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「……」
「……」
思わず見つめ合ってから腕に巻き付けていたスマートフォンホルダーに視線を落とすと、明るくなった画面に『赤羽楽器店』の文字が浮かび上がっていた。
「仕事の電話だから、出ますね」
「……」
「ごめんなさい」
「……」
「先にシャワー行っててください。すぐ行きますから」
「……わかった」
絡まっていた腕を緩慢な動作で解き、寂しさを隠さないまま理人さんの後ろ姿が離れていく。
「あ、理人さん!」
「……?」
「あそこは洗わないでくださいね? 俺がやるんで」
「ば、ばか……!」
バタンッ……と扉が閉まる大きな音を聞き届け、俺はスマートフォンを耳に当てた。
流れる水の音を頭の片隅にとどめながら、聞き慣れた上司の声に意識を集中させる。
どうやら、講師仲間のひとりが体調不良らしい。
代理レッスンの依頼をふたつ返事で了承し、俺は電話を切った。
冷えた身体が、ぶるりと震える。
風邪を引く前に汗を流したい。
まずは湿ったシャツを剥ぎ取ろうと、裾に手をかける――と、
「佐藤くん!」
ギョッ!
これが、俺の目の前に現れた(気がする)効果音。
頭のてっぺんからつま先までベタベタになった理人さんが、俺に向かって一生懸命に走ってくる。
水滴をまき散らしながら、
全裸で。
「理人さん!? どうし――」
「体重戻った!」
「へっ……」
「今、体重計乗ったら戻ってた! 2キロ!」
「え、えっと……よかった、ですね……?」
「うん!」
子どものように飛び跳ねながら、理人さんは喜びを露わにする。
その姿は、もう言葉では言い表せないくらいかわいいけれど、俺の心は穏やかじゃなかった。
理人さんの身体が跳ねるたびに、股間で、その……あれが、ぴょんぴょん跳ねて、俺を煽ってくるのだ。
全力で。
「理人さん――」
「よし! これでまたクリームソーダ食べれる!」
「……」
「シャワーしたら出かけるぞ! 今日は仕事、夕方からだろ?」
「……」
「喫茶店でクリームソーダ食べたらスーパー寄って、夕飯の材料買ってきて、一緒に……佐藤くん?」
覗き込んでくるふたつの瞳と、
前髪からポタポタ垂れるたくさんの雫と、
水も滴るいい男と、
股間でプラプラ揺れているブツと、
今すぐ押し倒したい俺と、
クリームソーダのことしか頭にない理人さんと。
「……ああ、もう」
なんだよ、こんちくしょう。
こんなの、
かわいすぎるじゃないか。
「春ってほんと、いい季節ですね」
「は……?」
「やっぱり理人さんは〝奇跡のオッサン〟で、俺はそんな理人さんが大好きでたまらないってことです」
俺を見上げるアーモンド・アイが、ふたつともまん丸になった。
こみ上げる愛しさが小さな笑いになって漏れ出ると、薄い口がツンッと尖る。
俺は理人さんの濡れた前髪をかき上げ、額にそっと唇を押しつけた。
fin
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