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春が、来た
ふいに背後に人の気配を感じ、俺は動きを止めた。
ヘッドホンを外すと、背中に引っ付いてきたのは、とっくの昔に夢の世界へ旅立っていたはずの理人さん。
冷えた頬が耳が、俺の首筋に当たる。
ピアノの鍵盤を弾いていた指先は、それよりも冷たい。
触れるのを躊躇っていると、理人さんの方からぎゅうっと抱きついてきた。
「理人さん?」
「……」
「どうしたんですか」
「……」
「怖い夢、見た?」
鎖骨の前で交わった腕を撫でながら問いかけると、柔らかい毛先が俺の頬を擽った。
「違う……寒かった、だけ」
俺は、笑った。
確かに今夜は雪がちらつくほど気温が低いけれど、風呂から出るなり目にも止まらぬ速さで歯磨きしてベッドに飛び込んでいたし、そんな理人さんを包み込んでいたのは、寒がりの三男のために――と、父さんが送ってくれた〝とっておき〟の毛布と布団だ。
寒いはずがない。
「ごめんなさい。寂しかった?」
理人さんからの返事はない。
代わりに、俺の身体を締め付ける腕にぎゅうっと力がこもった。
「まだピアノ……弾く?」
「もう終わりました」
「いいのか……?」
「分かってるくせに、聞きますか」
こんないじらしい理人さんを見せられているのに、抱きしめる以外の選択肢があったら教えてほしい。
まだ人肌の温もりが残っていた毛布に二人で潜り込み、身体を寄せ合う。
理人さんは居心地悪そうに身じろいでから、俺の胸板にピタッとくっついた。
布越しに感じる体温が思ったより下がっていなくて、ホッとする。
「また悪い夢でも見たのかと思いました」
「それはもうだいぶ落ち着いた。でも、目、覚めたらいなかったから……」
「不安になった?」
今度は、返事の代わりにパジャマをぎゅうっと握られた。
溢れ出る愛おしさを噛みしめながら、そっと額にキスをする。
「朝までここにいますから。安心して眠ってください」
「ん……おやすみ」
「おやすみなさい」
閉じた目蓋にも唇を寄せ、少しずつ落ち着いていく寝息に耳を澄ませる。
その穏やかなリズムに誘われるように、俺も深い眠りへと落ちていった――
そう。
冬の理人さんは、かわいい。
でも、
「ちょ、まっ、待てって言ってんだろ……ッ」
春の理人さんは、もーっとかわいい!
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