰を下ろせる事で、そこで食して行くに違いない。
この作戦は、シャンルメがシオジョウと話し込み、2人で決めた作戦だった。
戦の巻き沿いにならぬよう、寺の者達には早々に退散させた。それでも、疑う事無く、ヤツカミモトの軍は、その食料と酒を受け取り、今までの足場の悪い行軍の疲れをねぎらうように、草原に腰を下ろした。
丘から谷へと駆けつけられる、少数の軍勢で、ヤツカミモトはその草原で、休んでいるのだ。
食料は少しずつ兵士達の元に届き、休んでいる兵士達の中には、ゆるりと休み、上機嫌でその酒を口にしている者も多いと言う。
そう。間者達の言葉も届いている。
戦う気は無い。
その情報を信じているのだ。
「今だ……!行くしか無い!」
近くで情報を聞いていたシャンルメは、そう言って、馬を走らせ、戦場へと駆けた。シャンルメに続き騎兵隊も駆け、そうしてトーキャネなどの歩兵達も駆けて行った。
ヤツカミモトの軍に見つからぬ場所に、陣を張った。
そこで彼女は、舞を舞いだした。
吾が舞えば、神天下りて。
その決戦に向かう前に、シャンルメは身にまとった薄紅色の着物で、風の神を召喚する舞を舞った。
彼女が舞ううちに、歩兵達もその場に到着した。
その美しさに、トーキャネは息を呑む。
天から神が下りて来る。それがまさに、見えるような気がした。
最後に目を閉じ
「風の神よ、我に力を……」
と呟き、やがてその目を開き
「行くぞ、皆の者!」
とシャンルメは叫んだ。
ヤツカミモトの少数の軍勢は、まさかそこに駆けて来たのが、シャンルメ達の軍だとは、初めは分からなかった。
地鳴りを、地震か、災害か、と思い……やがて兵士達の姿を見た時も、何事だ、謀反か、などと思ったようだった。
敵対するイナオーバリの兵士達が駆けてきたと言う事を、とっさに理解が出来なかったのだ。
戦闘態勢に入れる者は、本当に少なかった。彼らは戦う事も出来ず、総崩れになった。
シャンルメの兵士達が、剣や槍を向けて突撃した。
「死ね!ヤツカミモト!!」
熱の力を使い、トーキャネも突撃する。
「熱の神!熱波の舞!」
その熱風で、目の前の多くの兵士を倒して行く。
火傷を負って、逃げ出す者達もいた。
何としても、お館様をお守りする。
そのために、おれはここにいるのだ。
その思いで、トーキャネは駆けた。
奇襲に遭い、ヤツカミモトの軍は散り散りになるように乱れた。その中でも何人かの者達が、絢爛豪華なその輿を何とか守ろうと奮闘していた。
やがて、輿からヤツカミモトを出し
「お逃げください!早く!!」
と部下達が言った。
だが、誇り高いヤツカミモトは、戦う道を選んだのであった。
立ち向かうトーキャネ達を見ながら、ヤツカミモトは冷静な顔で、右足を後ろにひいた。
足元に、銀色の鉄の塊がやって来る。
ガッと言う音がして、銀色の塊にヤツカミモトの脚が当たった。瞬きする間もなく、1人の兵士の腹から血が噴き出した。シャンルメは目を見張った。
兵士の腹に、大きな穴が空いている。むろん、絶命していた。
その男が死んだ事に、シャンルメは胸が痛んだ。
死にゆく兵士の背後に、銀色の球体が浮かんでいた。鉄で出来たその球体を見入る。
その珠が、ヤツカミモトの脚元に戻って行く。
ヤツカミモトが再び蹴りあげると、今度は違う兵士が、腹に大きな穴を空けて死ぬ。その背後にいた者も、珠をくらい絶命した。2人まとめて殺せる程の、威力を持っているのである。
その珠が腹や胸に当たらずとも、腕や脚に当たり、その腕や脚を失った兵士達が見えた。
武将としての将来を、断たれてしまったのだと、その姿を見てシャンルメは思った。
「あれが……ヤツカミモトの脚の力か……」
恐れ、見入る者達の中で
「負けぬ!……負けぬ!」
トーキャネは、不自由な脚で舞いながら、ヤツカミモトに向かって行った。
この銀色の球が腹に当たっていたら、トーキャネも絶命していただろう。彼の目の前にいる2人の兵士に珠が当たり、彼らは絶命し、その吹っ飛ばされた彼らの体が、トーキャネの体にぶつかった。トーキャネは勢い良く遠く吹っ飛ばされて行き、そこで、傷を負い、血を吐いた。
トーキャネ!!
心の中で、彼の名を叫ぶ。
そう、1人だけその名を呼んでしまったら、他の、死して行った、将来を奪われた、部下達に申し訳がたたぬ。
だから、その名を呼ばなかった。
けれど思う。この若者は自分にとって、大切な存在の1人になりつつあると。
トーキャネのその無事を確認し、シャンルメは彼の方を見つめた。そして、彼の目を見てうなずき、
「……皆の者!わたしを信じてくれ!」
そう強く、シャンルメは言った。
「わたしを信じて任せろ!!」
その言葉に、トーキャネは体を起こす。
シャンルメはジッと、ヤツカミモトに向き合った。
珠に神の力を宿し、その珠を使う。
これが、恐れられたヤツカミモトの脚か。
球体は、倒れた兵士の死体と倒れ込むトーキャネを飛び越えて、ヤツカミモトの脚元に戻って行く。
ヤツカミモトは、静かに、その口を開いた。
「おのれ……まさかお前だけが兵を率い、この我を、奇襲で攻撃するとはな。確かにこの中部東最強の王を倒すのは、それしか無いかも知れぬが……何故、舅に泣きつかなかった」
ヤツカミモトは苦々しい顔で
「さすがに14の子供であっても、あのような下賤な卑しい男の助けは、借りれなかったと言う事か」
と言った。
その言葉にシャンルメは
「あの人を侮辱する事は、わたしが許さない!!」
と強く言った。
その意外な言葉にヤツカミモトは驚き
「ただの舅と婿では無いようだな。あのような卑しい外道に心を奪われるとは、嘆かわしい話だ」
「許さないと言った筈だ!人は生まれでなど決まらない!人は、いかにして生きたか!それが全てだ!」
ふん、とヤツカミモトは鼻で笑った。
「生き様とて、真に卑しい男であろうが。貴様、何を言っている。しかし……当てが外れたな。まさか奇襲をかけて来ようとは。この中部東最強の王を貴様だけで倒すには、それしかあるまい。降伏するかのように、見せかける。そのため舅に泣きつかなかった訳か。これだけ、我を守る陣営が少ないとなると……我のこの脚でお前を倒すしか、無い訳だ……」
その視線を、ヤツカミモトはシャンルメに向ける。
「だが、噂に聞くように美貌だな。降伏をすると言えば、良きように計らってやるぞ。卑しき外道などより、ずっと良い思いをさせてやる」
ヤツカミモトの言葉にトーキャネは怒りを覚えた。
こいつはお館様を狙っている。絶対にお守りしなければ。そう思い、助けに向かおうとしたが、
「何を言っているんだ。お前も自ら言ったでは無いか。奇襲は成功している。お前を守る陣営は手薄だ。後はお前のその脚を破ればいい。そう、一騎打ちだ!わたしと戦え!ヤツカミモト!」
そう宣言したシャンルメの、任せろと言う言葉を思い出し、トーキャネはグッと耐えた。
本当にシャンルメが危なくなったら、命に代えても守る。でも、今はシャンルメに任せる時だ。
「口のきき方がなっていないな。尊いヤツカミモト様、手合わせをお願いします。とは言えぬのか?」
「くだらぬ」
「ほう、くだらぬだと?そなた、何様だ」
「わたしは天獣を召喚し、この乱世を終わらせる聖王となる者だ!」
「天獣を召喚するだと?この我でさえ、そのような事を言った事はないわ」
ヤツカミモトは背を向けた。
「我と戦うのは千年早い。そう言うつもりだったが、やめておこう。何兆年たとうが、そなたのような愚か者に、我と戦う資格などない」
「中部東最強と呼ばれた者が……なんと、初めから、天獣を召喚する事を諦めているのか。中部東はこの世界で、最弱の地であるようだな」
ヤツカミモトが脚を止めた。その背から、憤怒の思いが立ち上がって来る。
「なんだと、貴様!我に殺される覚悟はあるのか!」
「無い!お前を倒す覚悟しか無い!」
ヤツカミモトは体をシャンルメに向けた。
鋭い目つきで、足元の珠を蹴り上げようとした。その時……
「風の神よ!我に力を!」
あの珠を刀で止めたら折れてしまう。
この身に受けたら死してしまう。
止めてやる。風の力で、あの珠を止める。
ヤツカミモトを守るように立っていた兵士達が、風の力により飛ばされ始めた。
強く風を吹かせる、シャンルメに向かい、ヤツカミモトは蹴った。
風でその威力を抑える事は出来たが、それでも、その鉄の球は、シャンルメの腹に当たる。
シャンルメの口から叫び声が出た。
血が流れている。痛みに顔が歪む。
「ふん。その程度か。口だけの愚か者が」
「次こそ、止めてみせる!」
シャンルメはすべての力を振り絞った。
ヤツカミモトの髪も衣も強風で揺れている。
黒い球体はそれでも、すさまじい速度で飛んできた。また腹に当たり、再び血が流れる。
「ほう。二発くらっても死なないとは。風の神はお前が苦しむのを望んでいるようだな。ならば、なぶり殺しにしてやろう!!」
蹴り上げるヤツカミモト。
ガッと音がした瞬間に、シャンルメは左に飛んだ。
体のすぐそばを球体が飛び、来る時よりもゆっくりと珠はヤツカミモトの脚に戻っていった。
「ようやく、避ける事に気づいたか。遅すぎたな」
ヤツカミモトは冷笑を浮かべる。
シャンルメの腹から流れ出す血が、着物を赤く染めていた。
「いくらでも避けろ。貴様は疲れ、血は流れていく。我の勝ちは決まっておる」
「シャンルメ様!」
シオジョウの声がした。
「その力に、逆らっては駄目です!絶対に!」
シオジョウの言葉の意味を、一瞬、シャンルメは計りかねた。降伏を進めるような女ではない。それは分かっている。
「おい。貴様の部下の女が、降伏を進めているぞ」
シャンルメはヤツカミモトを見たまま、声を放った。
「何を言うか。わたしに降伏をする気などない!」
「違います!力に逆らっては駄目なのです!」
シオジョウは何を言おうとしている。おそらくは、それは、自分への助言である筈だ。
「あの、貴様よりはマシな、頭脳の女に従い、降伏をしたらどうだ?その生意気な口を直せば、良きように計らってやろう」
逆らうな……それは、どのような意味なのか?
「その気は無しか。死ね。愚か者」
ヤツカミモトが蹴り上げた瞬間に、シャンルメはその言葉の意味に気が付いた。急ぎ、右に避ける!
球体は風に乗り、シャンルメの、遥か遥か後方まで飛んでいった。
「な、なに!?」
痛みに耐えてシャンルメは、敵陣に駆け寄る。
そして、そのわずかな瞬間に、シャンルメは舞を舞った。
「風の神!刃風の舞!」
血に染まった着物で美しく舞い、風を起こした。
ヤツカミモトの着物が風の刃に切り裂かれ、ヤツカミモトの体から血が噴き出した。苦痛に、ヤツカミモトは顔を歪めた。
「な……何をした!!」
シャンルメは答えずに、構える。
だが、球体がヤツカミモトの元に、戻って来るのが早かった。ヤツカミモトは顔をしかめながらも、蹴り上げる。
シャンルメは避けて、再び舞う。
珠は再び、シャンルメの後方へと飛んで行き、その隙に再び斬りつける。ヤツカミモトは、二度目の傷に悲鳴をあげた。
再び、その身を、血に染めていた。
「おのれ……おのれ……そうか!風の力か!」
「そうだ、気付いたか。ヤツカミモト!」
神の力を込めた珠。あの速さを止める事は出来ない。だが、加速する事は出来る!
強風が追い風になれば、珠は遥か遥か後方まで飛んでいってしまう。
そして、戻って来る速度は向かって来る速度よりも、ずっと遅い。
その隙をついてならば、攻撃を出来る!
そう。逆らっては駄目なのだ。相手が自分よりも強いのならば、その強さを利用すればいい!
「護衛隊、前に出よ!」
ヤツカミモトを守るように、巨大な兵士達が立ちふさがった。
「我は、この傷を癒す!その間に、この死にぞこないを殺せ!」
シャンルメの目が、護衛隊長の、胸の護符に止まった。この者達に、風の力は効かぬ訳だ。
ヤツカミモトが背を向けて逃げるのと、護衛隊長が大剣を構えるのが同時だった。
考える暇などない。
シャンルメは、刀を前方の空中に向けて投げた。
護衛隊長の頭上を刀は飛ぶ。風に乗って。
一直線にヤツカミモトの元に向かっていった。
「ぐはあ!」
ヤツカミモトの首にその刀は深く刺さった。
倒した、と思う間もなく、シャンルメを目がけ剣が振り下ろされそうになる。
相討ちか、と思った。その時だった。
シャンルメの体は、後ろに引っ張られた。
どん。と尻もちをついた途端、大切な部下の小柄な体が、自分の前に出た。
振り下ろされた大剣を、血を流しながらも、死ぬ物狂いで止めるトーキャネの姿。
そして、それに続き、剣を振るい、護衛の者達にかかって行く、兵士達の姿が見えた。
「許さぬ!この方を、これ以上傷つける事は……絶対に許さぬ!!」
護衛の者を倒し、トーキャネが叫んだ。
シャンルメは微笑み、気を失った。
シャンルメの率いる軍団の者達が、一斉にヤツカミモトと護衛の者達へと向かっていく。
少ない陣営に隙をつかれ、さらに総大将に致命傷を負わされたヤツカミモトの軍は、もはや戦う術を持たなかったと言っていい。
「ヤツカミモト!倒したなり!!」
ヤツカミモトの遺体を持ち上げ、散り散りになって逃げ行くヤツカミモトの軍を蹴散らし、カツンロクが、大きな声を張り上げた。
トーキャネは急ぎ、翻ってシャンルメを見つめた。シャンルメにぞっこんで、戦場にまでついて来る姫君シオジョウが、シャンルメのその傷を癒している姿をその目で見た時、安堵のあまりトーキャネは頭から倒れ込んだ。
「おっと、危ないぞ、小猿!」
トスィーチヲはトーキャネを後ろから引っ張って支え、そして笑った。
「お館様は本当に凄いな。中部東一の武将を倒したぞ!今日からお館様が、中部東一の武将だ!!」
痛みに顔を歪めながらも、トーキャネはその言葉に笑みを浮かべた。
トスィーチヲも言っていたが、カツンロクはシャンルメにお仕えする者の中でも、長であると言っていい男だ。
初めて出会った時には、いかつい顔の男としか思わなかったのだが……
そのカツンロクがトーキャネを呼び出し、2人は城の一角の小部屋で向き合っていた。
「お館様に聞いた。おぬしはお館様は女性だと見破ったそうだな」
「はっ!絶対に、口外いたしませぬ!!」
「当然だ。口外して良い事では無いし、知る者は本当に少ない。俺がそれを知っているのは、お館様が幼き頃からお館様をおそばでお守りしている、数少ない武将の1人だからだ。実は俺は、秘密を知るために、お館様がお世継ぎにならぬ方が、国のため、そして、何より、お館様のためなのでは無いかと、そのように思い、お館様とイザシュウ様に反旗を翻した事がある。だが、そんな俺を、お館様はお許しになられたのだ。悔い改めてからは、重用してくださっている」
「そ、そうだったのですか……」
「ああ。お館様にはかつて、イザシュウ様の弟、叔父に当たる者がいたのだ。その叔父とその息子が、自分達がオーマ家を継ぐと言い出してな。お館様はあのような見目麗しい、お優しい女性だ。跡目を継がぬ方が、お幸せなのでは無いかと、俺は思ってしまった。だから、彼らに協力をしたのだが……なんと彼らは、お館様のお命を奪おうとしたのだ。そこで俺は彼らを見限り、お館様に全てをお伝えした。それからはイザシュウ様と彼らとの戦いになった。もちろん、勝利をしたのはイザシュウ様だ。俺は罰として殺される事を覚悟した。だが、お館様とイザシュウ様は俺を許し、それまで以上に重用してくださるようになったのだ」
カツンロクの意外な過去を、トーキャネはジッと聞いた。彼がシャンルメに反旗を翻したのは、まさに、シャンルメを想っての事だ。それがトーキャネにも良く分かった。
「俺のような者を、ここまで重用してくださるお館様は、お心の広い方だ。だがな、俺は誰にもその秘密を口外はせんし、この秘密は固く守らねばならぬ。お前にもそうして欲しい。お前がそれを見破るとは驚いたぞ。しかしな、お前は熱の神の力を召喚出来る。そして、こたびの戦も活躍した。お館様を侮辱するような手は使わせぬと、泣いたのにも感心した。初めはこんな、弱そうな醜い男、何故お館様が肩入れするのか、不思議に思っていたのだが……トーキャネ、お前を気に入ったぞ!仲良くしよう!」
カツンロクは微笑み、トーキャネに手を差し伸べた。
「はっ……はっ!」
トーキャネはその小さな手を、強くカツンロクに握りしめられた。
城の一角から出てくると、そこに微笑んだトスィーチヲがいた。
「小猿……いや、トーキャネ。俺はもうお前を、小猿とは呼ばん。神と契約し、先の戦でも活躍し、カツンロク殿にも気に入られた。きっと、お前は出世頭になるぞ。とんでも無い奴になる。どんどん置いて行かれるかも知れん。でも……」
トスィーチヲは手を伸ばす。
「お前が良かったら、友達になってくれないか?そして……出世頭になっても、変わらぬお前でいてくれ」
その言葉にトーキャネは
「もちろんだ。トスィーチヲ殿!」
と大きな声で答えた。
「殿は無しだよ。トーキャネ」
そうトスィーチヲは歯を見せて笑った。
癒しの神の力を召喚できる、シオジョウのおかげで、シャンルメの傷は完治はせずとも、癒えるのが早かった。
シオジョウの力は、傷には使えるが、病には効かぬらしい。癒しの力を持つ者の中には、病に効く力を持つ者もいる。わたしの力が病に効けば、お父上の時に少しはお役に立てたかも知れないのに。と、シオジョウは言った。
「とんでもない。そのような事は気にしなくっていい。本当に本当に、貴方には感謝している」
と、シャンルメは笑った。
そして、シオジョウの手をギュッと握りしめた。
「シオジョウ、わたしと共に戦場に赴いてくれて、本当にありがとう。貴方のおかげで勝利を得れたと言っていい。貴方が望むのであれば、これからも、貴方を戦場にお連れしたい」
「もちろんです。次の戦場でも、わたしに出来る限りの知恵と力を尽くさせていただきます」
「貴方のような妻を持てて、わたしは幸せだ」
シャンルメは微笑み、やがて、真剣なまなざしをシオジョウに向けた。
「わたしは貴方を必要とし、とても大切に思っているが、貴方に女性としての喜びを味合わせてさしあげる事は出来ぬ。貴方が望むのならば、他に男を作っても良い。貴方の子であれば、我が子として育てる」
その言葉にシオジョウは笑った。
「そんなつまらぬものを、貴方の妻が必要としますか」
ジッとシャンルメを見つめ、シオジョウはシャンルメに握られたその手に、力を込めた。
「貴方と共に、この戦乱の世を終わらせる。その夢に生きましょう。シャンルメ様、どうぞお傍においてくださいませ」
シオジョウも良き妻。トヨウキツも良き妻だ。
トヨウキツとシオジョウは本当に仲が良く、ちょくちょく2人で会い、話をしたり茶を飲んだりしている。当然、3人で会う事も良くあった。3人で共にいる時間は、本当に楽しく、楽しいだけでは無く、特別な大切な時間だった。
おなごの身でありながら、自分はもったいないくらい良き妻を持っている。
シャンルメはつくづく、そう思っていた。
「トーキャネ、お館様はお美しすぎるために、妙な噂があるんだよ」
「噂?」
「女性では無いかと言うのだ」
「な……な……な……」
トーキャネの反応にトスィーチヲは笑った。
「トーキャネ、そんなに真に受けて、真っ赤な顔をするな。お館様が女性な訳があるか。トヨウキツ様はお館様にぞっこんでは無いか。シオジョウ様も戦までついてくる程、お館様にぞっこんだ。女性がどうやって、2人の、ぞっこんの妻を持つと言うんだ」
「は……はあ……」
「しかし、羨ましい話だな。そのぞっこんの妻2人がとても仲が良いと言う話だぞ。そんな2人の妻を一体、どうしたら持てるのかな」
そう言いながら笑うトスィーチヲを見て、トーキャネは思う。
どうして、気付かぬ者がいるのか。
お館様が男だと、信じる者の方が多いのか。
トーキャネには、とんと、訳が分からなかった。
訳が分からないが、お館様が女性だと知られると、多分困る事になるのだろうなあ、と思い、この秘密は絶対に口外しないと、固く誓うのだった。
すると後日、シャンルメは微笑みながらこう言った。
「ああ。その噂なら聞いているよ。その噂を、消そうだなんて躍起になったら、余計に怪しまれるからね。放ってある」
シャンルメは微笑み、トーキャネを見つめた。
「しかし、どうしたものかな。噂にならぬように……付け髭でもつけるかな」
「お、お、お館様ー!!」
「な、なんだ。どうしたんだ」
「なりませぬ、なりませぬ、なりませぬ!!」
目に涙を浮かべ、トーキャネはシャンルメに迫った。
「か、風の神が悲しみまする!お館様がお美しいお姿で舞う事が、風の神のお望みの筈でございます!」
「うん……まあ……そう言われたが……」
困った顔をしながらシャンルメは
「どうして、お前がそんなに、嫌がるんだ?」
と言った。
お美しいお館様が好きだからだ。そんな風にはとても言えずに、トーキャネは言葉に困る。
「まあ、良い。お前の事はとても気に入っているんだ。じゃあ、付け髭をつけるような事はやめておくよ。風の神様ももしかしたら、本当に、その方が、お喜びになるかもしれないしね」
その言葉にトーキャネは安堵した。
「それよりもトーキャネ、大事な話がある。お前にとって、とっても良い話だと思う」
「はっ。なんでしょうか」
「お前に、屋敷を与えようと思う」
「や、屋敷!?」
「そう。立派な屋敷をあげたかったのだがね、しかし、お前は先の戦で活躍をしたとは言え、わたしの部下になったばかりの者だから。周りの者にやっかまれたら困るし、お前が世話になった、トスィーチヲと同じくらいの屋敷にしたのだよ」
「ええっ!そ、それでは……厩があって厠があって、風呂があって、小さな小屋がついているような、お屋敷なのですか!?」
「うん。厩があって厠や風呂があって、小さな小屋もついているね」
「そんな立派なお屋敷、住んだ事ございません!」
「そうか。気に入ってもらえて良かった。そこにお前の故郷から、家族を連れて来て、住んでもらうといい。そう言えば、お前、嫁はいるのか?」
「お、おれのような者、嫁がいる訳がございません!しかし、母ちゃんがいます!」
母の事を語る時、トーキャネはいつも嬉しそうに顔が崩れる。今回も、くしゃっと笑った。
「父ちゃんは亡くなりました。母ちゃんは7人子供を産みましたが、おれの他は、田畑を継いだ兄ちゃん以外、亡くなってしまいました。今の世では、村で子供がちゃんと育つのは、本当に大変な事です。兄ちゃんの他に、亡くなった姉ちゃんが産んだ子供2人と、母ちゃんは暮らしています。村が乱取りにあった時には、母ちゃんはおれと、生まれたばかりの弟を抱えて山まで逃げたんです。肝っ玉母ちゃんです」
「そうか。自慢の母の様だな。お前の兄の他に、その女性にとっては、孫に当たる者達と暮らしているのだね。お前にとっては、甥や姪だね」
「そうです。甥っ子と姪っ子です」
「なら……その母親と、兄と甥と姪の4人を屋敷に住まわせてやれ。おいおい、妻も持てばいい」
いや……妻など持ちたくは無い。
トーキャネはそう思った。
この方のお傍にいられるだけで、自分は幸せなのだ。その上、母ちゃんと屋敷に住める。
それ以上の幸せは無いのでは無いか。
しかし、そうは言わずに
「お館様、本当にありがとうございます。母ちゃんが喜びます」
と笑顔を見せた。
実は、トーキャネの村は、最初にいたシズルガーの城下町よりも、スエヒ城の方がずうっと近かった。場所を聞き、「なんだ、そんな近くの村だったのか」とシャンルメは驚いた。年貢もイナオーバリに収めている筈だ。なんで、イナオーバリにまず来なかったんだ。と聞かれたが……正直、シャンルメの父、イザシュウに仕えたいとは、思わなかったのだから、仕方がない。とトーキャネは思った。
早く家族に会いに行き、呼び寄せよう。
馬を走らせればすぐに着く。と言われたのだが、トーキャネは足が短すぎて馬には乗れない。困っているとトスィーチオが
「俺が馬に乗り、後ろにトーキャネを縛り付けて、トーキャネの家族の元に行きます」
と言ってくれた。
馬で村に着いた時、トーキャネの母は、トスィーチヲが見かけも凛々しい立派な青年で、そうして立派な馬に乗っていたために、トーキャネの主だと思い込み、地べたについて礼を言った。
「母ちゃん、違うよ。この人はおれの友達だよ。おれのお館様は、もっとうんと、美しい方だ」
と言うと、母は
「そんなに美しい方が、この世にいるんかい」
と、真顔で驚いた。
話を聞くと、兄は冬の出稼ぎ先で亡くなってしまったらしい。文字も読めない同士、母はそれをトーキャネに伝える事が出来ずに困っていたようだ。
兄はトーキャネに似ていたが、トーキャネよりは背が高く、足はひきずっていなかった。
田畑を継いだ俺よりも、諸国を旅するお前の方が、出世の機会はある。それを覚えておけ。
そう言ってくれた兄だった。
兄が死んでしまった悲しみよりも、これで母ちゃんの産んだ子供は、おれ1人になったのか。母ちゃんの幸せは、おれにかかっている。
その気持ちの方が、トーキャネには大きかった。
田畑を継ぐか。足の不自由なお前じゃ大変だろうが、わたしも手伝うから。と母が言うから
「いや、母ちゃん、この田畑は売ろう。母ちゃん達は、もっともっと、いい家に行くんだ」
と、トーキャネは言った。
屋敷に呼び寄せた母は、厩も風呂も小屋も、屋敷そのものも立派な……村にある、村長の家の物よりも立派な……その屋敷を見て、目を白黒させて喜んだ。
小さい甥と姪が、遊ぶ庭まである。
本当に、これ以上何を望むのか、とトーキャネは思った。この屋敷があり、母ちゃんがいてくれる。そうして、お館様に仕えられる。それが、おれの全てだ。そう思いながらも、母に言った。
「母ちゃん、おれはこれから、お館様のために生きる。戦場に馳せ参じるし、いつ戦場で命を落とすか分からない。いつも、その覚悟で戦う。でも、出来る限りは母ちゃんに、もっともっと、いい思いをしてもらえるように頑張るよ。だから、おれを応援して欲しい。母ちゃんの応援があれば、おれは何でも出来る」
泣きながら母は、トーキャネの手を握り
「わたしもお前が無事でいてくれるなら、もう、それ以上は何もいらないよ。でも、お前は戦いに身を投じるんだね。男の子だからねえ。うん……お前の生きる道を、精一杯応援するよ。この家でいっつも待っているからねえ」
そう言った。
イザシュウが亡くなって以来、元々守っていたナコの城の他、スエヒ城を、シャンルメは忙しく行き来している。
シャンルメはイザシュウの唯一の子なので、任せられる兄弟がいない。しかし、兄弟がいないおかげで、その方が国主であり、お仕えが出来るのだと、トーキャネは、やはり嬉しく思った。
足の不自由な自分には、素早い行動は出来ないが、スエヒ城にもナコの城にも、いつも同行していたいと、トーキャネは思っていた。
その日、今日はどちらの城にいるのかと聞くと、今日は特別に出かけるのだ、と、シャンルメは嬉しそうに答えた。
どこに向かうのかと尋ねたら、
「ギンミノウだ」
と言った。ギンミノウのショーコーハバリに会いに行くのだと言う。
シャンルメは、とても機嫌が良かった。
まばゆいばかりに美しく見えた。
ヤツカミモトを倒した凱旋式ですら、こんなに晴れ晴れとした顔を、していなかった。
イナオーバリは今年は、正月祝いが無かった。
イザシュウが病気の最中に正月が来た。領主が病とあっては、部下達も領民達も、正月など祝えなかった。そして、冬の寒い2月に、ヤツカミモトとの戦いがあった。雪はさほど降らぬ地、イナオーバリであるから、戦いの最中は晴天であったが、実は、寒い中での戦いであったのだ。
そして、そろそろ春も訪れようかと言う時に、毎年の正月の祝いとは比較にならぬくらいに大きな、立派な凱旋式をシャンルメは行い、そこでイザシュウの葬儀も兼ねたのである。
2人の花嫁が選んだと言う、青い着物に身を包んだシャンルメを、トーキャネは遠くから眺めるしか出来なかったが、それでも、その姿はとても美しく、そして、凱旋式を心から喜んでいるように見えた。
でも、その凱旋式でも……シャンルメは、こんなに嬉しそうな様子では無かったように思う。
いや、あの凱旋式は、お父上の葬儀も兼ねていたからかも知れぬが……しかし、今日のお館様はどうされたのだろう。
シャンルメがあまりにも眩しくて、トーキャネは胸の高鳴りを止められずにいた。
シャンルメは、春の日差しに良く似合う、橙色の美しい、天女の仮装の時を思い出す程、華やかな着物を着て、歌でも歌い出しそうなほど微笑みを絶やさずに、馬に乗っていた。
ギンミノウはトーキャネにとっては、初めて行く土地だった。
ギンミノウのショーコーハバリ……
凄い噂ばかりを聞く男だ。毒蛇の異名を持つ。
どのような男なのか尋ねると
「お前に似ているよ」
と言われた。
驚いて、どこが似ているのでしょう、と聞くと
「幼き頃、村が乱取りに遭い、村を守るために戦い、その戦いが見事なために売り飛ばされた男だそうだ」
とシャンルメは返した。
なるほど。村が乱取りに遭い……
しかし、おれは乱取りの際、村を守るために戦わず、母ちゃんに抱えられて逃げた男だ。
似てなどいないんじゃないかな。
そう思った。
馬に乗り、ゆっくりとシャンルメは行く。
足を引きずり、小走りに近い状態で、トーキャネは進んでいた。
そこに、前方から怪僧とでも言うべき巨大な男が、大きな馬に乗り、現れた。
その姿を見た途端、シャンルメの瞳はよりいっそう、輝いた。
「シャンルメ!」
と男は叫んだ。
その叫びと同時に、シャンルメは急ぎ、白馬から飛び降りる。
「ショーク!わざわざ迎えに来てくれたのか!」
微笑みながらシャンルメは、ショークと呼んだ男に近付いて行った。
シャンルメのそんなにも嬉し気な声を、トーキャネは初めて聞いた。
どれだけ美しく微笑み、その男に近づいたのか。
この男に会える喜びのために、あんなにお美しく嬉し気だったのか。その事に、胸の奥が燃えるような心地がした。
「凱旋式に参加が出来ず、すまなかったな。俺も俺で、蹴散らせねばならぬ奴らがいたのだ。そいつらに少し手間取った。ようやく帰って来れたところだ」
そう言うその男に
「とんでもない。わたしの方こそ、その戦いに参加をせず申し訳なかった」
とシャンルメは返した。
「なあに。そなたの助けを借りる程の相手では無い。しかし……そなたは、あのシズルガーを倒した者だ。これから、そなたを隣に置き、覇道を目指す我が身を思うと心強い。そなたの事を誇りに思うぞ」
そう言いながら男は、シャンルメの頭を撫でた。その仕草に、嬉しそうにシャンルメは微笑んだ。
「だが……そのシズルガーもサンガイチも、己が領土には、していないようだな」
「今のわたしにはイナオーバリだけで身に余る。それにサンガイチには、兵を挙げなければ同盟国として、残すと言う約束をした。手紙の返事は無かったし、兵を挙げなかったのは、ヤツカミモトの方針だったようだが……それでも、その約束は守りたい。サンガイチを残して、シズルガーを支配するのは難しい」
「俺ならば、そんな口約束は守らぬがな」
「貴方はそう言う人だ。こたびの戦でも領土を広げられたと聞いた。サンガイチとシズルガーを、これからどうして行くのかは、両国の方々、幕僚達、そして、貴方の言葉を聞いて決める」
「うむ。そうか。次の戦では、共に戦おう」
「ああ。貴方が隣にいてくれたら、わたしは負ける気がしない」
そうシャンルメは微笑んで言った。
トーキャネはその巨体の男と、シャンルメの姿を見つめていた。
こいつが、ギンミノウのショーコーハバリか。
全く似ていない。こいつとおれは。
とてつもない男だ。それが分かる。
しかし、何故だろう、初めて……
生まれて初めて、トーキャネは思った。
こいつには負けたくない。
この男を超えたい。
自分の胸に、何か、熱い何かが、灯るのを感じる。
いつか、名だたる武将になる。
そう決意をして村を飛び出した、その日の想いが、胸の中に熱く蘇る。
何よりも、愛おしいシャンルメを、絶対にこの男に奪われてなるものかと、そう強く思った。
ショーコーハバリを睨みつけるように視線を向け、トーキャネは決意をする。
おれは、ただの武将では終わらぬ。
お前は大きな男になる。
そう言われた、お館様のお言葉に応えよう。
絶対に、この男を超えよう、と。
天獣を呼びしために戦うシャンルメも、名だたる武将を目指すトーキャネも、まだまだこの広き大地の世界の、ほんの少しの土地しか知らぬ。
その日々はこれからも、続いて行くのであった。
あとがき
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
もう、1人でも読者様がいたら嬉しい。いっそ投稿出来るだけで嬉しい。そんな気持ちで発表した作品になります。
ちなみに、表紙の絵はシャンルメです。絵はそんなに自信が無いけれど、頑張って描きました。そんなにどころじゃなく、下手くそが頑張ってリアルに描いているから、気持ちの悪い絵だと分かっているけれど……
でも、それでも、頑張って描いているので、お目汚しですが、お許しいただきたいです。
次の2話もシャンルメが表紙。3話はショークが表紙。4話はシオジョウの予定です。
主人公が14歳なのに、一応、15禁の作品になります。15歳未満の方はご遠慮ください。
戦闘シーンもしっかりとありますし、それ以上に、続くと、男女の愛し合うシーンがあるし……
今回の「問題のあるシーン」は14歳のシャンルメに、ショークがお酒を勧めるシーンですね。
これ、現代人からすると、本当に問題があるのですが、この時代と言うかこの世界、元服をしたら成人で、お酒オーケーなんで……
シャンルメは一応、もう大人。
何より、シャンルメ断ってるし。
まあ、お許しいただけたら、と思っています。
そして。歴史にほんの少しでも詳しい方が読めば、主人公のシャンルメは誰がモデルで、トーキャネは誰がモデルで、ショーコーハバリは誰がモデルなのか、分からない訳は無いと思うけど……
読んでも「分からない」と言う方や「歴史と切り離して、オリジナルストーリーを楽しみたい」と思う方のために、「ナイショ」にしておきます。
この作品、「歴史物的な小難しい面白さ」がありつつ、「エンターテイメント的なぶっ飛んだ感じがある」物語を目指しております。
歴史物として楽しんでいただく一方で、「神様の力を召喚し戦う」と言う「異世界ファンタジー」として、楽しんでいただけたらなあ、と思っております。
そして、間違っても、ヨーロッパ風の服装や建物でイメージしてもらいたくなくって。
登場人物は全員、黒髪の東洋人。
着ている物は着物!で、イメージをしてもらいたいなあと、思っています。
そう、この世界は「日本」なんだと、思ってもらいたいです。
日本なんだけど、所々違う。
例えば、男性に「月代は剃って欲しくない」と言うのがあります。この世界、月代を剃る習慣があったら、シャンルメ剃ろうとすると思うんですね。トーキャネが泣くじゃすまないですね。大事な主人公がヒロインが、月代剃っているなんて、ちょっとあり得ないな、と思って。
この世界の男性達は髪は剃らずに、普通に髷を結っているだけ。そう、ポニーテールな感じに、イメージをして欲しいです。
この本を書こうと決意させてくださったのは、藤木久志さんとおっしゃる、戦国日本の研究家さんです。
とても過酷な歴史の現実を教えてくださった方で、いつかお会いしたいと思っていたのですが、残念ですが、2019年にお亡くなりになりました。
その方は書物の中でこうおっしゃりました。
中世の研究家のほとんどが、中世のその世の中で
「人が死んだ、人が死んだ、なんと人口の半数が死んだ」
とそればかりを言う。
違う。人口の半数が死んだ時に、なんと半数は生き延びたんだ。
その生き延びた方々が、どうやって生きたのか。
それを研究するのが自分の使命だ。と。
その言葉を聞いた時、感動し、尊敬する思いを抱いたものです。
藤木さんの世界観を、少しでも感じていただけるような、そんな戦国日本の物語を描きたい。
異世界ファンタジーなんですけど。実は、そんな思いで描かせていただいております。
全部で大体12冊から、15冊くらいを目指して書きますので、お付き合いいただけたなら、幸いです。
一応、4話まではサクサク、2週間に一度、発表をして行く予定です。
1話は3月14日。2話は3月28日。
3話は4月11日。4話は4月25日。
フライングで、日曜日に投稿する事もあるかも。
ちなみに5話以降は、ちょっとかかります。
5話は出来れば6月、遅くても8月に投稿をしたいと思っています。6話は今年中を目指す予定です。
気長にお付き合いいただけたら、幸いです。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
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